19ピッチ目 左稜線、そして山頂へ
左稜線に出た。
うっすらと雪の載ってはいるが、幅も広い緩やかな稜線だった。
風は相変わらず強く吹いているが、霧はかなり薄くなって時折霧の向こうの景色が見える。
ちらちらと見え隠れする山頂。
俺はゆっくりと歩みを進めた。
標高は決して高くない。
呼吸も苦しくないし、体も重くない、むしろ軽快だ。
サクサクと雪の積もった地面は歩きやすく、氷が張っているようにつるつるになっているところもなかった。
「もうじき山頂だな」
正直、苦しい登攀だった。
装備は心もとなく、ルートも全く情報無しな状態で現場での対応力が求められた。
このルートも俺が登ったことで次に登る人は情報を持って登ることが出来る。
あるいはほかにもっと登りやすいルートがマシカラにはあるかもしれない。
それでも、異世界での初めての登攀がこのルートでよかったと思っている。
異世界での自分の力を試すこともできたし、道具の信用性も確かめることができた。
ガルバンさんにはいくらお礼をしても足りないな。
あのトラバースで、もし精度の低い道具だったら俺は死んでいたはずだ。
ガルバンさんの作ってくれた道具のおかげで命拾いした。
帰ったら必ずお礼を言おう。
やがて視界が山頂に向けて開けた。
不思議なことに俺の左右には霧が残っていたが、山頂へ続く稜線上だけ、霧がきれいに晴れてその日初めての美しい空が頭上に広がった。
ダークブルー。
吸い込まれそうなほど澄んだ空だ。
一歩一歩大地を踏みしめる。
この長い二日間のありったけの思いを込めて。
そして俺の眼前にあった大地はいつしか眼下にあるのみとなった。
登頂した。
俺はマシカラの向こうに見えた景色に息を飲んだ。
どこまでも広がる山脈。
マシカラはその山脈の玄関だった。
奥に行けば行くほど標高を上げ、最も奥にそびえる名もなき名峰はマシカラの二倍以上の標高がありそうだ。
その山々は雪と氷に閉ざされた谷に守られていて、近寄ることも許さないといった感じだ。
俺は身震いした。
武者震いだ。
目の前に広がる景色。
無名の未踏峰がどこまでも、いくらでも眠っている。
クライマー、アルピニストとしてこれほど嬉しいことはなかった。
「あの山、絶対俺が登る。だがあれは異世界のエベレストだ、一筋縄ではいかないが、必ず登ってやる」
高まる胸、血が沸騰するような高揚感。
そんな高揚感を感じていると突然、聞きなれない機械的な声が聞こえた。
「マシカラ、標高3,939メートル。登頂、おめでとうございます」
心拍数が上がっているところに突然聞こえるはずのない他人の声が聞こえて文字通り心臓が爆発するほど驚いた。
「だれだ?」
「私はあなたのスキル、ナビゲーターです。声であなたをフォロー致します。何なりとお申し付けください」
鑑定することもなく新しいスキルの正体が分かった。
さっきマシカラの標高を知っていたところ見ると、どうやらいろいろな情報を知っているみたいだ。
「なるほど、よろしく。名前はあるのかい?」
「私の名前はナビゲーターです」
「それはスキル名じゃないか。君個人としての名前はないの?」
「私を個人という概念で定義することが出来ないため質問の意味が理解できません。ただしスキル名を変更することは可能です」
「OK、それならスキル名はアイギスだ。よろしく、アイギス」




