8ピッチ目 カラビナの話
チルナーダ山に登ってから一週間が過ぎた。
マシカラを直接目にして、必要になる装備が具体的に見えてきた。
クライミングロープ、カラビナ、カム、ピトン、アイスバイルにアイゼン、必要なものはたくさんある。
まずはこれらの道具をどこで手に入れられるかを考えないといけない。
と思って、俺はまたフローデンの町に来ていた。
「カラビナはもしかしたら鍛冶屋かどっかで手に入るかもしれないが、カムはまず無理だな…ピトンも鍛冶屋でどうにかなるだろう。アイゼン、簡単なものなら入手可能だな」
まずは鍛冶屋に行ってみるか。金物は鍛冶屋で依頼して作ってもらうのが一番早そうだ。
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ファンタジー小説の世界でしか見たことが無いような鍛冶屋が目の前にあった。
ドワーフらしい見た目の人がハンマーを手に真っ赤な鉄を叩いている。
「あの、すみません…」
ギロリとこっちを見てくるのは正直あまり感じが良いとは言えない。
「どうした、何か作ってほしいのか?」
表情だけじゃなくぶっきらぼうな感じでそのドワーフは言った。
「この世界にないものかもしれないのですが、いくつか作ってほしいものがありまして…」
「ほう、初めて作るものか!どれ、どんなものを作ってほしいんだ?話を聞こうじゃないか」
モノづくりの話になると途端に興味を示すところを見ると、やはり根っからの職人気質なのだろう。
それから俺はそのドワーフ、ガルバンさんにまずはカラビナの説明をした。
カラビナ、キャンプなどでも使われるほか、ちょっとしたアクセサリをぶら下げるのにもつかわれる。だがクライミング用はそういった汎用のものとは大きく違う。
クライマーがフォール(落下)した際に地面まで落ちないように支点の役割を果たすものがカラビナだ。岩壁に杭を打ち、その先端にカラビナを掛ける。さらにカラビナに末端を地面、もう一方を自分に固定してあるロープを通すことで、もし落下してもクライマーはそのカラビナにぶら下がることが出来るという仕組みだ。
そのためカラビナにはサイズと重量にそぐわないかなりの強度が求められる。具体的には二十四キロニュートン、約2.4トンの荷重に耐えうることが必要だ。
人間がその体で耐えることのできる限界荷重が約十二キロニュートン(個人差はあるが)。落下してロープに荷重がかかる時には人間と地面に衝撃が分散されるため、人間に十二キロニュートンが掛かるということは支点のカラビナにはその倍、二十四キロニュートンがかかることになる。
つまり、傷んでいないカラビナが破断するということは人間は落下時の衝撃で地面に墜落していなくても絶命しているのだ。そのギリギリの強度を保つのがクライミング用のカラビナというわけだ。
クライマーがその命を預ける道具、しかしこの世界には残念なことに破断する荷重を測定することも、恐らく軽量な金属も存在しない。鉄製のカラビナであれば強度はそれなりに出るだろうが、とにかく重い。
こういった道具の製造に高度な技術が要求されることが、近代登山が十九世紀まで行われることがなかった所以だろう。
「できそうですか?」
「ううむ…もちろんできないことはない、ないが…絶対に壊れないことは保証できんな…何か、荷重をかけて測定する方法があればいいんだが。ん、まてよ?商人どもが使ってる計量器、あれを応用すればかかる荷重を確認できるんじゃないか?」
商人たちの使っている計量器、貿易品の重量を計るためのもののようだが、どうやら巨大な天秤のような仕組みらしい。
確かに天秤の一方の皿をぶら下げる部分にカラビナを使って重量物を乗せていけば荷重のテストが出来そうだ。
「ガルバンさん、それで行きましょう!早速カラビナの製造、お願いします!」