4、潮風の吹く漁師町
「「「「「 またねー。ばいばーい! 」」」」」
帰りの会を終え、昇降口から次々と生徒が帰ってゆく。
アブラゼミがジワジワと鳴き、道端に咲くゼニアオイの先端には、ギンヤンマがぽつんと留まっている。薄紫色の花からは、きらりと光る雫が、ぽたりと落ちる。
「さーて、わたしたちも、これから汗流すとするかーっ!」
「・・・・・・しっかし、門下生が四人なんて・・・・・・。お取り潰しは免れたにせよさ・・・・・・」
「うちらの全国出場で、なんとか首の皮一枚繋がったって感じだもんねー」
黄昏時にさしかかり、金色の西日が、女子三人の背中を照らす。黒く長く伸びた影が、ゆっくりと進み、次第に薄くなってゆく。
葉月の所属する道場「糸恩流空手道 海道館」は、りんの祖父が師範を務める。
門下生は現在、四人だけ。そのせいもあってか、総本部組織から、この平成九年の夏を以て閉館勧告を受けていた。だがこの六月に、葉月、亜弓、りんの三人が全国大会の出場権を得て茨城県代表となったため、閉館は免れたのだった。
「わたし、翔平に負けず、全国一を狙うからね! 負けないぞーっ!」
「今年は熊本、京都、栃木にすごい強豪選手がいるんでしょ? あー、やばいなー」
「りん、やる前からびびっちゃだめだっぺよ。はづきを見習って? ポジティブによ?」
亜弓は、りんの背中をばしっと叩き、おちゃめにはしゃいでいる。
「あーあ。私も、はーちゃんみたいに、お互いを高め合える彼氏がいればなぁー」
「な、何言ってんの! わたし、翔平とは幼馴染みってだけよ? 彼氏じゃないなー」
「えー? でもぉ、ほんとかなぁ? 私、ずっとショウ君狙いなんですけどぉー?」
りんは、目を細めてにやりと笑い、葉月のバッグを亜弓とぐいぐい引っ張る。葉月は笑いながら「やめてよー」と言って、りんや亜弓へふざけてキックをしている。
彼女たちの真上では、ウミネコが三羽、夕日をバックに飛び交っている。
・・・・・・ミャウゥー ミウウゥー・・・・・・
・・・・・・ミャアウー ミウウウゥー・・・・・・
潮の匂いを乗せた風。磯の波から漂う水気。はるか遠くで膨らむ白雲。
葉月の耳元を抜けてゆく海風は、そのまま町を抜けて、はるか彼方へ消えてゆく。
堤防に、ぴょんと葉月は飛び乗った。続いて、りんと亜弓がよいしょと登る。
「わたしーっ、この夏こそはーっ、全国一になりたぁーいっ!」
「私もぉーッ! 茨城が、日本一とるんだぁーっ!」
「うちも、みんなで全国制覇するーっ! そしてぇ、いつか世界も獲ってやっぺーっ!」
西に沈みゆく陽の光を受け、ダイヤモンドのように輝く海面。
煌めき、揺れる、海一面。そこに向かって叫ぶ、中学生の女子三人。
ぱっちり開いた葉月の目には、横一線に輝きを放つ水平線が、白く映り込んでいた。
・・・・・・ざぱああぁぁ どぱあああぁぁん・・・・・・
・・・・・・ミウウゥー ミャウウー ミャアウー・・・・・・
「ほんじゃ、これでよかっぺ? いーぃスズキだぞぉー。うまかっぺよ!」
「悪いな、いつも。・・・・・・どうだ? 飲んでくけ?」
首にタオルを巻き、こんがりと焼けた肌の中年男性が、作務衣姿の男性に、五十センチ以上はあろうかという大きなスズキと、コノシロが十匹ほど入った袋を手渡している。
魚を受け取っている男性の奥には、「釣り船民宿 須々木」と書かれた木の板が、裸電球に照らされて光っている。
「徹さんがくれる魚は、間違いないからな。いつも、ありがとう。腕が鳴るよ」
「なぁに。かまなかっぺよ! ここいらじゃ、魚を捌かせたら、須々木団五郎が一番だ」
「ははは。だったら、魚のお裾分けは、草笛徹が一番ってコトだな。いつも助かるよ」
「なぁんだそりゃ! ま、何でもよかっぺ。さ、団ちゃん! 飲むべや! うはは!」
「はははは! じゃあ、上がっていってくれ。今日は、予約が入ってないんでな」
男性二人が豪快に笑い合っているところへ、数名の中学生たちが通りかかる。
「あ! 団五郎おじさん、こんばんは! 亜弓パパも、こんばんは!」
「なーにやってんのさ、父ちゃん! また、魚、獲れすぎちったのぉー?」
「おー。葉月ちゃんに、亜弓ぃ! それに、りんちゃんもぉ! 今、帰りかぁ?」
「そうでーす。・・・・・・団五郎さん、ショウ君、もう帰ってる?」
「いや、まだだ。きっと、稽古も量が増えてるんだろう。三人は、このあと、空手?」
「はい! 翔平に負けないように、わたしたちも、これから稽古に励みます!」
「ははは! 頑張ってね。うちの翔平も、みんなに、元気もらってるみたいだからね」
翔平の父である団五郎が、渋い声で、葉月たちに笑顔を見せる。その横で、亜弓の父である徹も、亜弓に小さなバッグを渡し、豪快に笑っている。
「亜弓ぃ。父ちゃんはこれから、団ちゃんと飲んで帰るから。稽古、気をつけてなー」
「はいよ。すいませぇん、団おじさん。父ちゃんを、よろしくー」
「ははは! いつも、良いお魚もらっちゃってるからね。気にしないで?」
「父ちゃん? 飲み過ぎはだめだかんねー?」
亜弓は、父の背中をばんっと叩き、笑っている。
「じゃ、わたしたちも、そろそろ。失礼しますねー。亜弓、りん、行こっ!」
葉月は、にこっと笑い、二人にぺこりと頭を下げる。亜弓とりんは、二人に手を振ってその後ろをついていく。
団五郎と徹は、にっこり笑って、葉月たちを見送っていた。
「相変わらず、元気な子たちだ。・・・・・・純粋ですね。素晴らしいですよ」
「ほんだな。まぁー、あの年頃にしちゃ、かわいいもんだっぺ! いいことだなや!」
「徹さんちの亜弓ちゃんも、空手で、全国大会へ行くんですよね? 強いんですね」
「ほんだなぁ。・・・・・・なにを思ったのか、亜弓、夢は世界チャンピオンなんだとぉ」
「ははは! いいじゃないですか。夢は大きい方が! なれるといいですね、いつか」
「葉月ちゃんや、りんちゃんに比べて、どーもニブくてよぉ? ま、長い目で見っぺ」
「そうですよ。うちの翔平も、不器用で、飽きずに努力した結果の全国出場ですし」
「ほぉかー。ま、今年の夏は、四人の中学生が、町のスターだなやー」
「そうですね。翔平たち、大荒井中剣道部に、空手女子三人、ですね・・・・・・」
「そんな話もしながらよ、さぁー、飲み始めっか! 団ちゃん、魚、刺身にすっぺ」
団五郎と徹は、笑いながら民宿の中へ入っていった。
防波堤の先にある小さな灯台が、グリーンの光りを灯し始めた。
沖合では、漁船の漁火がいくつも浮かんでいる。日暮れと共に、潮風がふわっと町を抜け、家々の網戸を通り抜けていった。
・・・・・・さああぁぁ ・・・・・・ちゃぷん ・・・・・・さささぁぁぁ
今日の潮目は小潮だろうか。
港からは、ごく小さな波音が聞こえていた。