プロローグ~アンジー~
「もう、泣かないで、ルディ!」
「でも……」
「私は気にしていないわ。形がある物はいつか壊れるのだから。今日は、そのティーカップが壊れる日だっただけよ」
私のことを見上げるルディの碧い瞳。
湖みたいに澄んでいる。
とても……美しい。
そして。
すまないという思いから、しょんぼりしている耳。
美しい銀髪から見えるその獣耳は、ルディの心をよく反映する。
ルディ・リットン。
彼は獣人族で、銀狼の一族。
この耳もそうだが、美しい銀色の尻尾も、彼の感情にあわせ、落ち着きがなくなったり、自身をくるむように丸まったり。実に表情豊か。今は自身を包むようにしている。
「本当にごめんね、アンジー」
「大丈夫よ」
「アンジーは優しいね。……優しいアンジーが、僕は大好きだよ」
そう言った5歳のルディは、白の半袖シャツに紺色の半ズボンという姿で、クリーム色のワンピースの私のことを、ぎゅっと抱きしめた。
「将来、アンジーと結婚したら、絶対に幸せにするから」
「分かったわ。ルディ。でも、今は夏で暑いから、離れて頂戴」
本当は嬉しいのに。
それにルディは婚約者なのだから。
照れる必要はないのに。
私はルディから離れ、メイドの名前を呼んだ。
「アンジェリーナ、こちら、ララ・ハウエル」
今日、20歳になったルディの声に、意識が現実へと戻ってきた。ぼんやりと目の前にいるヒロインの姿を眺める。
さすが乙女ゲームのヒロイン。
可愛い。
艶のあるストロベリーブロンドに小さな顔。
小顔なのに淡いピンク色の瞳はくりっとして大きく愛らしい。頬も唇もピンク色で、まるでお人形さんみたいだ。
ピンク色のフリル満点のドレスが、20歳にもなって似合うのは、ララぐらいだと思ってしまう。
「ララはね、ハウエル男爵の次女で」
「ルディ。分かったわ」
「え?」
ルディの20歳を祝う誕生日パーティーで、彼の婚約者であり悪役令嬢であるアンジェリーナ・ヴァネッサ・ミットフォード――そう、私は、婚約破棄を宣言される。
それはもう、ゲームのシナリオで決められた流れだった。
例え子供の頃に、あれだけ私のことを大好き、幸せにすると言っていたルディであっても。私に婚約破棄を宣告する。ただ、断罪は……そこまでヒドイものではない。ルディからは、婚約破棄ともう二度と口をききたくないと言われ、さらに新しい婚約者としてヒロインであるララを紹介される。
ルディからの断罪で、断頭台送りとか、国外追放があるわけではない。
そうであっても。
私は……ルディが大好き。
それは現在進行形で続いている気持ちだ。
赤ん坊の頃に、前世の日本人の記憶を取り戻していた。そしてルディが誰であるか、即理解する。私のお気に入りの乙女ゲーム『恋する季節を君と共に』の中で、一番好きなヒロインの攻略対象――それがルディだった。
「婚約破棄」「二度と話さない」「新しい婚約者の紹介」
これをされるだけで、十分、ダメージだった。
大好きなルディの口から、この言葉を聞きたくない。
そう思い、そうならないよう物心ついた時から行動していた。
でもゲームのシナリオが定めた流れに、逆らうことはできなかった。
そして今日という断罪の日を迎えた。
「婚約破棄をしましょう。そちらのララ様。とても可愛らしいと思います。そうやって並んでいるお二人も、とてもお似合いです」
「え?」
「お二人の幸せを願っています。……ご機嫌よう、さようなら」
そう言うと、クリーム色のドレスのスカートをつまみ、笑顔でお辞儀をする。そこからはもう、絶対に泣かないと決め、二人の前から去ることにした。
◇
パーティー会場だったホールを出た後。
どうやって自分の乗ってきた馬車まで戻ったか覚えていない。
ただ、誕生日パーティーは始まったばかり。
エントランスに行っても馬車がないことは分かっている。
そしてリットン伯爵家には、子供の頃から遊びに来ていたから、屋敷の構造は頭に入っていた。エントランスにいない馬車は、どこで待機しているのか。それも分かっていた。
だから……。
気付けばちゃんと、馬車の中に収まっていた。
馬車がゆっくり動き出すと、自分の今の状況を理解することになる。私は悪役令嬢で、自分から婚約破棄をした。その結果、「二度と話さない」「新しい婚約者の紹介」については……回避できたと思う。
だってルディはずっと「え?」としか言っていないから。ヒロインのララのことは、名前と爵位しか紹介してもらっていない。
つまり、転生者であると覚醒してからずっと恐れていた、ルディから言われたくない二つの言葉を回避できたのだ。ここは「やった~!」と喜んでもよかった。
だがしかし、「万歳!」と喜ぶ気持ちには全然なれない。
ただただ悲しかった。
ルディから直接、「二度と話さない」「新しい婚約者の紹介」を言われたわけではない。でも、私から婚約破棄をしたのだ。
もう二度とルディは、私と口を聞いてくれないだろう。新しい婚約者を直接紹介されたわけではない。そうだとしても、遅かれ早かれ噂で、ララになったと聞くことになるだろう。
既にルディと私の間は冷めていたとは思う。ルディは子供の頃、私によく抱きついて大好きだと言ってくれたのに、そんなこともなくなり。お互い余所余所しくなっていた気がする。
結局。
婚約破棄されることは回避できた。直接、「二度と話さない」「新しい婚約者の紹介」を聞かされることも回避した。これはシナリオの流れに逆らえたように思えるが、実際は……。
ドン底だ。
こうなったらもう、アレしかない。
まだお昼前。外は明るい。
屋敷についた私は、荷物をまとめた。
お読みいただき、ありがとうございます!
本作は……
〇小さなハプニング有。
メインはアンジェリーナ(ニックネームはアンジー)
とルディの心情。
〇ルディ、可愛い!の気持ちで、一気に読んでいただけると幸いです。
ぜひ最後までお楽しみください~☆