117ピッチ目 ブルーアイス
翌朝、といってもまだ深夜の午前二時、俺は出発した。
今回は尾根部分の下見を目的としたアタックで、第一キャンプを設営が最終目標だ。
第一キャンプを設営出来れば、そこを拠点にさらにその先へのアタックが可能になる。
ベースキャンプから尾根への取り付きには目算で二時間弱かかる予定だ。
この夜間、ヘッドランプのみでの氷河上の移動はクレバスが安定していなければ恐ろしくてとてもじゃないが不可能だ。
それに今回は一人、なおさらだ。
振り返るととベースキャンプの明かりが遠くに見える。
この氷河上にあってただ一人、圧倒的な孤独感が襲い掛かってくる。
しかし上を見上げれば満点の星空、薄く弧を描く月、そこから目を下に向けてくれば月夜に不気味に、しかし美しく浮かび上がるクムジュンガの姿があった。
俺はしばし立ち止まってクムジュンガを見つめた。
美しかった。
この上なく、それを表現するには言葉では足りないほど美しかった。
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目算より若干遅く、二時間半ほどで尾根への取り付きにたどり着いた。
やはり遠近感がおかしくなっていて距離を目算で図ることは難しい、余裕を持った行程にはしているが思いのほか時間をロスしてしまった。
「さて、行くか」
尾根は氷河から一気に立ち上がっていてそれなりの急登だ。
ごつごつした岩の上にブルーアイスがガッチリと張り付いている。
岩は所々顔を出しているのみであり、基本的にはブルーアイスを登っていくことになりそうだ。
ブルーアイスとは、非常に硬い氷でピッケルやアイゼンの歯が刺さらないこともあり歩行が困難となる氷のことだ。
氷の中に不純物や空気がほとんど含まれていないため、光が当たると青く光るからブルーアイスという。
幸い、クムジュンガのブルーアイスはピッケルやアイゼンの歯が一切刺さらないほど硬化しておらず、なんとか登っていくことが出来そうだ。
しかし気を緩めれば滑落の危険は常に付きまとう。
最新の注意を払い、俺はダブルアックスでブルーアイスを登り始めた。
アックスは小気味よく刺さってはいるが流石に良く締まった氷だけあってそれほど深くまで刺さることはない。
三度、四度と突き刺してやっと固定することが出来るレベルだ。
アイゼンの歯は足の力が強いためか、二度ほど突き刺せばガッチリ食い込んでくれている。
ゆっくりとだが確実に、俺は高度を上げていった。




