「第1章 遠い記憶からの始まり」 (1ー2)
(1-2)
「ありがとう」
桜に礼を言うと、横田は早速アルバムを開いた。
「へぇ、懐かしい。綾香さん若いなぁ〜」
写真を見て懐かしむ声を出しながら、パラパラと横田はアルバムを捲っていく。その手に余計な迷いはなく、桜は彼がアルバムを捲り終わるのをじっと待っていた。
すると、あるページで横田の手が止まる。
「ほら、桜ちゃん。この写真、俺が写ってる」
「えっ、本当ですか?」
「うん。ほらココ」
アルバムをこちらに広げて、ページを見せてくる横田。桜は彼が開いたページを覗き込んだ。
するとそこには、制服姿の母と幼い横田がこの部屋で一緒にトランプをしている写真があった。
「二人でトランプして遊んでる。この時の事は何も覚えていないけど、やっぱり懐かしいもんだね」
「お母さんって、どんな人だったんですか?」
目線をアルバムに移しながら、桜は横田に尋ねた。
「うーん。とても要領が良い人だったかな」
「ようりょう?」
聞き慣れない言葉を言われて、桜は首を傾げる。
「ごめんごめん。えっとねー、頭が良い人って事かな」
要領の意味を桜にも分かるように噛み砕いて説明してくれた。横田の話した通り、母はとても頭が良い。それは小学生の彼女でも分かっていた。
学校の宿題で分からない問題は、母に質問をすれば教えてくれる。
その時の教えた方が担任の先生よりも遥かに上手い。
楽しくて教科書に書かれている事がスラスラと頭に入ってくる。一度、母に学校の先生をしていたのかと聞いた事があるが、母は「ううん。ないよ」と言って、首を振った。
母は子供の頃から頭が良かったのか。
横田の評価を聞いて、桜はどこか誇らしげになる。
「何度か勉強を教えてもらったっけ。色々と知っている人だった。お互いに働き始めたり結婚してからは、会う機会も減っていったけど、そこは今でも変わらないと思うよ」
「私が知っているお母さんも凄く頭が良いです」
「そうでしょ? だから綾香さんの娘の桜ちゃんだって、きっと同じように頭が良いんだ」
母から巡って自分まで誉められた事に桜は、恥ずかしくなった。横田は良い人だ。普段と違う一階の空気に当てられて臆病になっていただけだ。
桜がそう考えていると、横田が口を開いてポツリと言葉を溢した。
「でも綾香さんが賢いのはやっぱり“遠見の力”を使えるからだろうなぁ」
「 “遠見の力”?」
横田の言っている意味が分からなくて、桜はまた首を傾げた。何かの例えではなく、当たり前に存在する言葉として、ハッキリと口にした。隣でこちらが疑問を浮かべているが、構う事なく彼は話を続ける。
「桜ちゃんは? もう綾香さんに教えてもらったの?」
「教えてもらう?」
桜には横田が話している事が理解出来ない。困惑する彼女を見てようやく彼は事情を察したらしく口を小さく開けた。
「あっ、まだ知らないのか。ごめんごめん。今のは忘れてくれる?」
手を合わせて適当に謝ってくる。桜は大人がその態度が嫌いだった。だって本当は悪いと思っていないから。相手が子供だからといって、適当に謝るふりをして終わらせようとしている。薄れていた警戒心が一気に上がった。
学校で嫌いな先生がする事と同じ事を桜はされた。
「その“遠見の力”って何ですか?」
桜が怒りに任せて、横田に質問をぶつける。
「うーん。困ったな、俺から勝手に話していいものか」
腕を組んで唸る横田。自分から言い始めたのに今更何を言っているんだ。桜が困惑と怒りが混ざり合った瞳を向けると、彼が「ふぅー」と細い息を吐いた。
「しょうがないか。先に話しちゃったのは、俺の方だしね。その代わり、綾香さんには内緒にするって、約束出来る?」
「約束出来ます」
横田の問いかけに勢いよく、頷いて答える桜。
「よろしい。それじゃあ、教えてあげよう」
横田はドアに鍵をかけてその場に座った。桜は少しだけ離れてベッドに座った。
「俺もそんなに知ってる訳じゃないんだけど。沢渡の人間には代々、未来を見通す力があると言われている。それは漫画やゲームとは違って、本当にあるんだ」
「それが“遠見の力”ですか?」
突拍子もない話を始めた横田に驚きつつも桜が尋ねると、彼はゆっくりと頷いた。
「集中して集中して、脳が潜る感覚を身に付ける事が出来れば、出来るようになる。潜る深度をどれだけ深く出来るかによって、見れる未来の長さが変わる」
「横田さんも出来るんですか?」
沢渡という苗字ではないが、彼も親戚というなら出来るのではないか。
「残念ながら俺には出来ない。凄い頑張ったんだけど、どうやっても未来は見れなかった。後から聞いた話なんだけど、“遠見の力は”どうやら沢渡の女性にしか出来ないみたいなんだ」
「そうなんですか」
「そう。だから練習すれば桜ちゃんは出来るはずだよ。でも綾香さんから聞いてなかったのか。てっきり聞いてるとばかり思っていたけど、意外だったな」
横田は説明を終えると、両腕を上げて伸びをする。母が話さなかった事を知ってしまった事からくる罪悪感はあるが、それよりも目の前にいる彼が、どこか満足そうでそれが桜は気持ち悪かった。
大体のやり方としては話していた通り、集中して潜るという事だろう。もっと詳細な手順が知りたい。横田は出来ないとは言ってたが、やり方は知っていると言った。
「さて、そろそろ一階に降りようか」
「待って下さい」
立ち上がろうとする横田に向かって桜は手を伸ばして、待ったをかける。
「ん? どうしたの?」
「私に“遠見の力”のやり方をもっと教えて下さい」
桜は頼むと横田は、あまり良い顔をしなかった。
「教えるのは簡単だけど、それで綾香さんに怒られるのは、ちょっとなー」
「私、誰にも話しません。それに教えてくれないなら、今の話をお母さんに話します」
母が知ってしまったら、怒りの矛先は横田に向けるだろう。その怒り方は多分、家で自分を怒るようなのではなくて、もっと別の怒り方なのだろうと、桜なりに察していた。
桜が緊張しながら横田にそう言うと、彼は動揺する事なく、「へぇ」と感心したような声を出した。初めて聞く種類の声だった。
その声の低さに今まで話していたのは、あくまで親戚の子供に向けていたものだと知る。父以外の大人の男性の低い声。
「まだ幼いのにやっぱり綾香さんの娘さんだね。お母さんによく似ている」
二人の間に沈黙が漂う。桜は横田が次に話す一言を漏らさないようにして。彼もまた、自身の一言が次の展開に影響するのを理解しているからだった。
数秒の間、二人が見つめ合って、横田の透明度の高い焦茶色の瞳と向かい合っていると、彼が「ま、いっか」と小さく言葉を漏らした。
「いいよ、詳しくやり方教えてあげる。どうせ、いつかは知るだろうし。それがちょっと早いか遅いかの違いでしかない」
そう話した横田は小さく笑った。自分から教えてほしいとせがんだくせに彼の言葉を聞いた途端、桜は怖くなってしまった。
しかし一度動き出してしまった事は、幼い桜には止められない。
この日、沢渡 桜は、横田 健悟から“遠見の力”の使い方を教えてもらった。
そして、その方法を教えてもらって十年が経過した今も、桜は“遠見の力”を使っていた。