異変~アンジー~
神様の采配に悪気はないはずだ。
これはもう仕方ない。
ルディとは結ばれない未来が確定していた。
でも彼とは沢山の思い出が作れたのだ。
もし転生できていなかったら。
二次元に存在するルディと三次元で生きる私では、触れ合うことすらできなかった。
この世界に転生できたからこそ、彼のいきいきとした表情を見て、獣耳と尻尾の可愛らしい反応を目の当たりにし、会話をして、子供の頃は何度も抱きしめられ、笑い合うことができたのだ。
絶対に叶わない夢が叶った。
文句は言えない。
そこでゆっくりコーヒーを口に運び、そして異変に気づく。
熊避けパウダーと一緒に吊るしている鈴が鳴った。これはつまり、トラップを熊が通過したことになる。コーヒーをいれたカップを置き、立ち上がり、すぐに剣を装備する。矢筒を背負い、弓を手に取った。
この装備をして、その場から逃げられる――それだけの猶予をもった位置に、トラップは仕掛けていた。
だが。
感じる。近づいていた。速い。
追いつかれる、と思った。
熊に背中を見せる。それはご法度だ。
ならば、距離があるアドバンテージをいかし、弓を使う。
「!」
鈴の音がした方角、そちらから猛然と駆けてくるのは……猪だ!
しかもこれまで見た中で一番大きい。
でも大丈夫。距離がある。木に登ろう。
“ソロキャン”をするので本当はズボンをはきたいが、この世界で女性がズボンをはくのは、よっぽどのこと。自作もできたが、ズボンなんてはいているとバレたら、さすがに“ソロキャン”は止められてしまう。
仕方ないのでスポーツをする令嬢向けに作られた、ミモレ丈のワンピースにブーツを履いていた。ブーツは一応登山もできるタイプなので、靴裏に滑り止めもある。これなら木も登れた。
衣装はボロボロになるが、文句は言っていられない。
ということで木を登り始めるが……。
予想以上に猪が来るのが早い。
時速40キロぐらいはでるはずだが、それにしたって早過ぎる。
そうか。
熊避けパウダーを浴び、気が立っているんだ。
つまりは猛烈に怒っている。
これは……木に登ってやり過ごすは無理だ。
登っている途中にここまで到達される。
ならば落ち着いて、直前でかわして剣の一突き。
この方法で父や兄弟と狩りをしていた。
ただ。
ここまでの大きさは初めて。
かつ。
猟犬もいない。
彼らの鳴き声、匂いは、猪が方向転換する理由になりうる。
それはもう野生の本能で、どんなに怒っていてもそうするはずだった。
そんなことを考えているうちに猪は、もうすぐそこまで迫ってきている。
心臓がドキドキしていた。
剣は背の後ろに隠し、呼吸を整える。
来る……。
直前まで引きつけ、素早く避け、横から腹部を狙う。
今だ――!
かわした。
剣を素早く腹部へ――。
!
ズレた。硬い!
猪の毛は剛毛。剣は刺さったが今のでは浅い。
猪突猛進なんて言うが、猪は止まることもできれば、方向転換もできる!
すぐにこちらも構え直し、もう一度、狙い直す!
「アンジー、任せろ!」
声の方を見ると、ルディがいた。
ルディが構え、狙いを定めている武器は……。
あれは最近、騎士団で導入が始まったという武器――銃だ。
乾いた銃声。
まずは一発。そして二発目。
猪が前のめりになり、鼻から地面に突っ込んでいく。
ルディは剣をとり、とどめを刺す。
仕留めた!
すごいわ。
剣を猪から抜き、布でふくルディは、とんでもなく凛々しい。
獣耳はピンとして、フサリと揺れた尻尾も、剣を鞘に納める際にサラサラと煌めいた銀髪も。とても凛々しく見えた。
「ふうーっ。良かったよ。銃を持ってきて。予感があったんだ。アンジーが姿を消した時。絶対、“ソロキャン”しているだろうって。森に入るなら武器は必須だからね。……それで、どうする? この大きさだ。獲物としては上々のサイズ」
『アンジーが姿を消した時』
この言葉でルディの狩りの腕を絶賛する気持ちは一気に吹き飛び、彼と婚約破棄した現実を思い出す。
というか。
誕生日パーティーは始まったばかりのはず。
なぜ主役のルディがここにいるの?
こんなところにいる場合ではないはずよ。
「あ! どうやら誰か来たようだ。熊避けパウダーのトラップに引っ掛かったら大変。ちょっと行ってくるよ」
そう言うとルディは、いつもみたいに優しい笑顔で来た道を戻っていく。
ルディの獣耳の聴力は抜群。
まだ森の入口には到達していないのだろうが、馬の足音を検知したに違いない。
確かに彼に「婚約破棄をしましょう」と言ったのに。
まるでそんなことなかったかのように接しられた気がする。
え、私、夢でも見ている?
いや、そんなことはない。
これは現実だ。
というか誰か来たというのなら。
それは置手紙を見た家族だ。
つまりは……兄弟が来たのかしら?