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92ピッチ目 憤り


マルセロの話を聞いて、俺は猛烈に憤りを覚えた。


いくら宗教的聖地を穢したからと言って、幼い少年から父親を奪っていい理由になるわけがない。


それに、崖を登ることが果たして本当に聖地を穢すことになるのか。


なにより、傷ついている人間をそのままにしていて平気な顔をしている敬虔な信者たちに最も腹が立った。


目の前の困っている、傷ついている人間に手を差し伸べることすらせずに、彼らは神に顔向けできると思っているのか。


それどころか聖地で人を傷つけ、子供から父を奪い、そんなことが許されるはずがない。


マルセロが不憫でならなかった。


「マルセロ、俺たちと来いよ」


俺はほとんど無意識に口走っていた。


「岩、登るの好きなんだろ?俺も岩を登るのが好きだ。一緒に行こう。きっと楽しめる」


マルセロはまた驚いた様子だった。


そしてもう一度うつむいた。


「でも、僕はこの町しか知らない…一緒に行くことも出来るけど、僕はまたわからないで誰かを傷つけてしまうかもしれない…」


「マルセロ、君は悪くない。そこにある壁はだれのものでもないんだろう?神様はその壁を大事にしてほしいって誰かに言ったのか?登ってはならないと言ったのか?それを聞いた人なんてどこにもいないはずだ。だから君のお父さんを傷つけた人たちが悪い。君はただ壁を登っただけだ」


マルセロはぽかんとしていた。


悪いことをした、理由はわからなかったがただあの壁は登ってはいけないものなんだとあの時に散々に言われてそう思っていた、思い込んでいた。


そうだ、あの壁を登っていはいけないなんて誰も言っていない。


父も言っていないし、その場に注意書きがあるわけでもない。


マルセロは憤りを覚えているように見えた、俺と同じく。


「ノボルさん、僕も…僕も連れて行って。一緒に行くよ」


決意に満ちた目だった。





一つ見ておかなければならないものがあった。


聖壁だ。


レオノールの町を出て少し行ったところ、金銀街道ではないが別の道が断崖沿いに走っている。


断崖と言っても、二十メートルほどだろうか、大した高さではない。


その道が崖と共におおきく九十度右に曲がる箇所、そこに人が数人座り込んで祈りをささげていた。


「あそこか…」


そこもさりとてなんてことはない、普通の岩壁だった。


「やるぞ」


俺はマルセロの案内で崖の下へ回り込んだ。


そして、おもむろに岩壁にへばりついた。


マルセロが下から見上げている。


どこか尊敬のような目でありながら、その瞳には不安を湛えていた。


しかしその瞳もすぐに見分けられなくなった。


岩壁には弱点が多く、けがをしてさえいなければ牛飼いの男性なら登ることができただろう。


しかし三日三晩、身動きが一切取れないような状況でありながらもなんとか生きようとしたからこそ、その男性は神に救われたのではないだろうか。


崖を登ること、つまり生きること、それを突き詰めずして救いなど訪れるはずがない。


俺は崖を登り切った。


目の前には数人の信者たちが膝をついて祈りをささげていた。


そして伏せていた顔を持ち上げ、皆一様に驚いた目で俺を見つめていた。


「…ここが聖地とわかってやっているのか?聖地を穢したな。許せん」


一人の信者がそういうとその感情はあっという間にほかの信者たちにも広がっていった。


「そうだそうだ、許せぬ!我々で正義を下そう」


危険な雰囲気になってきた。


だが…


「待て、お前たちは何に祈りを捧げている?奇跡が起きた場所だからただ祈りを捧げているのか?何かを信じることは素晴らしいことだと俺も思う。だが、それは人に強要すべきではないし、ましてや他人を傷つけていい理由にはならない!俺が崖を登ったのは俺が登りたかったからだ。俺は俺なりに、ここでかつて起きた奇跡は生きることを諦めなかった人にのみ再現されると解釈している。だから俺は、奇跡の男性にはできなかった、助かろうと懸命に崖を登ろうとしたかの男性の心を汲んだまでだ」


この時、俺には見えなかったが、俺の背後には急に湧いてきた霧の中に確かに強大な存在を感じたという。


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