第二話 転科
「上手くいったんじゃないかな……!」
少しの間、机に突っ伏していた上比奈知は起き上がると満足そうな表情でこちらを見つめる。しかし、その満足げな顔とは対照的に、顔色は酷く悪いように見えた。
「すごく具合悪そうに見えるけど、大丈夫?」
「大丈夫大丈夫。それよりも時計は動いてる?」
「見た感じ動いてそうだけど……。要らない紙とかってあったりする?」
「こんなのでいいかな」
僕は懐中時計を開け、上比奈知から受け取った紙を丸めて軽く投げた。時計の針の加速に伴って軽く投げた紙は何かから打ち出されたような速度で壁に叩きつけられた。
「ほんとに動いてる……!」
「他に能力はあったりするの?」
「ほとんど使ったことないから分からなくて」
上比奈知に時計の能力を説明する。普通なら魔道具を持っている人は小さい頃から研鑽を積んで、その魔道具が持っている能力を引き出しているが、僕は小さい頃に時計が壊れてから魔道具をろくに扱ったことがない。時計の能力が加速の能力であるということは、今は亡き両親から聞いたことで、今も覚えている数少ない事の一つだった。
「そうだよね。小さい頃に壊れたって言ってたもんね」
「もう少し使えば、他にも能力が引き出せるかも」
そうして僕はまた丸めた紙を投げて加速の力を使ったが、先ほどよりも少し遅く、明らかに出力が落ちてた。
「あれ? さっきはうまくいったのに……」
「多分、魔道具をほんの少し治せただけなんだと思う。何回も治癒の力を使っていけばちゃんと治っていくんじゃないかな」
上比奈知は少し首を捻りながら、仮説を述べた。これを何回も続けていけば時計が元に戻るかも、と言われたが、それでは上比奈知に負担がかかりすぎるのではないかと感じる。それに、あんなものを毎回見せられるのは……。僕としては魔道具が使えなくとも、自分の手に戻ってきただけで満足だった。
「でも、そんなことしてたら上比奈知さんに負担がかかりすぎるし、遠慮しておくよ」
「私、この時計が本当に元に戻るか興味があるの。美旗くんさえ良かったら、私にこの時計治させてくれないかな?」
僕が、時計の修理を固辞しようとすると、意外にも上比奈知は食い下がってきた。僕としては、時計は元々壊れているのだし、上比奈知が良いのであれば、試すだけ試してダメならダメでも良いのではないかとも感じる。
「上比奈知さんが良いなら僕も良いよ。元々壊れてるものだし」
「ほんと? ……でも今日は疲れちゃったから、美旗くんの都合が付くならまた明日、この時間にここ集合でいいかな?」
「分かった。今日はありがとう。また明日」
「うん。また明日」
こうして上比奈知に別れを告げた僕は帰路に着いた。しかし、魔道具も治癒できるなんて驚きだった。この地域は魔道具を扱える人間は珍しく、魔道具が使えるようになれば、転科の話が来るかもしれない。
「確か家に何もなかったな」
僕は帰りに近所のスーパーに寄ることにした。僕が上比奈知と話している間に、割引セールが始まっていた。半額のシールが貼られた弁当を買ってスーパーを出ようとすると、ちょうど買い物を終えたであろうアリスを見かけた。
「アリスも買い物?」
「卵を切らしていてな。ハルは……また弁当か。出来合いの物ばかり食べているといつか身体を壊すぞ。やっぱり私が食事を作った方がいいんじゃないか?」
アリスは昔から1人で住んでいる僕のことを気遣ってことあるごとに食事を作ってくれていた。しかし、高校に入ってからはアリスが入寮したため、できるだけ自分で食事を作るようにしていた。
「そんなの悪いよ。今日は遅くなったからたまたま買っただけだし」
「そういえば時計の方は見つかったのか?」
「それなんだけど……」
僕は事の顛末をアリスに話した。上比奈知が時計の拾い主であったこと、上比奈知の能力が時計にも発動したこと、それによって魔道具が少し使えるようになったこと。
「メイがそんなことを? まさかあの力が魔道具にも効くとは」
「僕も初めはびっくりしたよ。でもこれがまた動くなんて」
「私も魔道具が治るなんて初めて聞いたぞ」
確かに上比奈知も試したことはないと言っていたし、やはり珍しい現象であることは確かなようだ。
「でも一回目はちゃんと使えたんだけど、もう一回使おうとしたら上手くいかなくて。何度か治癒の力を使えば元に戻るかもって言われたから、明日も教室に行くことになってるんだ」
「そうか。時計が戻ればハルの失われた記憶も元に戻るかもしれないな」
「そうなるといいけど、ね」
「それじゃあ私はこっちだから。おやすみ」
「うん。おやすみ」
こうしてアリスと話しながら買い物を済ませた僕はようやく家に着いた。干していた洗濯物を取り込み、風呂を沸かしてから、買ってきた弁当を食べる。
今日は色々あって疲れていたのか、風呂に入った後はすぐに眠くなった。寝るには少し早い時間だったが、そのまま寝てしまうことにした。
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次の日、学校に行くと担任の先生に魔導科の本宮先生が僕に話があるから昼休みに職員室へ行くよう言われた。おそらく上比奈知さんについてか、時計に関する話だろう。
そして僕は昼休みになると、本宮先生に会うため、職員室を訪れるとそのまま応接室のようなところに通された。
「こんにちは、美旗さん。わざわざすみません。お昼休みなのに」
「いえ。多分昨日のことですよね?」
「そうですね。それともう一つお話が」
応接室に控えていた本宮先生は、僕が椅子に座ると、話を切り出した。 それにしても、もう一つの話というのはなんだろうか。特に思い当たる節はなかった。
「ではまず、昨日のお話です。上比奈知さんから魔道具を治すことに成功した、と伺ったのですが、その時計を少し見せてくれないでしょうか」
「分かりました。……これです」
僕はジャケットの内ポケットから時計を取り出して本宮先生に渡した。本宮先生は少し外側を見てから、時計の蓋を開けて中まで確認している。
「確かに動いているようですね。それでは、早速本題なのですが、魔導科への転科の話です」
「転科ですか? でも僕の時計は……」
僕の時計はまだほとんど使えない上に、一度使うと出力が落ちる。魔道具はまだこんな状態なのに魔導科から転科の話が来るとは驚いた。
「美旗くんの時計のことは聞きました。それでも、少しは使えますし、何より治る見込みがあるなら早い方がいいかと思いまして。もし魔導科が合わなければ普通科に戻ればいいですから」
「戻れるんですか?」
「はい。初めは体験入学のようなものです」
魔導科がダメだったときに普通科に戻れるなら、一度魔導科で授業を受けてみてもいいかもしれないとは直感的に思ったが、僕はこの場で即答はできなかった。
「……一度考えてみます。ごめんなさい、すぐには答えられなくて」
「いえ、急な話ですし、構いませんよ。お返事をお待ちしていますね」
こうして話していると、予鈴が鳴った。もう少し話を聞きたかったが、すぐに教室に戻らなくてはいけない。
「はい。では失礼します」
僕は本宮先生に挨拶をしてから、すぐに教室へ戻ることにした。
それにしても転科か。僕はどうするべきなんだろうか。確かに魔道具は多少使えるようになったし、興味がないわけではない。それでも、今までろくに魔導科の授業を受けていない僕が二年生の途中からついていけるかには不安があった。
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転科の話を考えながら午後の授業を受けていると、時間はあっという間に過ぎていた。上比奈知のもとへ行かなくては。そこで一度転科について相談してみてもいいかもしれない。
僕はまた、許可証をもらって、上比奈知の元へ出向いた。相変わらず扉には鍵がかかっていて、僕が戸を叩くと上比奈知が戸を開けてくれた。
「こんにちは。わざわざありがとね」
「ううん。魔道具を治してもらってるのはこっちの方だし、全然大丈夫だよ」
「ふふ。それでも、だよ? それじゃ、早速始めよっか」
上比奈知は赤髪を揺らしながら笑っている。そんな上比奈知に時計を渡すと、上比奈知は真剣な表情に変わって、時計を握り治癒の力を使い始めた。昨日も感じたことだが、西日が少し差し込む教室の中で、汗を垂らしながら時折小さく声を漏らす少女が目の前にいると、目のやり場に困る。
「ふぅ……。今日のはこんなところかな。少し試してくれない?」
「分かった」
僕は上比奈知から時計を受け取る。先ほど変なことを意識したからだろうか。時計に残る温もりがやけに気になる。
そんな気持ちを振り払って、僕は時計を持って加速の力を何度か使ってみたが、確かに昨日よりも少し長く使えた。
「やっぱり、私の力をもう一度使ったら少しずつ時計の魔力も増えてるみたい。明日もこの時間でいい?」
「うん。それと、一つ相談したいことがあって」
「何か悩み事でもあるの? 恋、とか」
上比奈知はいたずらっぽくこちらを見る。魔道具のことを話していたときにはすごく真面目で、真剣な顔つきで話していたのに、突然こんな話になるなんて。
「違うよ……! 本宮先生に転科の話をされて」
「転科かぁ。確かに、いきなり言われても困るよね。でも魔導科のことなら少し話せるよ?」
「今までずっと普通科だったからついていけるのかなって思ってて。魔導科って普段はどんなことしてるの?」
「普段の授業はほとんど普通科と変わんないよ。魔導科特有の授業もあるにはあるけど、先生が皆に合わせてくれるから、ついていけないなんてことはない……と思う」
上比奈知はしっかりと魔導科の授業について話してくれた。僕がまだ普通科だから多くは語れないようだったが、語れる範囲で色々と教えてもらった。
「先生から一応合わなかったら戻れるって聞いてるけど、本当に大丈夫なのかな」
「大丈夫だよ。何かわからないことがあったら私が手助けしてあげるから。元々は私が魔道具を直して美旗君に転科の話が来たんだし。ね、こっち来ようよ」
「……なら転科の話、受けてみようかな」
確かに魔導科には上比奈知もアリスもいる。万が一何かあってもなんとかなるだろう。時計を治してくれている上比奈知がこうして誘ってくれているのに、僕が断る明確な理由はなかった。
こうして僕は上比奈知の誘いに応じる形で、転科をすることに決めた。
「今日はありがとう。また明日」
「うん。魔導科に来るの、待ってるね」