第11話
ギャラリーでのパーティーが終わった翌日、香澄は気だるさと高揚感の余韻を引きずりながら大学へ向かった。
あの濃密な夜の光景がいまだ頭から離れず、キャンパスのいつもの空気が少し色あせて見える気さえする。
とはいえ、文芸サークルの仲間たちや講義のスケジュールは待ってくれない。
香澄はカフェモカの香りをかぎつつ、無意識にスマホを手の中でくるくる回す。
画面を開けば、あの男――神楽坂 雛人の名前や情報をまた検索してしまいそうだから、意地でも触れないようにしていた。
サークル室に入ると、佐々木 遼が一人で机に向かっているのが目に入る。
珍しくほかのメンバーの姿はないようだ。
香澄が声をかけようとした瞬間、佐々木のスマホが震え、小さな通知音が響いた。
彼は画面を見て何やら難しい顔をし、眉間に皺を寄せている。
「どうしたの?」と香澄が尋ねると、佐々木は顔を上げ、少し言いづらそうに言葉を選んだ。
「いや、ちょっと……最近、ネットで“神楽坂 雛人の作品がAIで書かれてる”って噂が出てるらしくてさ。
SNSやまとめサイトにいろいろ書き込みが増えてきてるんだ。
“文章のクセが不自然”“統計的な反復を感じる”って指摘してる人もいるみたいで……。」
香澄は瞬時に胸がかっと熱くなるのを感じた。
「そんなのあり得ないでしょ。
あの人は現代最高のSM官能小説家なのに、機械任せなんて……」
否定したい気持ちが先に立つが、同時にパーティーで聞いたあの“執筆体験”という言葉が脳裏をかすめる。
やけに客観的で、感情を排除したような口ぶりだった神楽坂の声が、今になって甦るようだった。
佐々木は画面を見つめたまま続ける。
「噂レベルだと思うけど、いろんな読み手が“この一節はまるでAI生成の定型句みたいだ”とか“繰り返しが多すぎる”とか書いてる。
実は俺、前に朗読イベントで神楽坂の文章を読み上げたとき、似たような違和感を覚えたんだよね。
でも当時は自分の気のせいかと思ってた。
ただ、こうして他の人も指摘し始めてるとなると……」
そんな噂があろうと、香澄はまだ半信半疑だった。
彼女自身が心を震わせながら読み、その倒錯的世界に魅了されてきたのは紛れもない事実なのだ。
何より、あの神楽坂が“情念”を捨ててAIなどに書かせるものだろうか。
いや、もしそれが真実なら……想像したくないような失望が、胸の奥でじわじわと広がり始める。
「私は、あなたの一文字一文字に触れるたび、心が解けていく気がします。その筆が生み出す痛みと悦びの狭間こそが、私の理想の“調教”に違いない。どうか、もっと深いところまで踏み込み、私の秘めた欲望を救い上げてください――」
それはかつて香澄が書いたファンレターの一節。
こんなにも作家を信頼し、作品に翻弄されていた自分がいたというのに、今さら「実はAIでした」と突きつけられたら、あの情念や官能は一体どうなるのだろう。
香澄は歯がゆい思いで、自分の手を握りしめる。
佐々木はそんな香澄の様子に気づき、申し訳なさそうに口を開く。
「ごめん、まだ噂の段階だし、確証があるわけじゃないんだ。
ただ、もし神楽坂がAIを使ってるなら、俺は君が傷つくんじゃないかって心配で……」
香澄は首を振るしかなかった。
「ううん、いいの。
それに、私も……ちょっとだけ変だと思ったことはあるんだ。
でも、信じたいって気持ちが大きくて、全部見ないふりをしてた。
実際のところ、何が真実かなんてまだわからないけど……確かめなくちゃいけない気がする。」
神楽坂 雛人の正体、そして自分が彼に対して抱いてきた情熱は本物なのか。
この胸に渦巻く不穏な違和感を放置したままでは、自分が理想としてきた倒錯の世界さえも虚構に変わってしまうかもしれない。
佐々木は苦い顔をして「何かわかったら教えて」と言葉を残すが、香澄の耳には自分の鼓動だけが大きく鳴り響いていた。




