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桜マーブル  作者: 綾沢 深乃
「第1章 遠い記憶からの始まり」
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「第1章 遠い記憶からの始まり」 (1ー1)

(1-1)


 あれはまだ、沢渡 桜が小学生の頃だった。当時の彼女は数回、それも病院のベッドでしか会った記憶がない母方の祖父が亡くなったのでその葬式に行った。


 祖父の葬儀は自宅葬で行われた。


 田舎にある母方の実家はとても大きな家だった。幼かった桜は他所行きの服を着て、新幹線に乗り遠くに行く事が楽しいという感情が強かった。


 長い時間をかけて新幹線から在来線に乗り換えて、最寄り駅まで到着した。趣のある木製の駅舎。桜が日頃、目にしている駅とは全然違う。


普段ならそれにもテンションが上がる桜だったが、朝早くの出発と長距離移動で、すっかり疲れていた彼女は、眠い目を擦りながら懸命に右手を伸ばして母と繋いでいた。


「ここからはタクシー拾えばすぐだから」


「うん。さっき家には連絡入れといた。お母さんが迎えに行こうかって言ってくれたけど、絶対に忙しいと思うし断った」


「ああ、それがいいよ。お義母さんに申し明けない」


 父と母が駅舎の中で話し合っている。二人の会話を小さな耳で拾った桜は、タクシーで行ける事を密かに喜んでいた。


 駅舎からすぐのタクシー乗り場で少し待った後、やって来たタクシーに乗り、祖父の家へと向かう。


 桜が祖父に家に行ったのは、ハッキリと記憶している中ではこれまで四回程。


 毎年、年末に行くのが常だった。タクシーの窓から流れる景色を眺めながら、桜は最後に行った数ヶ月前の冬休みを思い出していた。


 あの時と季節が違う為、街の景色が違う。それが非日常を加速させる一因となっている。


 駅からしばらくタクシーに乗って、ようやく祖父の家に到着した。立派な日本家屋で年季のある木製の表札に沢渡と書かれている。普段は閉じている門扉も今日は開いており、玄関も開放されている。開放されている玄関には見た事ない数の靴が並べられていた。


 両親と共にタクシーから降りて、家の中に入る。


 まるで引っ越しのようにバタバタとした空気が家中を駆け巡っていた。その中で両親は、手早く自分達の荷物を母の部屋だった二階へと持って上がった。母に言われて、桜も自身の小さなリュックサックも一緒に置いた。


 一階に降りて和室に行くと、そこには座布団の上で少し疲れた様子の祖母の姿があった。彼女は、桜を見るなり疲れた顔をパァーッと笑顔にして、「桜ちゃん。来てくれてありがとうね。お爺ちゃんも桜ちゃんが来てくれてきっと喜んでるよ」と笑顔で答えた。


「うん、おじいちゃんが喜んでくれてるなら良かった」


 数日前に祖父が亡くなった事を両親から聞かされていた桜は祖母にそう言われて安心した。


「あなた、桜ちゃんが来てくれましたよ」


 祖母が和室奥にある祭壇に置かれた棺に向かって、話しかけた。彼女の視線に従って、桜も棺に目を向ける。


 そこには沢山の鮮やかな色の花々に囲まれた祖父の姿があった。


「……おじい、ちゃん」


 最後に会った病院でのお見舞い。それから数ヶ月後に桜は、棺の中の祖父と会う。死装束を着て、一見すると眠っているようにも見えるが、やはり違う。それは彼女の心にとても強い衝撃を与えた。


 一瞬の内に脳内に流れる祖父との思い出。笑顔で優しく、よく公園で遊んでくれた祖父。それがもう出来ないという事を感じ取った途端、彼女の瞳からは透明の涙が流れた。


「ありがとうね、桜ちゃん。お爺ちゃんもきっと、天国からお礼を言ってるよ」


 隣でそっと肩を抱く祖母に頷いてから、桜はその場から離れた。廊下ですれ違う沢山の大人達、彼らの顔を桜は知らない。


 知らない大人が、自分の知っている家で平気な顔をして歩いている現実が、幼い桜にとって不快だった。胸の奥にモヤモヤとしたものが溜まっていくのが分かるけど、それが具体的に何なのか解出来なくて、大人がいない場所を探した。


 桜の両親は、家に着いてからというもの、ずっと他の大人達と一緒に忙しそうで彼女と話している余裕は無さそうだった。廊下ですれ違った時に「二階のお部屋に行っててもいい?」とだけ辛うじて話すと、母は「ええ、いいわよ。お葬式が始まったら呼んであげる」と言ってくれた。


 母の許しが出たので、桜は家の階段をそっと上がり、荷物を置いた部屋に向かう。二階は、誰も上がって来ておらず、桜の知るいつもの家だった。


 ノブを回して部屋に入る。


「ふぅー」


 バタンとドアを閉めた途端、自然と口から息が漏れた。一階全体を支配する息苦さから解放されると、桜はベッドまで足を進める。


 母が大学で一人暮らしを始めるまで使っていたこの部屋には、部屋のあちこちに桜の知らない彼女の痕跡が残っている。


 本棚に入っている埃を被った古い漫画。


 下段には知らない高校の卒業アルバムとノートや教科書。


 フィルムカメラで撮られた古い写真アルバムが並んでいた。


 母は桜がこの世に生まれたから母親なのであって、それ以前は母親ではない。桜は、埃の匂いがするアルバム棚か抜いて開いた。


 そこにはセーラー服を着た母が、教室で友人達と笑顔でお弁当を食べていた。


 右下にオレンジ色の文字で印字された日付は、桜が生まれるより遥か昔の日付。笑顔でピースをしている母は楽しそうだった。


 母はこの本棚からアルバムを見るのを怒るけど、(こっそり父と見ていたのを気付かれた事がある)知らない母の姿を見るのが好きだった。


 ベッドに腰掛けて、ページを捲り知らない母の姿を追っていると、ドアがコンコンっとノックされた。


「……っ!?」


 アルバムを見て笑顔だった桜の顔が勢い良く上がった。


 この部屋にいるのを知っているのは母。おそらく父や祖母にも伝えているだろう。ただ皆はドアをノックなんてせず、ドア越しに声を掛けるだろう。


 つまり、今ドアの向こう側にいるのは、桜の知らない人間である可能性が高い。


 せっかく大人達から逃げてきたのにココまで追いかけて来たのだと思ったら、桜は怖くなった。


 このまま無視を続けたら、何処かに行ってくれるだろうか。


 微かに期待を抱いて、ドアの向こうを無言で見つめる。アルバムは、ノックされた時にベッドの上に無造作に放り投げていた。


 期待と願いが混ざった眼差しをドアに向ける。


 コンコン。


 再度ノックがされた。まだ、ドアの向こうにいるんだ。その現実が桜の恐怖を更に増長させる。鍵を掛ければ良かった、いつもの感覚で部屋に入ってしまった事を激しく後悔する。向こうがドアノブに手を掛ければ、簡単に開いてしまう。


 今から鍵をかけよう。


 桜の中で窮地を脱出するアイデアが生まれた。迷う暇もなく、ベッドから降りたが、間に合わずドアが開かれてしまった。


「あれ? 誰かいた?」


「あの……、」


 開かれたドアの向こうにいたのは、喪服を着た男性だった。勿論、桜の知らない顔だ。見た目から父より若そうだった。黒髪は他の大人と違い、固めたりしておらず、クラスの男子と同じような髪型だった。


 全体的に大人と子供が混合されたような格好をしている。


 それが桜には異質に見えた。


 男性は数秒、観察するように桜を見てから口を開く。


「えっと、君は綾香さんの娘さん?」


「はい、そうです」


 綾香とは母の名前だ。母の事を知っているという事は、何かしら繋がりがある人なのだろうか。


「もしかして寝てた? だったらごめん。起こしちゃったね」


「いえ、平気です」


 どうやらノックに反応がない事を眠っていた為と捉えたようだった。変に弁明するよりもそちらの方が楽だと思った桜は、それに乗っかる。


「あ、そうだ。自己紹介がまだだった。俺は横田 健悟。綾香さんとは親戚になります。小さい頃、よく一緒に遊んでもらってた。ずっと仕事でアメリカにいたから、中々来れなかったんだけど、高志さんの葬儀だから帰って来たんだ」


「沢渡 桜です」


 横田の名前は今まで一度も聞いた事がないが、親戚という事と母を知っている事で桜の警戒心は、若干薄れた。


 それを見逃さなかったようで、横田は「ちょっと入ってもいい?」と聞いてきた。


「あっ、はい」


 桜は反射的に許可を取る。彼女の許しを得て彼は部屋の中に堂々と足を踏み入れた。


「失礼します」


 横田は部屋に入ると、興味深そうにキョロキョロと見回した。あくまで見回すだけで、本棚に直接手を伸ばすような事はしなかった。


「この部屋には俺がまだ子供の頃、今の桜ちゃんくらい頃に入った事があるんだ。夏休み中の親戚の集まりでね、綾香さんに遊んでもらったよ」


「そうなんですか」


「ああ。それをぼんやりと覚えていてね。こんな機会だけど、久しぶりにこの家に来た訳だから、もう一回見ておこうと思ったんだ」


 天井を見上げて横田はそう話す。彼の中にある、遠い昔の母との思い出。それはベッドに放り投げたアルバムに写っている頃の母との思い出だ。


 そこに父と自分は存在しない。


 横田は自分の知らない母を知っている人なんだと桜は、思った。母は、あまり昔の事を話そうとしない。いつも聞いても適当に誤魔化されてしまう。


 もっと知りたい。不意にそんな欲求が生まれた。警戒心は大分薄れている。桜がそう思っていると、横田は放り投げたアルバムを手に取った。既に本棚から抜き取られていたので、彼の中で触れてもいいラインを越えたのだろう。


「このアルバム、見てもいいかな?」


 一応、開く前の最後の許可を取ろうとしたのか、桜にそう尋ねてきた。彼女はそれに対して、コクリと頷いて返す。


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