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ほのぼのを目指すエッセイとなむいひけるもの~4回目~

作者: 夜霧ランプ

 今回の話は、読む人にとってはあまりほのぼのしていないかも知れません。何処かの国の女優さんが言った言葉だけど、「全ての人を満足させると言うのは不可能」なんですよね。


 4、眠ってない自慢


 睡眠時間、4時間46分。家を掃除している夢を見て起床。心臓の辺りで「ちょっとした高血圧」っぽく脈が打っていたので、水分を補給するためにも少し起きる事にしました。

 家を掃除している夢を見ると、大体現実の家の中でも掃除がしたくなります。何故か整理整頓を始めたり。

 頭のほうは起きる気満々のようで、朝ご飯を食べたくなりました。カレーと米を温め、朝からカレーライスを食らいます。ついでにバターアンドブレッド(バタつきパン)も食べました。

 明らかにバタつきパンは余計なのですが、体のほうはカロリーを求めているのです。

 今回も貧しい飯の話を書いてしまうと、1回目から順に読んでくれている人には「この人ほとんど飯の話しか書かない」と思われそうなので、飯の話はここで終ります。

 さて、眠ってない理由としては、作家業の事です。

 深夜0時8分くらいまで起きて何かを書こうとしていて、何度書いても納得する物にならず、その後すぐに睡眠に就きました。

 ひと眠りしてさっぱりした頭で文章を書きたかったのですが、その睡眠時間が本当に「ひと眠り」になってしまったので、多分夜明け頃、もしくは昼に眠たくなると思います。

 幸い、今日は休日なので、一日の途中で眠って過ごす事は出来なくないですね。

 本当は、今日は見聞を深めるために、アヒージョと言うものを食べに行って、新しいパソコンソフトを買う予定でした。

 しかし全ての予定は、「眠り足りない」と言う、この状態により、却下されるでしょう。こんな事を書いている間に、サクッと眠りなおせば良い話かもしれないですが。

 実際、腹が満ちて喉も潤ったので、健康的に眠気は復活しています。だけど、眠ったらなんか危うい予感と言うかがあり。4時台に起きた時も、心臓が痙攣みたいに鳴っていたので、血液の何等かの栄養素が過剰で、何かが足りていないんだろうと察されます。

 

 眠り足りない状態によって、予定が却下された一日を過ごしつつある土曜日14時台です。朝5時前くらいに起きて、なんで執筆作業なんてやっていたんでしょうね。

 外はとても明るくて、陽光がいっぱいで、歩くだけでも気分が良さそうなのに。そんな「良い天気」を無視して、僕は何故かパソコンに向かっています。

 自分でもエッセイを書くようになってから、時々、エッセイジャンルの新着を読みます。僕が拾い読みしたエッセイも、「闘ってるなぁ」って言う文章がちょこちょこと見受けられました。

 そう言う方の文章の中に、「文章に情熱・思想・主張」を織り交ぜて文字を書くのが物書きだ! と言う主張がありまして、僕はそれを読んで思いました。

「へー…」って。

 物を書くと言う事が、「思想・主張」を含んでいると考える人が少なからずいるから、誰かの書いた何かの文章に対して、「自分に向かって思想を主張されている」って思う人が出て来るんだなーと言う事は納得行きました。

 僕が一応の物書きとして考えるには、文字って記録ツールだと思うんですよ。音的な感覚や抑揚を無くした「声・言葉」なんだと。それを読むのが他人であれ自分であれ、ある種の「音の無い記録」なんですね。言葉をテープレコーダーに取る記録の方法がありますけど、あれの「音が存在しない版」です。

 文字として記述する事で失われる「声」としての感覚や抑揚を、少しでも表すために、現代文では「ルビ」や「括弧」や「繰り返し」や「感嘆符・疑問符」等の、表現技法があるんだと思います。

 ジョジョの○妙な冒険の、吉良○影とのバトルの時に、空気弾を操る猫の花を持って来てしまった少年の台詞が、全部「・」のルビで強調されている部分があります。

 小説よりずっと「二次元的」な漫画の台詞でさえも、「この登場人物は、今、発する声の一つ一つに意味を込めて、感情的になっているんだ」って言うのを文字で表すときは、強調効果が必要なんですね。

 アニメ版では、声優さんがしっかりその部分の演技を再現されていました。


 さっきも簡単に書きましたが、自分の頭の中で発した「言葉」を、文字に置き換えるのが、文章を「書く」と言う行動です。そして、文字に置き換わった「言葉」を脳内で再生して頭の中で聞くのが「読む」と言う行動です。

 その時、文字を記した人(書き手)と、文字を頭の中で再生した人(読み手)の間で、多少なり「文字と言う言葉」の意味が変わってきます。

 書き手が「冷静に説くように」書いたとしても、文字に置き換わったものが別の人の脳内で再生されるとき、「声高に罵ってきている」ように読めたりもするんですね。

 書き手と読み手の間の、脳内の情報(知識・イマジネーション)の違いや、記した時・読んだ時の気分、文字が与えて来る情報量と読み手の受け取る情報量の差異、執筆者と読者の年代差等で、その文章の「ニュアンス」が変わってきます。

 言葉が文字に置き換わった後、脳内再生の時に出来る誤差を減らすため、書き手は「より自分の表現したい事を伝える技術(語彙力・描写力・構成力)」が必要ですし、読み手には読み分ける力が必要です。

 その文章が、何を目的に書かれたのかを読み分ける力の事です。自己確認なのか、「情熱・思想・主張」なのか、エンターテイメントなのか、情緒なのかと言う所です。

 サイコサスペンスを観る気分で時代劇を見ても、思う期待感は得られないじゃないですか。シャワーを浴びている外国人の女性が突然殺されるシーンを時代劇に求めないで下さいって言う、暗黙の了解はあるんですよ。

 これは同時に執筆家の方にも言える事で、「書き分ける力」は必要かと思います。

 エンタメでなんでもありでB級映画みたいなぶっ飛んだ文章…って言う書き分け? をしているなら、それはそれでありかも知れませんが。


 以前、ある「闘うエッセイ」を2件ほど読んで、惜しいなぁって思う事がありました。

 着眼点をユニークに持って、しっかり考えながら思索して行っているのに、文脈的に「この人、この辺で面倒くさくなったのかな?」とか、「この人の欲しい答えは、この人の書いている文章内に提示されているのにな」って思う事があったんですよ。

 面倒くさくなってしまった様子が見られた方の文章は、論述的な文章として進めてきたのに、論述する事を途中で諦めてしまってたんですね。文章の途中で「文章使い」が粗雑になって、「ああ、ここら辺で疲れてしまったのか」と思わせる文章になっていたんです。

 緊張感をキープするのに疲れたら、一度パソコンを消して甘い物でも食べて、「自分は冷静に論述の文章を書きたいんだ」って言う気概を回復してから、再トライすると良いでしょう。

 甘い物を食べると胸焼けがする人は、米かパンを食べましょう。

 文面の途中に、その人の欲しい答えが書かれているのに、そこに着地せずに話が続いて行ってしまってる方の文章は、答を自分が発見していることに気づかないくらい、他の方向に思考が働いてしまっているのかもしれません。

 文章はツールですから、意図のために文章を使うのは悪くないのですが、意図が先走ってると、折角の「自己発見」を見逃してしまうんでしょうね。

 その文章を書いている間に、その人は、もう、気づいているはずなんです。答は自分が知っていると。文字と言うツールを活用する上で、それを見逃さない事を、願います。

 本来、ほのぼのを探求するために、この「エッセイとなむいひけるもの」を書いているわけですが、前書きにも書いてある通り、今回はあんまりほのぼのしてないですね。

 この文章も、煎餅かビスケットでも齧りながら、「へー。そうなんだー」くらいに読んで下さると良いかと存じます。あんまり硬いものを噛むと、脳に悪影響があると、近年言われているそうですが。

 それならば、胡麻豆腐かシュークリームでも齧りながら、柔らかい心で読んで下さい。

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