84ピッチ目 最後の障壁
翌朝、登ってくる朝日と共に目を覚ました。
自分が思っていたよりも疲れていたらしく、朝までぐっすり眠ってしまった。
チューブツェルトから頭を出すと、登ってきたばかりの太陽とそれを受けてきらきらと輝く海と町があった。
美しい景色だった。
クライミングをしていて海が見えるスポットはなかなかない。
簡単に朝食を済ませ、今日のルートを見上げる。
あと数ピッチ行けば壁はその斜度を緩めて緩傾斜のスラブになりそうだった。
スラブになった先、一度角度が立っているところがあるのかまた垂壁っぽく見える壁があってその先はもう完全に緩傾斜帯に入るようだ。
何はともあれ、今日のルートは決して難しくはなさそうだし、とにかく登ってみるしか道はない。
さっさと片付けをして、二日目一番の気持ちのいいクライミングをスタートした。
ふと下を見ると昨日はいなかった市民たちがなにやら壁の基部に詰めかけていた。
オリビア、ガルバンさん、アーガイルさんの三人の姿もなんとなく見える。
みんなが大きく手を振っているのを見るとどうやら何かトラブルってわけではなさそうで一安心だ。
俺も大きく手を振りかえした。
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それから大したことのないピッチを五ピッチ登った。
予想通り壁は一度斜度を緩めたが、その先で再び急激に立ち上がって登らせまいと最後の抵抗を見せている。
ルートになりそうなのは一筋のクラック。
しかしそのクラックも途中で終わり、そこから右上に大きく発達した、登りやすそうなフレークが発達していた。
これなら難なく登れる。
そのクラックに取り付き、突き当たるところまで登り詰めたのもつかの間。
そのフレークはとてもそのまま手が届く距離ではない。
ジャイアントルーフ下で使ったようなスイングも、右上にあるフレークへ移るのには使えない。
ランジで取りに行くしかなさそうな距離感だ。
ランジとは大きく飛び上がって遠くのホールドを取りに行くムーブだ。
外岩のリード、ましてマルチでは相当の難易度のルートでなければ出てくることのないムーブ。
それは勢いよく飛び出して万が一落ちた時、その反動で支点に掛かる負荷が大きく危険だからだ。
しかしそうも言っていられない。
心を決めるしかない。
ハーケンをクラックにしっかりと打ち込む。
飛べない距離じゃない、それに出た先のフレークはかなりのガバに見える。
大丈夫、ジムでいつもやっているムーブだし、いつも通りやるだけだ。
俺は体を大きく振って、両手と両足での飛び出しに全神経を集中した。
そして…
両足に全力を込める。
体が大きく伸び上がり、それに合わせてタイミング良く手でホールドを引き付ける。
一瞬体全体がふわっと宙に浮き上がった。
岩壁上部六百メートルでの無重力状態はいささか恐ろしいものだが、最高に集中している俺には関係なかった。
いける。
そして俺の両手はしっかりとフレークを握り込み、反動で大きく振られる体も両足がスタンスを捉えてがっちりと受け止めた。




