早く君に会いたい~ルディ~
アンジーがいつも“ソロキャン”をしている森の場所は分かっていた。
屋敷からそこまで遠い場所ではない。
遠い場所ではないが、馬で30分はかかる。
森へ向かうのだ。
一応は装備を整える必要がある。
ミットフォード伯爵夫人は「我が家にあるもので使えるものがあればお持ちください」と親切に言ってくれた。自分の屋敷へ戻れば、ロスタイムになるし、もしかすると僕が突然誕生日パーティーの会場から抜けたと気づいた母親に、捕まる可能性があった。
そこでミットフォード伯爵夫人の申し出に甘えることにして、荷物を整えると、森へと出発した。
馬を走らせながら考える。
今頃アンジーはどうしているだろうか。
テントを組み立てる、焚火をおこす、なんてこと、アンジーはすぐできた。だからとっくに自身が寛げる空間を作り上げていることだろう。
さらには自作の香辛料パウダー、主に唐辛子を粉末にしたものを布に包んだ、アンジー曰く「熊避けパウダー」を、自身のキャンプ地周辺に仕掛けているはずだ。
アンジーが編み出したこの熊避けパウダーは、効果てきめんだった。熊の通り道にトラップを仕掛け、熊がそこを通過すると、熊避けパウダーが落下してくる。布にくるまれたパウダーは落下しながら広がり、その粉をまき散らす。
これが目に入ると、もう熊は堪らない。これを採用してから、ミットフォード伯爵の領地では、熊による家畜への被害がグッと減っている。それを聞いた僕の両親もその作り方を習い、採用した結果、本当に家畜の被害が減った。
本当にアンジーは。
奇想天外な方法を思いつく。
アンジーのことを思うと、自然と頬が緩んでしまう。そんな状態だから、婚約破棄を宣告されたというのに、気分が沈むことはない。むしろアンジーの誤解を早く解き、結婚式の件を話したい。そんな気持ちの方が強かった。
結構、全力疾走してしまったので、少し馬を休ませる。
気は急くが、アンジーがどこにいるのか。それは分かっていた。だから焦る必要はない。彼女は“ソロキャン”の最中、移動はせず、その場所に留まるのだから。
そうは分かっていても。やはり早くアンジーに会いたくて。
馬を急がせてしまった。
◇
ようやく到着した。
アンジーの馬が見えている。
やっぱりここにいるんだ。
頻繁にここに来るから、そこには井戸が掘られ、馬を休ませるためのスペースが出来ていた。僕の馬もそこにとめ、まずはたっぷりの水を与え、ブラッシングし、待機させる。少しだけ餌も与え、それからアンジーのキャンプ地へと向かう。
熊避けパウダーのトラップに引っ掛からないよう、慎重に確認しながら進む。
僕がわずか2年足らずで、騎士団の副団長へ異例の大抜擢をされた理由。それは獣人族ゆえの身体能力のせいもあるが、予想と回避の能力が並外れていた点も大きい。この予想と回避の力が身に付いたのは……間違いなく、アンジーの熊避けパウダーのおかげだ。
これをあびたら阿鼻叫喚になることは分かっている。獣人族である僕だったら、なおのこと影響を受けると分かっていた。だから慎重に。どこにトラップは仕掛けられているか。予想し、回避する。これを長きに渡り繰り返した結果、僕は副団長になれたと思う。
ということで今日も無事、熊避けパウダーの餌食にならず、アンジーの懐の中に入ることが出来た。それでも。アンジーは熊避けパウダーを、僕の予想の斜め上をいくような場所にも設置するから、最後まで気を抜けない。
よってトラップはもうないだろうという場所を過ぎたが、警戒を緩めず進んでいくと……。
見えた! 森の木々の隙間から、アンジーの横顔が見えている。
少し斜めに移動し、バッチリ横顔が見えている状態から、横顔と後ろ姿が見える位置へと到達した。これなら声をかけるまで、気が付かないはずだ。
そう思い、静かに足元の草を踏みしめ、一歩、また一歩と近づいた時。
アンジー……。
その姿は……初めて見る姿だった。
アンジーは優しくて照れ屋だが、剣や弓も扱え、芯の強さも感じさせる女性。僕が泣き虫だったのに対し、アンジーが泣く姿は……見たことがなかった。
そのアンジーが泣いている……!
これは物凄い衝撃だ。アンジーが泣くなんて、一体どうして? 何があったのか?
駆け寄りたくなるのを我慢し、なんとか僕自身の動揺を落ち着かせる。今、傍に行ったら、いきなりアンジーを抱きしめてしまいそうだった。でもそんなことをしたら、アンジーは驚き、僕との対話を拒むかもしれない。
何せ僕は彼女から誤解であれ、何であれ、婚約破棄を宣告されているのだから。
だがしかし。
大好きな相手が悲しんでいる。そのことに僕は気づいていた。僕が駆け付けることができる場所に、彼女はいる。それなのに何もできないなんて……。辛すぎる。
ところが。
そこはアンジーだ。
すぐに涙が収まり、でもその後は……とても真剣な顔で何かを考えている。