70ピッチ目 遥かなるクムジュンガ
下山した俺をシーカの人々は温かく迎えてくれた。
「お主は、到底わしらにはできない、想像もつかんことをして登ってしまうのじゃな」
チャンドラさんももちろん出迎えてくれたし、お祈りも欠かさずしてくれていた。
「今回の登攀は前回よりも内容的に難しくはなかったですよ。ただやっぱり、雪や氷に慣れていないと冬季の登攀は難しいかもしれません」
「そりゃそうじゃろうて。冬のマシカラに登ろうとするやつなんざお主の他におらんからの。それに、これから冬が深くなるにつれてマシカラはどんどん雪を蓄える。今の時期がギリギリ登れるところかもしれんの」
今が初冬だからギリギリ登れたというのはあるだろう。
これから雪がもっと大量に積もって緩傾斜帯に大量の雪が乗ったり、山頂稜線へ出るところの雪庇がさらに大きく発達すればさらに難しくなる。
緩傾斜帯の雪は今回は表面が雪崩れることがなかったし、凍りついてブルーアイスになっていることもなかった。
雪庇だって、崩した時に耐えられる程度の厚みだった。
そうでないとなるとやはり登攀は不可能だっただろう。
「チャンドラさん、マシカラの向こう側に広がる山々にはシーカの人々は入らないんですか?マシカラを北側から迂回すればその先の山にも行けると思うのですが…」
「そう簡単なことではないのじゃ。確かにマシカラの北側には氷河の道がある。しかしその氷河は巨大な氷が今この瞬間も崩れながら流れているから、日々道が変わるのじゃ。馬車も引いて行けないしの。そもそも、行くメリットがなくていくものも少ない」
アイスフォール、氷の激流だ。
エベレスト登山での最大の難関、クンブ氷河のようだ。
谷に溜まった雪はその圧力で氷となり、ゆっくりゆっくりと、しかし確実に下方へ向けて流れ下る。
最初は棚を埋め尽くす巨大な氷だが、岩にぶつかり、山肌にぶつかり、次第に砕けて巨大な氷塊がいくつも流れる河になる。
その巨大な氷塊も動き続けていて、いつ何時崩れ落ちるかわからない。
運悪くその崩壊の瞬間にその場にいないことを祈ることだけが、そこを通過する人に許された小さな抵抗だ。
「なるほど、それは確かに私のように山に登ることが目的でなければメリットに比べて行くリスクが小さそうですね…」
「しかしの、行った者がいないわけではない。過去に行った者が名付けたのじゃが、マシカラから谷を挟んで向こう側にあるより高い山、クムジュンガ、ここならまだ誰も登っていない山のはずじゃ」
クムジュンガか…
氷河を抜けなければならないとしても、思っていたより近くに未踏峰があったことに興奮していた。
まずはクムジュンガがどんな山なのか、ちゃんと見てこないといけないな…




