第三十五話 上比奈知メイ
「もしかすると皆さんから少し聞いていることや、ここで過ごしている中で気付いていること、説明が重複することもあるかもしれませんが、改めてもう一度説明します」
こうして先生は分厚い冊子を広げて、寮の説明を始める。
「はい。お願いします」
「まず、この寮は魔導科の皆さんが安全に暮らすためのものです。ですから、セキュリティもしっかりとかかっています。特にこれから、学生証は確実に持って外へ出てください。あれは鍵の一つですから、ないと家に入れません」
僕たちはこの寮に出入りする際、学生証をカードリーダーにかざしてから、鍵を解錠する。上比奈知の話だと、長い廊下に取り残されてしまうという話を聞いた。
「はい。休日出かける時とかは気をつけます」
「えぇ。お願いしますね。ここに誰もいないというのも珍しいとは思いますが、だからこそ忘れたときは面倒なので」
そう言って先生は優しく微笑んだ。先生の言う通り、ここ数日も、寮には誰かしらが中にいた。この文であればほとんどの場合は大丈夫だろうと思う。
「では次の説明です。ここは寮費を取らない代わりに、皆さんで家事を全て行っていただきます。現在は当番制になっていますから、皆さんと相談してまた当番を決めてください」
これはアカリが言っていた。ここの魔導科に来る人が減ってからは、先生の厚意でそうなっているらしい。
「はい。寮費がないの、先生のおかげって聞きました。ほんとにありがとうございます」
僕が頭を下げると、先生は首を横に振っていた。
「いえいえ、これは私が勝手にしていることなので。気にしなくて構いませんよ」
「でも……。助かります」
「その気持ちだけで報われた気持ちになります。それと、次は──
この後も先生からは寮の細かい規定についての説明があったが、それは共同生活を送る上で当たり前のことや、要も無くあまり二階へは上がるなということだった。皆は平然と僕を二階にあげていて、僕も感覚が麻痺していたが、やはり自制するべきことだった。
「長くなりましたが、これで説明は以上ですね。お疲れ様でした」
「ありがとうございました。これからよろしくお願いします」
「はい。よろしくお願いしますね」
こうして僕は席を立ち、退室することにした。
「それじゃあ、失礼します」
「はい。ではまた」
こうして僕は先生に見送られて、部屋を出た。僕はそのまま自分の部屋へと戻ると、上比奈知も読んだことがあるという、先ほど持ってきた小説を読むことにした。
(結構進んだな)
小説を読み始めてから数時間、外は暗くなり始めていた。久々に読んだのもあって、結局ほとんど最初の方から読み始めたことを考えると、随分読み進めれた気がする。
部屋のドアが叩かれたのはそんな時だった。
「美旗くん、いる?」
「どうぞ」
僕がそう言うと、上比奈知はドアを開けて入ってくる。何か用だろうか。
「あ、それ読んでたんだ?」
「うん。初めの方から読み直しになっちゃったけど、半分くらいまでは来たよ」
「そっか。面白い?」
「うん。結構好きかも」
それを聞くと、上比奈知は嬉しそうな顔をする。この作家が好きと言っていたから、同じ嗜好だったのが良かったのだろう。
「他の私の部屋にあるから、また読みたくなったら言って?」
「なら、これ読み終わったら、何か一冊借りようかな」
「そっか。また選んどくね」
上比奈知は赤い髪を揺らしながら喜んでいる。上比奈知がここまで喜ぶなら、もっと読んでみてもいいかもしれない。
「お願い。……それで、どうかしたの?」
「あ、そうそう。今日も私の部屋に来て欲しいの。魔道具の修理するから……」
上比奈知はこちらをじっと見る。僕はそれに応えようとしたが、先ほど先生に言われた言葉が脳裏をよぎる。
「あ、でも先生にあんまり二階行くなって言われたんだ」
「先生に怒られちゃった?」
「っていうよりは、転科するのに基本的な説明受けた感じかな。そこで一応言われたんだ」
「でも魔道具の修理は集中できるところじゃないと難しくて……」
上比奈知は少し俯いて考え込んでいる。確かに魔道具を治す様子を見ていると、邪魔が入る空間では難しそうだった。
「……なら、ここでやる? 椅子ならあるし」
「へ、こっ、ここで!?」
僕が上に行けないなら、上比奈知がここを使えば良いのではないかという単純な発想だったが、上比奈知は随分と驚いた声をあげる。
「うーん、ここじゃちょっと難しいかも……」
驚いていた顔から一転して、上比奈知は真っ赤な顔で小さくつぶやく。なら、やはり僕が上に行くしかなさそうだ。
「なら、やっぱり上比奈知さんの部屋いこっか」
「そうしよ! 先生には私から言っとくね」
後の日程が決まると、上比奈知は早々に部屋から出て行ってしまった。
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上比奈知が部屋に来た後しばらくして、僕はアリスに呼ばれ、皆で食事を摂った。
皆が部屋へ帰ると、上比奈知に連れられて僕は上比奈知の部屋へと向かうことになった。
「なんでこんなこっそり……?」
「……なんとなく? 雰囲気出るかなーって」
「何の雰囲気なのさ……」
そんな話をしながら僕たちは階段を登って、上比奈知の部屋へ入る。
「お邪魔しまーす……」
「美旗くんだって小声になってるよ?」
忍足でここまで来たせいか、僕の口から出た言葉は驚くほどか細いものだった。
「それじゃ、今日も初めていこっか」
「うん。お願いします」
僕は上比奈知に魔道具を預ける。上比奈知はいつものように指輪を嵌めると、魔道具を握り込んで能力を行使する。
やはり上比奈知の顔色は優れないようだったが、この間よりはマシなようだった。
「これで今日は終わりかな」
上比奈知は魔道具を丁寧に僕の手へ手渡した。
「そっか。……いつもありがとね」
「どういたしまして。多分明日学校で使ったら全然違うと思う」
上比奈知はそう言って胸を張っている。どれほど使えるようになっているのか楽しみだ。
「また試してみるよ。結構楽しみかも」
「期待してて? すっごいから。……多分」
上比奈知は自分でそう話すと自分から吹き出してしまう。僕もそれに釣られて笑ってしまう。
上比奈知との話が一段落すると、僕は部屋の内装に目がいった。この間ここに来たときは上比奈知にからかわれて、部屋のことなど気にすることもできなかったが、部屋は髪と同じ赤を基調とした調度品で揃えられていた。赤がベースなのに、不思議と落ち着きがあるのは、今までにない経験だった。
「ふふ。気になる?」
「あ、ごめん。この前来た時はそれどころじゃなかったから……」
「美旗くんも大分馴染んできたよね。私にもしっかり反撃してくるようになっちゃって」
「上比奈知さんって、こっちがからかわれてる時は全然敵わないように思うけど、意外と脆いよね」
「そんなこと知らなくていいのに」
上比奈知は自分の弱点を勘付かれたのがご不満なようで、頬を目一杯膨らませていた。
「それに、アカリちゃんのこと知らない間に名前で呼ぶようになってたし?」
上比奈知は冷たく、そして何より寂しげな視線をこちらへ向けてくる。
「アカリに本宮さん、って呼んだら反応されなくてさ。慣れないから名前で呼んでくれって言われちゃって」
「……そっか。確かに先生と分かりにくいもんね」
アカリは先生と姉妹ということもあって、あまり知り合いから名字で呼ばれることは少なかったようだ。上比奈知もそれで納得してくれたらしい。
「……私も普段名字で呼ばれないんだけどな」
「え……。そうなの?」
「だってカミヒナチって長いし言いにくいもん。ここだって皆メイって呼ぶでしょ?」
「確かにそれはそうだけど……」
僕が困惑していると、上比奈知は悪戯っぽい顔で少し笑みを浮かべながら囁く。
「ね、メイ、って呼んでみて?」
上比奈知に耳元まで近付かれて、上比奈知の熱を感じる。僕も顔が火照っているのは分かるが、二人の熱が溶け合うほどの距離で、自分の顔がどうなっているのか自分でも分からなかった。上比奈知の髪がすぐ隣にあって、甘い香りがする。
アカリと同じように呼べば良いだけのはずが、僕の口は固まったまま、ピクリとも動かなかった。
「あ……」
「……私じゃ……だめ……かな」
耳元まで近付いていた上比奈知は僕から離れた。気まずそうに少し目を背けた彼女の横顔は、辛そうにも、寂しげにも見える。
「メイ…………さん」
その時、僕の口から彼女の名が溢れた。
「……アカリちゃんに、さん、ってつけたの?」
それを耳にした上比奈知は、笑みを抑えながらこちらへまた近付いてきた。
「…………メイ」
「ハルくん、顔真っ赤」
僕は上比奈知に名前で呼ばれる。上比奈知は自らも顔を真っ赤にしながら、僕の頬を両手で撫でる。
「気付いてないかもしれないけど、メイも耳まで真っ赤だよ」
「もう。私だって分かってるんだから」
上比奈知は僕の指摘に頬を膨らませながらも、どこか満足気だった。
僕は上比奈知が満足いくまで頬をさすられた後、ようやく解放された。
「………ハルくん、今日はありがとね」
「メイも、今日はありがとう。また明日」
こうして僕は上比奈知の部屋を出て、寝室へと戻ることにした。
部屋へと戻ってきた僕は、明日が学校ということもあって、早めに寝ることにした。
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「ん……」
目覚ましが鳴って、目が覚める。なり続ける目覚ましを止めると、僕はリビングへと顔を出す。
リビングにいたのはアカリと先生だった。
「おはよ、早いわね」
「おはようございます。改めてこれから、二年間よろしくお願いしますね」
「はい。卒業までよろしくお願いします」
アカリはピンと来た様子で、僕の方を見て何度か頷く。
「書類書いたのね」
「うん。これからよろしくね」
「えぇ。家事も頼むわよ」
アカリとそんな話をしていると、アリスと上比奈知もリビングへやってきた。
「「おはようございます」」
「おはようございます。今日からは美旗さんが正式に魔導科の生徒となりますよ」
「もう今日からなんだ。改めてよろしくね?」
上比奈知は嬉しそうに少し跳ねている。
「ハルもとうとう正式に魔導科か」
アリスは感慨深そうに話している。
正式に転科することを随分前から決めていた僕も、今になってようやくこれからの二年間はこの仲間で、こんな日常を過ごしていくことになるのだろうという実感が湧いてきた。
「うん。皆、これからもよろしくね」




