第九話 始まりの朝
「……きて。もう朝だよ?」
誰かの声がして、目が醒めた。そういえば昨日は寮に泊まりにきてたんだっけ?
「うん……。すぐ起きるよ……」
「遅刻しちゃうよ? 美旗くん、朝弱いんだね」
「うん……って、上比奈知さん!?」
美旗くん、と呼ばれて僕は飛び起きた。ここでそんな呼び方をするのは上比奈知しかいない。僕はてっきりアリスが起こしに来たとばかり思っていた。
「わ、そんなにびっくりしなくてもいいと思うんだけどな。おはよ」
「おはよう。ごめん、こんなとこ見せちゃって」
「ふふ。面白い顔が見れたから良しとします」
上比奈知はこちらを覗き込んで軽やかに笑う。僕も気が抜けて、上比奈知に釣られて笑った。ひとしきり笑ったあと、僕が布団から出ようとした時だった。
「二人とも、何をしてるんだ」
「あ、アリス。おはよう。どうしたの?」
「あぁ、おはよう。どうしたのじゃない。メイに起こしに行かせたのに全然戻ってこないから見に来たんだ」
「美旗くんぐっすり寝てたから、ちょっと見てたの」
「見てたの!? 寝顔を!?」
「だって起こしても全然起きないから……。何回か声かけたんだよ?」
僕が気付いたのは一回目ではなかったらしい。昨日あんなに早く寝たのにどうして気付かないのか。それよりもどうしてアラームが鳴らなかったんだろうと思ったが、目覚まし時計を持ってくるのを忘れていた。昨日は時計がないことにも気付かぬまま眠ってしまったのだった。
「ほら、早くしないと遅刻するぞ」
僕は顔から火を吹きそうなぐらいだったが、アリスに促されて、リビングへ向かった。
「……涎とか垂れてなかった?」
「大丈夫。綺麗な寝顔だったよ?」
恥ずかしいことに変わりはないが、変な寝相で寝ていたり、涎が垂れたりはしていなかった分、まだマシだろうか。
「ならまぁ……。時計忘れてきちゃって」
「いつもはそれで起きてるんだ?」
「うん。一人暮らしだからね」
そんなことを話していると、リビングからは朝食の良い香りが漂ってきた。匂いから察するに、和食だろう。思えば朝起きて朝食が用意されているというのも新鮮だ。
「おはよ。朝ぐらい自分で起きて来なさいよ」
「おはよう。いや目覚まし家に置いてきてて……」
「全く。朝ごはん出来てるから、さっさと食べて準備しなさい」
「うん。ありがとう」
リビングに行くと、アカリが朝食の準備を終えた所だった。寝坊した僕を叱り、早く準備するその姿は──
「アカリちゃん、お母さんみたいでしょ」
「! いや別にそんなこと思ってないよ。ただしっかりしてるなって」
「嘘。顔に書いてあるもん」
「まぁちょっと思ったけど……」
昨日もそうだったが、ことあるごとに上比奈知に心を見透かされている気がする。顔に出やすい自覚はあるが、そんなに分かりやすいだろうか。
僕たちが食卓に着くと三人分しか食事は残っていなかった。アカリはもう食べたのだろう。
「そういえば先生は?」
「先に行っている。今日は職員会議があるそうだ」
「そうなんだ。大変だね」
「そうだな。私たちも早く食べて用意しないと」
「うん。それじゃ、いただきます」
「「いただきます」」
こうして僕たちは朝食を摂り始めた。目玉焼きとウインナー、味噌汁にご飯が並んでいる。
「目玉焼き、何かける?」
「僕は塩胡椒かな」
「はい、どうぞ」
「ありがとう」
僕は上比奈知から塩胡椒を貰って目玉焼きに振りかけ、アリスに渡した。
「はい、アリス」
「あぁ。ありがとう」
「なんでアリスちゃんが塩胡椒かけるの知ってるの?」
「幼馴染だからね。アリスが寮に入るまではよく一緒に食べてたから」
上比奈知は少し頬を膨らませて僕たちを見る。
「いいなぁ、そういうの」
「メイもアカリとはそんな感じじゃないか」
「それはそうだけど、あれじゃお母さんと娘っていうか。でも自分じゃあんまり気付かないね」
そんな話をしながら、食事を摂っていると、アカリが戻ってきた。さっきまで少し寝癖がついていた銀髪は綺麗に整えられている。
「まだ食べてたの? 早くしなさいよ」
「はーい」
上比奈知は間延びした返事で軽く返す。アカリは少し呆れた顔で上比奈知を見てはいるが、いつものことだと言わんばかりに、こちらに少し視線を向けて、肩をすくめた。
「ごちそうさま。美味しかったよ」
「そりゃどうも。洗面所混んじゃうから、食器はそこ置いて、アンタは先に用意して来なさい」
「分かった。ありがとう」
僕はアカリに指示された通り、食器をシンクに置いた。すぐに洗面所に向かうと髪を整え、歯を磨く。
アカリの第一印象は当たりの強い少女といった感じだったが、その実、ものすごく僕に気を遣ってくれたり、皆の世話をしていたりして、すごく優しい。言葉こそ厳しいものの、それが全てではないとすぐに気が付いた。
「洗面所空いたよ」
「なら次は私が行こう」
そう言ってアリスは洗面所に向かった。キッチンの方に目を向けると、上比奈知が食器を洗っている。
「男子は速いわね。アタシも結構早い方だと思ってたけど」
「髪濡らして乾かすだけでほとんど終わるから」
「ちょっと急かしたけど、これなら余裕そうね」
時計を見ると、確かにまだ時間はあった。アカリは四人分を考慮して計算していたようだ。
「それじゃ僕は今日の準備してくるよ。昨日そのまま寝ちゃって」
「えぇ」
こうして僕は、今日の時間割を合わせることにした。昼までの時間割に加え、魔道具を持って、用意は終わりだ。7時間目まであった今までとは違って、荷物が軽い。何か時間割を忘れているんじゃないかと思うほどの軽さだ。
用意を終えた僕はベッドに腰掛けて部屋を見渡してみると部屋にはまだまだスペースがある。ここで暮らすのに、家から何を持ってこようかと考えていると、ドアをノックする音が聞こえる。
「そろそろ出るわよ」
アカリの声がして、僕が部屋を出ると、皆が用意を終えて待っていた。
「うん。行こう」
僕たちは戸締りをして、寮を出る。学校まではかなり近いから、いつもより少しだけ出る時間が遅い。皆はこれが普通なのだろうが、僕だけは時間に余裕があるのに少し焦りを感じる。
「もう学校見えてきた」
「寮って美旗くんの家よりかなり近いよね?」
「うん。間に合うはずなのに、ちょっと焦るね」
「ふふ。寮からなら夜更かししてもギリギリまで寝てられるよ?」
上比奈知の提案は非常に魅力的に思えたが、アカリはそんな僕を咎めるようにこちらを見る。
「アンタね、それで起きてこなかったらほんとに置いてくから」
「大丈夫だよ。今まで一人暮らしだったし」
それを聞いて、アカリは少し気の抜けた顔をする。
「そういえばそうだったわね」
「美旗くんが今日は寝過ごしてたのはいいんだ?」
「昨日は疲れてたんだろう。メイは起こしても起きないからアカリに怒られるんだぞ」
上比奈知は口を尖らせながらアカリの方を見たが、アリスが釘を刺す。
「それは……。これからちゃんとします。多分」
上比奈知がそう言うと、二人が微笑む。なんだかんだと言いつつも、良い関係性のように見えた。
僕たちがたわいもない話をしながら学校へ向かっていると、すぐに校門に着いた。門をくぐって、そのまま教室へと向かう。
朝起きた時から皆がいて、そのまま学校へ向かうというのは不思議な感覚だ。修学旅行の時のような感覚が近いだろうか。
「美旗くん? どうかした?」
僕が少し感慨に耽っていると、上比奈知に声をかけられた。顔を上げると、アリスとアカリは少し前の方に行ってしまっている。
「朝から皆で学校行くの不思議な感じがしてさ」
「ちょっと分かるかも。最初は慣れないよね」
上比奈知はそれを聞いて何度か頷く。
「二人とも、早くしないと置いてくわよ」
「今行くー! さ、行こっか」
上比奈知はアカリが呼ぶ声に応じると、小走り気味に歩き出した。僕は上比奈知に釣られるように歩く速度を上げた。
「いつの間にか離れてたわね」
「ごめんごめん。考え事してて」
「それじゃ、行きましょ」
こうして僕たちは教室へ向かった。寮生活初めての朝は、あっという間に過ぎていく。