第二十九話 十八番
「そろそろ皆呼んでくるけど、つまみ食いしないでよ」
「流石にしないって」
アカリはそれを聞いて苦笑いしている。僕もここの事が少しずつ分かってきた。アカリがわざわざこんな忠告をするということは──
「ま、そうよね。でもつまみ食いするのがいるのよ、ウチには」
リビングの扉が開いたのはそんな時だった。
「良い匂いがしますね」
アカリは無言で先生を見つめている。僕もアカリの言わんとすることを理解し始めていた。
「ど、どうかしたんですか? まだ何もしてませんが」
先生は目を泳がせながら、アカリと僕を交互に見る。今回は特に何もしていないが、先生の口ぶりからして、様々な問題を引き込んでくるのだろうことが想像できた。
「皆呼んでくるけど、つ、ま、み、食、い、しないでよ!」
「もちろんです。大人しく待っておきますね」
「何よ、やけに素直ね」
アカリは訝しみながらも、アリスと上比奈知を呼びにリビングを出て行った。
「では早速……」
「サキ?」
「うひゃあっ!?」
アカリが出て行ったのを見て、こっそりとキッチンへ入り込もうとした先生だったが、出てすぐにリビングの扉を開けたアカリに会えなく見つかってしまっていた。
「なんで我慢ができないわけ?」
「出来立てが食べたくて……」
アカリに詰め寄られて、先生は小さくなっている。実際にはそんなことはないのだが、アカリの方が先生より何倍も大きく見えた。
「どうしたんだ、ドタバタして」
「何かあったの?」
アカリが説教をしていると、二人がリビングへやってきた。キッチン前の廊下で縮こまっている先生を見て、二人も事態を察したようだ。
「あぁ。なるほどな」
「そんな、憐れみの目で見ないでください……」
先生は二人を見上げて、懇願しているが、二人は先生に対する目線がどんどん冷たくなっていく。
「なら行儀悪いことしないの」
「はい…………」
「こんな話してたら二人も来たし、ご飯にしましょ」
アカリは手を腰に当てて、話題を切り替える。それに上比奈知は元気よく手を上げた。
「はーい!」
「それじゃ、準備しましょ」
こうして僕たちは夕食の準備に取り掛かかった。僕と上比奈知は皿を出し、アリスが食材を運ぶ。先生は自分の分とお酒を用意しているようだった。
「やっぱり一人でも人手が増えると早いわね」
「そうだな」
「そろそろ食器の位置とかも覚えてきたかも」
「それは結構。これからはコキ使っていくわよ」
「うん。任せて」
僕の言葉にアカリは微笑んで、大きく頷く。
「それじゃ、食べましょ」
「「「「「いただきます!」」」」」
「何にしよっか」
上比奈知は海苔に米を載せながら、刺身を見つめている。
「私はそうだな……」
アリスは早々と決めて、もう食べ始めている。僕も適当な刺身を選んで手巻き寿司にしていくことにした。
「やっぱり休日のお酒は最高ですね……」
先生はアカリに作ってもらったのであろう大きなだし巻きと刺身を片手に、徳利に入ったお酒を飲んでいた。
「今週はコイツが来た時にも呑んでたでしょ」
「あれはたまたまですよ」
先生は頬を膨らませていた。担任の先生のこんな姿が目に入るというのも不思議な話だ。
「そういえば、美旗くん明日はどうするの?」
上比奈知に声を掛けられて、最初はなんのことか分からなかったが、すぐに引越しの事だと気付いた。
「とりあえず僕は一旦帰って片付けかな。持ってくるものは決まってあるからまた連絡するよ」
「ハル、私も手伝おうか」
あまりこちらに持ってくるものは多くないし、片付けもアリスが手伝ってくれればすぐに終わるだろう。
「頼んでいい?」
「あぁ」
「……私も手伝いにいこっか?」
上比奈知はそう言ってくれるが、僕とアリスがいれば十分なようにも思える。
「大丈夫だよ。アリスがいればなんとかなると思うし」
「ほんと?」
「うん。片付けまで手伝ってもらうのは申し訳ないよ」
「……アリスちゃんは良いんだ?」
上比奈知は食事に手を伸ばしながらそう話す。
「まぁ幼馴染だし……。悪いけど手伝って、って感じかな」
「……そっか」
「私は別に構わないぞ」
アリスはこちらを見て微笑む。アリスには今までも色々と手助けして貰っているが、こう言ってもらえると少し気が楽になる。
「そういえばハルの家に行くのは久しぶりだな」
「確かに。ちょうど一年振りくらい?」
「私がここに入寮してからは行った記憶がないな」
アリスが最後に家へ来たのは、僕たちが中学校を卒業した頃だったように思う。学校やスーパーなど色々なところで出会うから随分最近まで家に来ていたように感じていたが、こうして考えるとアリスを家にあげるのは久しぶりだった。
「部屋、かなり汚いけど許してね」
「そんな状態でメイを家に?」
「床に落ちてるの全部僕の部屋に押し込んだから……」
「もしかしてそのまま放置してきたのか?」
「あ……!」
アリスに言われてようやく気付く。洗濯物などベッドの上にハンガーごと放り投げたままだ。三日ほど経ってシワだらけだろう。
「明日は長くなりそうだな……」
アリスは信じられないという目つきだ。アリスには申し訳ないが、明日はしっかり手伝ってもらおう。
「私もそれ貰って良いですか?」
「もう無くなったの!? お酒もこんなに呑んで……」
先生は二本目の一升瓶を開けている。刺身とだし巻きの皿は空になってしまっていた。正直これだけの手巻き寿司は四人で食べ切れないだろうから、先生は食べてくれるのは助かる。
「まぁ良いけど。どうせ食べ切れないし?」
「ありがとうございます! ではいただきますね」
先生は酔っているのか、左右に少し揺られながら手巻き寿司を作っていた。
僕も夕飯が無くならない内に一通り食べてしまうことにした。
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「やっと片付け終わったね」
僕たちは夕飯を食べ終え、片付けを済ませていた。昼食も重めのものを食べたせいか、あまり食べられなかった気がする。
「結局サキが一番食べてたんじゃない? 最後まで食べてたでしょ」
「皆さんが食べなさすぎるんですよ……。特に美旗さんなんて、もっと食べないと……」
「酔ってるからって余計なこと言わなくていいの」
先生は酒が入って赤くなっている。アカリは怒ってくれているが、実際僕ももっと食べれた方がいいのかもしれない。
「うーん……」
先生はアカリに返事にもなっていないような声だけをあげると、そのまま眠ってしまった。
「全く、悪いわね。こんな姉で」
「大丈夫だよ。実際僕ももうちょっと食べれた方がいいかなって思ってるし」
「そう。ありがと。それじゃアタシはこのバカ姉を部屋に連れてくわね」
アカリは先生の顔を何度か軽く叩いて目を覚まさせると、そのまま部屋へと引っ張っていった。
最初ここに来た時は先生があんな感じなのだとは知らなかったが、これではアカリも大変だ。
「美旗くん」
部屋へ連れて行かれる先生をのんびり見ていると、上比奈知に声を掛けられる。
「どうしたの?」
「今、先生のこと苦笑いしながら見てたから。馴染んだなぁって」
「馴染んだって言っていいの、それ……」
「言っていいと思うよ? 今まではずっとどこか緊張してる、って感じだったから」
確かに異性しかいない空間で過ごすのは初めてで、ずっと気になっていた。あまりそれを表立って見せるつもりはなかったが、無意識のうちに出ていたということなのだろう。
「確かにそうだったかも。学校の先生と暮らしてるってだけでも不思議な感覚だったし」
「今日は美旗くん、笑ってることが多かったから。良かったなぁって」
そう話す上比奈知は微笑んでいた。上比奈知がよく笑っているからあまり意識していなかったが、ここに来てからは緊張や戸惑い、驚きといった感覚が大きく、笑っている機会は思っていたよりも少なかったのかもしれない。
「自分でも気付いてなかったよ。確かにこんなに楽しかったの久々かも」
「普段は一人なんだもんね?」
「うん。やっぱり買い物とかも近所で済ませちゃうし」
「そっかそっか。……また行こうね」
上比奈知の赤い目が優しい目つきでこちらをじっと見つめている。上比奈知に見つめられると、どうしても自分からは目が離せなかった。
「……うん。楽しみにしてる」
「絶対後悔させないから。期待してて?」
上比奈知は胸を張っている。今の時点でも十分すぎるほどだったが、上比奈知にとってはまだまだこれからのようだ。




