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65ピッチ目 課題名


イシタスのクライミングは見事だった。


トライを重ねるごとにその精度を上げていき、ポケットに触れる回数、指が入る回数が増えてきている。


「もうすこし飛び出すときに左足のスメアの効きをうまく抜いたほうがいい。抜くタイミングが重要なんだ」


そう、左足が半ば突っ張った状態だとどうしても左側に出るときにはその飛び出しを阻害してしまう。


もちろん右足で踏んでいるところを左足に踏みかえができればそれに越したことはないが、ホールドの悪さがそれを許さない。


そんな中でもイシタスは折れることなく何度となくトライしていく。


夢中になってトライする時、その熟練度は急激に上昇する。


まさにイシタスはその中途にあった。





イシタスの六十三回目のトライ、ついにポケットに中指が一本入って止まった。


右手のカチと左手のポケットの間で絶妙なバランス感で止まっている。


「止まった…!行けイシタス!!そのまま行ける!!」


もはや気力も体力も限界に近い。


震える手足をなんとか抑え込み、イシタスは次のホールドへと右手を伸ばした。


しかしそのギリギリの状態とは裏腹に、最後の力を振り絞ったイシタスにとってそこから完登までは決して高い壁ではなかった。


「イシタス、初登おめでとう。クライミングのルートってのは初登した人がその課題名を付けられるんだ。君の初めての初登、名前はどうする?」


クライマーがその足跡を名前と共に歴史に刻めるのがルート名を残すことだ。


岩には可能な限り自分の痕跡を残さないことが理想とされているが、そのルートを切り拓いたことは確かに後世に受け継がれる。


クライミングのルートは須らく「ここは登れるかもしれない」というクライマーたちの熱い夢と希望が詰まった珠玉の作品なんだ。


「ルート名ですか…そうだな…夕凪、とかどうですか?デッドで思い切り飛び出すように見えて、凪いでいる海を荒らさないように静かに優しく出ないと止まってくれない感じがいいかなって」


「夕凪か、いいじゃないか。この課題名は夕凪で決まりだな」


"夕凪"は一日の大半を投じただけで登れた課題だが、イシタスにとっては人生で初めて、誰も登ったことがないルートを登ったという思い入れのある課題になったに違いない。


その満足げな表情が言葉にしなくてもその心をこれ以上ないほどに俺たちに語っていた。


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