108ピッチ目 過去のトラウマ①
その晩、俺は夢を見た。
悪夢だ。
俺がまだ大学生だったころ、大学の山岳部時代の夢だった。
当時俺は海外の高所登山の経験を何度か積んで日本山岳会のメンバーとして遠征することもあるような、登山家として活躍しはじめていたころだった。
忘れもしない二十一歳のころ、唐沢岳幕岩正面壁、大ハングの直登ルートを拓こうと企てていた。
パートナーは二つ下の畠中豪太、優秀なクライマーとして国内の難関ルートをガンガン登っている若き天才だった。
俺も畠中も今の自分たちに登れないルートなんてないと思っていた。
俺たちは北アルプスは唐沢岳幕岩に取り付くべく、高瀬ダムからアプローチに入った。
しばらく行くとクライマー達が前線基地とする岩小屋がある。
有名な"大町の宿"と呼ばれている岩小屋だ。
岩小屋とはいえ立派なもので、下地も平坦だしすぐ脇からは湧き水が湧いていた。
初日、小屋には昼過ぎに着くように行動していたから、着いた時には西向きの壁は陽を浴び始めていた。
その夜…
「登さん、大ハング、俺たちなら絶対登れますよ。俺にリードで行かせてください。必ず突破して見せます」
この気合十分の畠中に俺はリードを譲ることにした。
それはどこか後輩への期待というか、育ててやらないとみたいな先輩風を吹かせたいような感情だったような気がする。
夜はいつものように酒を飲んで、素晴らしい満点の星空の下で眠った。
明日のクライミングは全てうまくいく、この時は根拠もなくそう思っていた。
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翌日のクライミングは実に順調で、大ハング下までは難なくたどり着いた。
時間にも気持ちにも大いに余裕があったが、およそ十メートル以上も張り出した大ハングの下ではやはり小さな不安は首をもたげる。
もしピトンが抜けたら?もし岩が崩壊したら?考え始めるとそれは確かに体にまとわりついて動きを鈍らせた。
しかしそんな俺とは違い、畠中は豪胆にも大ハングのリスへピトンを打ちながらあぶみの架け替えで大ハングをまっすぐに進んでいった。
大ハングの縁まで辿り着くと、ハング下でビレイをしている俺の方を見てニヤッとしてハングを超えていった。
そこからしばらくはゆっくりとゆっくりとロープが出て行くのに合わせてビレイした。
ここまでくるともう大ハングに遮られて畠中の姿は見えない。
声もほとんど通らないことが分かっていたから、笛で合図することになっていた。
ロープの出て行くスピードからして、畠中がハングを超えた後も苦戦していることは明白だった。




