「第2章 真緒を探して、追いかけて」 (1ー2)
(1-2)
「だけどもし、桜が迷惑じゃなかったら、何でもいいから話しかけてくれると、嬉しいな」
真緒の発したその言葉は、空気中に霧散してあっという間に消えてしまう。
二人がしばらく見つめ合った。真緒からこう言われると根拠もなく、胸の奥が苦しくなる。
「ごめんね、今度からはちゃんと話すよ。教室でも私からおはようって声を掛ける」
「ホント〜? いきなりハードル上げ過ぎじゃない?」
桜の宣言に疑いの目を向ける真緒。そう思われるのは、当然だけど、それを払拭すべく、ゆっくりと首を振った。
「頑張ってみる。クラスメイトと話すだけだもん。難しい事じゃない。なんか私だけが勝手に距離を取ってた。そうだよね、真緒だって同じ人間だもんね」
「そりゃ私は人間ですよ。桜とおんなじ」
「うん、おんなじだ」
真緒の間に距離もなければ壁もない。こちらが勝手に作って、遠ざけていただけであって、最初から彼女は何も変わっていない。
「分かってくれたなら良かった。一緒に帰ろ?」
「うん、帰ろう」
二人は一緒に昇降口を出て、校舎を後にした。校門を出て、最寄り駅までの道のりを歩く。考えてみたら、学校から二人だけで帰ったのは、今日が初めてだった。テスト期間は、いつもグリーンドアで待ち合わせをしていたので、互いに別々に学校を出ていたからだ。
そういうのも、少しずつ解消出来たらなと思う。真緒と話をしながら桜は思った。彼女のグループがあるから、急には無理だとしても今日みたいに、一週間に一日くらいは帰る日を合わせる事が出来れば。
真緒の話に笑いながら横断歩道を渡り、最寄り駅に到着した。改札を通り、そのままホームへと降りる。ホームには同じ学校の生徒が何人かいた。
その中に真緒の知り合いはいるのではと考えたが、当の本人は何て事ないといいった感じで堂々としていた。
この堂々とした真緒の立ち振る舞いが余計な事ばかり考えてしまう自分とは正反対で桜は好きだった。それまでしていた話から「ねぇ、」と彼女に問いかける。
「真緒はいつも格好良いよね」
「えっ!? どうした急に?」
突然の事に真緒が驚く。そりゃ驚くよなと桜は思いながら、「ふと、思ったの」と言葉を続ける。
「なんていうか、自分のスタイルがあって……。ウチのクラスで少なくとも女子で、そういう子は真緒だけかも」
「そう言ってくれるのは嬉しいけど、他にもいるでしょ? 私からすれば桜だって、そのスタイル? があると思いますけど?」
「えっ、私? どのへんが?」
まさか自分もあると言われるとは考えていなかったので、驚きつつも聞き返す。
「うーん、何て言うんだろう。具体的にどうってのは難しいけど、空気感というか。あ、慎重に言葉を選んでいるところとか? 私なんかは結構、思った事をパッと口にしちゃう事が多いんだけど、桜はそうじゃない気がする」
真緒に言われた事は、桜にとって当たり前だった。言葉は一度出してしまうと、戻す事は出来ないのだから、きちんと吟味した上で口にする。そうしないと、いつか取り返しの付かない事故を引き起こしてしまう。
桜がそう考えていると、真緒が「ほらっ、」と言って笑った。
「今だって色々、何か考えてるでしょ? まー、そのせいで会話のレスポンスが遅いなって感じる時もたまにあるけどね」
「えっ? ごめん」
「別に怒ってないって。無神経にズケズケ言ってくる奴らより千倍マシ」
真緒の話す奴らとは一体、誰の事を指すのだろうか。学校のグループ? 担任の山本? それとも――。
幾つかの候補が頭に浮かんだタイミングで地下鉄が到着するアナウンスがホームに鳴り響き、考えが中断された。
「あっ、地下鉄来るみたい」
「うん」
二人で適当な列に並んで、到着した地下鉄に乗り込んだ。時間帯的に車内は学生やサラリーマン達で溢れていた。残念ながら空いているシートはなかったので、二人はドア付近のスペースを見つけて、立つ事になった。
人が多い車内で沢山話す事は出来ず、車内で二人の会話は殆どなかった。お互いにiPhoneを取り出して、各々の時間を過ごしている。
桜はニュースサイトを見たりして適当に時間を潰していた。真緒が何をしているかは見えなかった。乗り換え路線がある何駅を幾つか通過すると、それに比例して車内の乗客率が減っていく。
ようやく空いているシートが出来たので、二人は座る事にした。直前まで座っていた人の体温が残っていて、少し気持ち悪かったけど、しばらくしたら気にしなくなった。シートに座ると、真緒がiPhoneをポケットにしまう。
「ふぅ〜。やっと座れた」
「うん。ずっと立ってるの結構、疲れた」
「そうそう。ずっと混んでて、あんまり話出来なかったし。地下鉄来た時、うわっ、って思ったもん。でも一本見送ったところで、次に来るのもどうせ似たようなものだろうって考えたら、覚悟を決めて乗るしかないかなって思ったの」
「分かる。私も来た時、一瞬乗るの躊躇した」
地下鉄が到着した時の心境が真緒と同じだったと分かり、桜は嬉しくなる。
降りる予定の駅まで残り二駅程だったが、それまでの時間を取り戻すように二人は話をした。主な話題は学校の愚痴。何だかんだで、それが一番弾むのだ。
話に夢中になっている間に降りる駅に地下鉄が到着する。
「それでさ〜。あっ、着いちゃったか」
それまで話していた真緒が止まった車窓からの景色にそう呟いて立ち上がる。桜も同じように立ち上がった。
二人が降りる駅は、この路線での乗り換えが一番多い。その為、乗客の乗り降りが頻繁に行われる。早く降りないと、乗ってくる客とぶつかってしまう。普段の桜だったら車内アナウンスが流れた時点で立ち上がっているが、今回は停車してからだった。
やはり真緒と一緒だから、同じタイミングで降りたかったのだ。
案の定、二人は乗ってくる客に少々迷惑そうな目を向けられながらもホームへと降りた。一人なら絶対にやらない行為でも二人だと出来てしまう。
「ちょっと降りるのが遅かったね」
桜がそう言うと、真緒が「そう?」と短く返した。
ホームから改札まで続く蛇のように長い列に加わり、エスカレーターで改札まで上がる。エスカレーターの前方に乗ったのは真緒で彼女は振り返って、こちらに話し掛けてくる。
危ないと思ったが、真緒は上がり切ったエスカレーターが平行になると、自然に体を前に向けた。その動作にあぁ、これは日頃からやり慣れているなと桜は思った。
改札を通り抜けるといよいよ真緒とは、お別れとなる。
ココからなら、若干桜の乗る路線の方が距離は短い。彼女は全然、いつもの別れの場所まで歩くつもりだったが、向こうにそのつもりはないらしく、改札を抜けて人の流れの邪魔になれないように右に逸れると、「じゃあね桜。一緒に帰ってくれてありがとう」と別れを切り出してきた。
「ううん、こちらこそ沢山話が出来て嬉しかった。久しぶりだったし、また来週」
桜が常套句として発したまた来週という言葉。それに真緒は少しだけ固まったが、すぐに「うん、また来週」と頷いた。
別れた桜は少し歩いて、また別のエスカレーターでいつも私鉄の路線へ向かう。
真緒はココから歩いて別の地下鉄に乗る。
二人は、別れてそれぞれの電車へと足を進めた。両者共、途中で振り返る事はなかった。




