15ピッチ目 ビバーク
トラバース後の左方クラックは再び快適なクライミングで、なんてことはなくぐんぐん高度を上げることが出来た。
しばらくして大きめのバンドにでた。
「今日はここでビバークにするか」
日もだいぶ傾いてきている。
明るいうちにビバークサイトを作っておきたかった。
ちなみにビバークとは本格的なテント等を使用せずに、いわば外気に露出して山中で一夜を明かすことだ。
ビッグウォールの登攀ではままあることだが、これがなかなか良い。
確かに寝心地は悪いし、何らかのトラブルで墜落するリスクもある。
しかし壁中で一夜を明かすことでしか見られない景色がある。
平地にいれば星空は天にあるものだが、壁中でのビバークでは星空と同じ高さに自分がいるかのように錯覚する。
自分が高いところにいる分、地平線が下がっているからだ。
標高を上げた分、夜間はかなり冷え込むはずだ。
現に体を動かさずにいると肌寒い。
「ホットキーパーもそうだけど、グリフォンの羽で作られたシュラフ(ダウンの寝袋)があってよかった」
地面に、クポカトカゲという首に浮袋を持つトカゲの浮袋を材料にした軽量なマットを敷き、座り込んだ。
このクポカトカゲのマットは軽量でありながらかなり丈夫で、ビバークの快適性をグッと上げてくれる。
湯を沸かしてコーヒーを入れる。
厳密にはコーヒーとは材料が少し違うようだが、豆を挽いて煎じるし、味もほぼコーヒーだ。
この世界にもコーヒーがあってよかった。
今日の登攀で半分以上は来ているだろうか。
壁の中に入ってしまうと自分の正確な位置はわからなくなってしまう。
だが恐らくもうそろそろ左稜線に出るための大ルンゼに入れるはずだ。
明日以降もとにかく登るだけだ。
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夜が更けていく。
食事も済ませ、シュラフの中に半身をうずめて空を眺めていた。
外気温は低いが、炎のホットキーパーとシュラフのおかげで寒くはなかった。
無数の星たちが夜空を彩っている。
南米、パタゴニアのフィッツ・ロイを登攀した時のことを思い出した。
あの時は壁中でポータレッジを使ってのビバークだった。
ポータレッジとは、岩壁にぶら下げて使うタイプの簡易的なテントだ。
パタゴニア地域にしては珍しく、天候の安定した夜だった。
いまと同じ、とても数えきれない無数の星たちの海の中にいるかのような、空に飛び込めるような錯覚を覚えるほどの澄み切った空気と美しい星空だった。
それほど、壁中でのビバークの夜は美しかった。




