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桜マーブル  作者: 綾沢 深乃
「第1章 遠い記憶からの始まり」

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「第1章 遠い記憶からの始まり」 (3ー1)

(3-1)


 マンションの最寄り駅まで帰ってきた桜は、スーパーに寄って夕食の買い物を済ませる。


電車の中で何にしようか考えた結果、豚の生姜焼きを作る事に決めた。野菜はまだキャベツが半玉残っているので、他の野菜を購入する。調味料類は大丈夫。一番必要な豚肉と生姜はちゃんと買っておく。


 他にも牛乳やコーヒーの粉等、常備しておくべき食料品を購入してレジに並ぶ。夕食前のこの時間は、まだ混み始めたばかりで、レジ前の行列は大した事はなかった。並んでいる間に家計用の財布を取り出して、会計に備えた。


 会計を済ませると、通学カバンからエコバッグを取り出して、崩れてしまわないようにバランスを整えながら、食材を入れていく。


 このあたりの行動は、ほぼ自動で行えるようになった。最初の頃は、適当に入れてしまったせいで買った食材をよく崩れてしまったものだ。


 スーパーを出て、マンションまで到着した桜は、鍵を取り出してエントランスのロックを開けて、エレベーターを待つ。その間に郵便物をチェックする。


 どうでもいいチラシ類は後で捨てるので、エコバッグに。大切な書類関係は、通学カバンにしまっておく。


 エレベーターに乗り、四階に到着してから鍵を取り出して玄関を開ける。


「ただいまー」


 朝に自分が出て行った時のまま、固定化されている真っ暗な玄関。


 電気を点けると、息を吹き返したようにパッと明るくなる。父はまだ帰ってきていない。朝に話していた通りだった。


 桜は靴を脱いでから、洗面所で手洗い・うがいを済ませると、通学カバンを自室に置いて書類だけを抜き、反対側の手でエコバッグを持ってリビングへ。


 玄関と同じく暗くなっているリビングの電気を点けて起こした。


「よいっしょっと」


 台所にエコバッグを置いて、冷蔵庫を開ける。そして買った食材を次々に入れていった。すぐに料理に取りかかるなら出したままでも構わないが、洗濯物を取り込まなきゃいけないので一旦、全部入れておく。


 エコバッグを空にすると、今度は洗濯機の前に置いていたカゴを持ってきて、ベランダを開けた。そこには朝に干した洗濯物が風に揺られていた。


 今日は一日中、晴れだったから乾いているはず。


 そう思いながら、干していたシャツを触る。乾きにくい脇の下もちゃんと乾いており小さく安堵する。この季節はまだいいが、冬になると完全に乾かない事があるのでその場合は、部屋に干し直さないといけない。


 手間が増えるし、生乾きになってしまうと匂いが出て最悪洗い直しの必要がある。この時期で本当に良かったと思った。


 手早く洗濯物を取り込んで、アイロンが必要な衣類だけをアイロン台の上に置いておく。本当ならそのまま他のも畳んで片付けたかったが、今日はその時間はなかった。


 静かなまま料理をしても良かったが、少し寂しかったのでテレビを点けて夕方の情報番組を流しておいた。


 制服の上から赤いエプロンを着ると手を洗って、料理を開始する。


 最初に米を研ぎ炊飯器に入れて、炊飯のスイッチを押す。軽快な音楽が鳴って焚き上がるまでの時間が表示される。


 六十五分。それくらいの時間があれば、豚の生姜焼きは充分に間に合う。桜は冷蔵庫を開けて、先程入れたばかりの食材を取り出した。


 料理を進めていると、玄関の鍵がガチャリと音を立てて開く音がした。父が帰ってきたのだ。後は下味を付けた豚肉を焼くのみ、丁度良いタイミングだ。


 父が洗面所で手洗い・うがいを済ませて、自分の部屋に入った音がした。そこで荷物を置いて、シャワーを浴びるのだ。


 いつも決まって同じ行動なので、桜は物音で判断出来る。


 IHのスイッチを入れてフライパンを温めると、豚肉を焼き始める。


 ジュウウウッ! っと良い音を立てて、煙と共に良い匂いが立ち上った。煙を浴びると、食欲が湧いてくる。


 しばらく焼いていると、リビングのドアが開く。


「ただいまー」


 シャワーから出てグレーのスウェットに着替えた父がリビングに入ってきた。


「おかえり〜」


 フライパンから目線を上げて父にそう言った。彼は桜の後ろを通り、冷蔵庫のドアを開けて、ビールを取り出した。


「おっ、今日は生姜焼きか。良いねえ。何か手伝う事ある?」


「大丈夫。もうちょっとで出来るから待ってて」


「了解」


 父がそう返事をして、朝と同じ椅子に腰を下ろす。


「ふぅ〜」と声に出してから、父はテーブルに置きっぱなしのテレビのリモコンに手を伸ばした。夕方の情報番組は地元の特集をやっていた。


「これ観てる?」


「ん〜? 別に観てないから変えていいよ」


「はーい」


 父はリモコンで番組表を表示させて、一覧で放送されている番組を確認していた。特に観たい番組がなかったらしく結局、元の番組に戻っていた。


「もう出来る〜」


 桜がそう言うと、父は座っていた椅子から立ち上がった。こちらが何も言わなくても冷蔵庫を開けてお茶の用意や、二人分のトレーを並べてくれた。


 早く終わるので、いつも食事の準備は二人でやるようにしている。


 お茶碗に炊けたご飯、お椀に味噌汁を注いでトレーに置いていく。最後に野菜だけ先に載せていたお皿に焼きたての生姜焼きを乗せて夕食は完成した。


 完成した料理をトレーに置いていく。並べられた料理を前に父は、口を開けた。


「おぉ〜、美味しそうだ」


 桜はエプロンを脱いで、今は誰も座っていない椅子に掛けておく。そして「いただきます」と二人で手を合わせてから、食事を始めた。


 沢渡家の食事は、始まってすぐは会話がない。お互いにまずは出された食事を食べる。


 両者の間に言葉が行き交うのはある程度、食事が進んでからだ。それまでは、ずっとテレビが二人の代わりに声を出してくれる。


 母がいた頃は、食べ始めてからすぐに話が始まった気がする。会話の一番槍を担う彼女がいなくなってしまうと、基本的に受け身の二人では、すぐには始まらない。


 時間制限のある朝ならともかく、夕食はどうしてもこうなってしまう。


 いつの間にか父がNHKのニュース番組にチャンネルを変えておりそれを観ながら、豚の生姜焼きを食べる。味見の通り、よくタレが染み込んでとても美味しい。


さて、何を話そうかと桜が頭の中で話題を考えていると、父の方から先に口火を切った。


「今日のテスト、どうだった?」


「えっ? あ〜うん。まぁまぁ出来た方」


「そうか。確か木曜日までテストだったよな。大変だろうけど頑張って。家事が負担ならなら、いつでも言ってくれ」


「うん。ありがとう」


 父にそう言われた時、桜は真緒の事を思い出した。そうだ、明日からテスト勉強を一緒にする約束をしているのだった。


時間は大丈夫だと思うが、一応伝えておこう。そう考えて「あのさ」と声を出す。


「ん?」


「実はね。明日からテスト期間中、友達と喫茶店で勉強するって事になって……」


 別に変な事ではないのだが、何故か悪事を告白している気分になって、段々と声が小さくなった。桜の告白に父は「へぇ」と小さく驚いた声を上げる。


「それは前に話してた斉藤 結衣さん?」


「ううん。違う子」


 結衣の話は過去にした事があるので、首を振って否定する。


「そうか。全然構わないよ。喫茶店で勉強するからお金が必要なら、家計の財布から出していい。あとでまとめて精算するから」


「ありがとう。それもあるけど、ちょっとだけ帰りが遅くなるかも知れない。多分、今日くらいになると思う」


「分かった。お父さんには本当気を遣わなくていいからな。何だったら喫茶店じゃなくて、この家で勉強したら?」


「いっ、いや。それはいいって! 向こうも家、遠いから」


 まさかそんな事を父から提案してくるとは思わなかったので、桜は焦りながらも遠慮する。父には交友関係の話を殆どした事がない。結衣の話を何度かしたくらいだ。


 もしかして、友達が少ないと思われてる?


 桜がそんな事を考えていると、父が「よしっ、」と小さく言い放った。


「やっぱり明日から夕食は出来合いにしよう」


「でも、」


「いいんだ。っというか、もっと早くそうしておけば良かったんだ。たった三日だし大丈夫。本当はお父さんが自分で作れたら一番良いんだけど、仕事があるから」


「うん。それは分かってる」


 桜が答えると父は笑って頷く。


そして残念そうな声を出した。


「あぁ〜、つまりこれが最後の豚の生姜焼きか。あと二枚、大事に食べないと」


「それだったら、テスト明けは、また豚の生姜焼きを作るよ」


 大事そうに食べる父の顔を見て、小さく笑ってから桜は残りの豚の生姜焼きを口に運んだ。



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