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SM官能作家の真実  作者: さば缶
第1章 目覚める欲望と日常の裂け目
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第1話

 深夜の部屋には、最低限の明かりしか灯っていない。

カーテンの隙間から差し込む街灯の光が、部屋の壁にわずかな影を落とす。

白石香澄は布団の上にあぐらをかき、スマホを凝視していた。

その画面には、神楽坂雛人という作家が手がけたSM官能小説のデジタル版が映し出されている。

指先でページをめくるたび、息を詰めるような行為描写と耽美な台詞が静かに香澄の心を揺さぶってくる。


「私は、あなたの手首を紅い紐で縛るたびに、溶けるような罪の甘さを思い出す。それは罰と快楽が入り混じる深い蜜のようで、あなたの脈動さえも私の中へ染み込んでいく。縛り目が食い込むほどに、私はさらに熱い欲望を募らせる。」

そう書かれた一節を読んだ瞬間、香澄は思わず背筋を伸ばした。

普段ならただの文章にすぎないはずなのに、その官能的な言葉の数々が自分の中の何かを刺激してくる。

彼女は決して表には出さないが、幼い頃から心の奥底で感じていた漠然とした渇望を、この小説の中に見いだしていた。


 「……こんな世界、本当にあるのかな。」

声に出さずに呟いたあと、香澄はスマホをそっと閉じる。

そのまま枕元に転がっていたノートに手を伸ばし、ページの端からは何枚かの紙切れがこぼれ落ちた。

それは、以前に書いたファンレターの下書きだった。

神楽坂雛人宛に書きかけてはやめて、結局送らなかった文章。

ずいぶん以前のものだが、それを捨てることもできず、なぜか宝物のように残している。


 ノートを拾い上げ、紙片をめくると、黒いインクで「あなたの描く世界に震えるほど憧れます。読むたびに、自分の奥底にある秘密の扉がこじ開けられるようで、息が詰まるほどに陶酔してしまうんです。」と綴られた文面が目に入る。

書いたときの熱が今も微かに残っているようで、香澄の胸をくすぐった。


香澄は何通かファンレターを実際に送っていたが、今の所返事は届いていない。

「もし、返事がきたらどんなに嬉しいだろうか……」

そんな思いが一瞬よぎるが、同時に「いや、あのカリスマ作家が私の手紙なんか読むわけない」と笑い飛ばしたくなる。


 机の端には、最近読んだばかりの神楽坂雛人の最新作が積まれている。

その冒頭、どこかで読んだようなフレーズがあって妙な既視感を覚えたのだが、自分の勘違いだと思い込んだまま深入りしなかった。

かすかな違和感よりも、小説に描かれる倒錯的な甘美さに心が奪われる。

香澄は雑念を振り払うようにノートを閉じ、再びスマホを手に取ると、同じ場面を読み返してしまう。

外ではタクシーのエンジン音が聞こえるだけで、周囲はほとんど静まり返っていた。


 日常と背徳の狭間で揺れるこの時間が、香澄にとって何よりの甘やかな逃避になっている。

しかし、その逃避はただの夢に終わるのか、あるいは彼女が踏み出してしまう危うい現実へ続く入口なのか。

香澄の目には、スマホの画面がわずかに潤んで映っていた。

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