心を落ち着かせたいが~アンジー~
止めよう。
もう終わったことだ。
これ以上ルディのことは考えない。
お湯も沸いた。
コーヒーを入れよう。
コーヒーミルを取り出し、コーヒー豆を入れる。
持ち手を掴み、無心でぐるぐる回す。
ゴリゴリと豆が挽かれている音がする。
すでにコーヒーのいい香りが、辺りに広がっていた。
ガラス製のサーバーを取り出し、ドリッパーをセット、そこにフィルターを置く。挽きたてのコーヒーの粉をいれる。そこへ蒸らしのためにお湯を加えた。
だいたい20秒。
蒸らしが完了したら、「の」の字を描くようにお湯を注ぐ。3回に分けて、お湯を注ぎ、終了。本当はカップが温まっているといいのだけど、野外だし水の無駄遣いはできない。
ということでサーバーに溜まったコーヒーをカップに注ぐ。
ミルクも砂糖もなしのブラックの状態で口元に運び、まずはその香りを思いっきり堪能。
ああ、いい香り。
ピーック、ピーックという鳥の声がひと際大きく聞こえ、ここが森の中であると実感できた。地面で木漏れ日が揺れている。
おもむろに一口飲むと。
雑味のないクリアな味わいが、舌の上に広がる。
「美味しいわ……」
感嘆の息が漏れる。
しばし無言でコーヒーを味わう。
比較的早い年齢で私はコーヒーを飲むようになった。でもルディはなかなかコーヒーを飲めなかった。「苦いよ、アンジー」と、獣耳と尻尾をしゅんとさせて訴えるから、ミルクをたっぷりいれ、コーヒー牛乳にしてあげると、喜んでルディは飲んでいたっけ。
ぽたっと落ちた滴に、まさかお天気雨と上空を見上げ、それが自分がこぼした涙だと気づいた。
ルディのことを思い出し、涙を……こぼしていたのだ。
いつもだったら。
ここに来てこうやってコーヒーを飲んでいると、来る未来を思い、乱れる心を落ち着かせることができた。それなのになんで今日はダメなんだろう?
そこで気づく。
ああ、そうか。
いつもは……。
ルディから嫌われる未来が来ると分かっていたが、その時点での私は、まだルディと仲が良かったから……。どんなに悲しい気持ちになっても、ルディに会うことができた。
でもこれからは違う。
もう、ルディに会うことはない。
……。
……。……。
自分から婚約破棄を宣告する女なんて、もう新たに誰かと婚約するなんて無理だろう。伯爵家は兄が継ぎ、両親も老いるだろうし、そうすれば私は屋敷でもお荷物になる。そうなる前に……この世界ではお馴染み。修道院に入るしかないだろう。
いや、もっと早くに、修道院に行った方がいいかもしれない。
ルディがララと結婚すれば、当然、今のリットン家の屋敷で暮らすようになるだろう。そうなれば、嫌でも二人の近況を聞くことになる。結婚式を挙げた、子供ができた、子供が産まれた……etc.
そんな話を聞くなんて……耐えられない。
もう近いうちに修道院に行った方がいいのかもしれないわ……。
修道院に入ったら、さすがに“ソロキャン”なんて、許してもらえないわよね。ルディを失い、“ソロキャン”まで失ったら、私の人生の楽しみって何なのだろう……?
修道院以外に行く当てはないのかな?
そこで思い出す。
母親の遠縁に、西の防衛の要を担う辺境伯がいなかったか。防衛の要とは言われているが、王都から遥かに遠く、その領地は蛮族と接していることから、王都の人達からは敬遠されているというが……。
一応私は、剣と弓については扱いに自信がある。これまで猪、熊、雉、兎など仕留めることもできていた。女性の騎士というのも、少なくではあるが、存在している。女性の上流貴族の護衛のために。
辺境伯に女性騎士の見習いとしてでも、雇ってもらえないだろうか? 騎士になれば、野営だってあるわけで、ソロではないがキャンプもできる。いや、休暇を使い、“ソロキャン”だって可能なはず。
そう考え始めると、少しだけモヤモヤした気持ちが晴れてくる。
それに私は刺繍が得意だった。つまりは縫物ができる。伯爵令嬢という身分を伏せれば、お針子の仕事も……見つかるかもしれない。
前向きに考えよう。
前向きに。
なんでかな。
どうして大好きだった乙女ゲームの世界に転生できたのに、悪役令嬢だったのだろう?
もうこれは何度となく自問自答したことだ。
私が辿り着いた一つの可能性。
それは……私がルディを大好きだったから。
ルディが推しキャラだったから、神様は彼の婚約者であるアンジェリーナに転生させてくれたのかもしれない。
ただアンジェリーナは悪役令嬢だった、残念ながら……。