2、鈴鹿家の日常
「はぁ・・・・・・はぁ・・・・・・。おかーさぁん、ただいま! あー、いい汗かいた!」
「お帰り、葉月。帰ってきて早々、悪いんだけど、そこのオキアミ、凍らせておいて?」
「あいよーっ。わかった! ふくろ、ちょーだい!」
葉月は、母の睦子から、ビニール袋を受け取って、オキアミを柄杓ですくって詰め込み、冷凍コンテナの中へひとつずつ、しまい込んだ。
茨城県の東部。太平洋に面した小さな漁師町である、大荒井町。葉月の家は、この町で小さな釣り具屋を家族三人で営んでいる。
「おかーさん、ジャリメは?」
「あぁ。今日はまだ、獲ってきてないね。ごめん、朝稽古行く前に頼めば良かったね」
「ううん。わたし、いってくるよ。パックちょーだい?」
「気をつけてね。文弥を起こしたら、向かわせるからね」
「えー、まだ寝てるの? いーよねぇ、小学生は。わたしも、三年前に戻りたーい」
「葉月も、受験生なんだから、無理しなくていいんだよ? お母さんが行こうか?」
「何言ってんの! おかーさん、わたしはこれも、自分磨きの一環だよっ!」
「まったく、葉月ったら。・・・・・・全国大会、もうすぐなんだから、身体は大事にね?」
「だいじょーぶ! 楽しみだな、全国! ぜったい、優勝するっ! じゃ、行くね!」
葉月は、小さな熊手とバケツを持ち、透明なプラスチックパックを母から十個受けとって、砂浜へ向かった。
ざしざし ざしざし ざしざし ざしざし・・・・・・
「よぉし! ゲットー。こんくらいで、いいかなー」
葉月は、磯の岩を転がし、その下の砂利を熊手で掘って「ジャリメ」と呼ばれる環形動物を次々と捕まえ、バケツに放り込んでゆく。
ムカデのような、ミミズのような、その不思議な生き物は、魚釣りの餌として、釣り具屋のいい収入源になる。
「・・・・・・姉ちゃん、ごめん。寝ちまったー」
寝ぼけ眼をごしごしと擦り、坊主頭の子供がジャリメを獲る葉月のもとへ歩み寄る。
「起きたなー、文弥! ねぼすけめ! さぁ、手伝って!」
「うん。・・・・・・でも、もう、だいぶ獲ってんじゃん」
「まだ、足りないよ。ほら、そこの石、ひっぺがして! まだまだ獲るのっ!」
弟の文弥は白いシャツに砂をつけ、海水まみれになって姉のジャリメ獲りを手伝った。
・・・・・・タンタンタンタンタン・・・・・・
・・・・・・ざざざぁぁ ざざざぁぁぁ ざああぁん・・・・・・
マスクをしたお爺さんが一人乗った漁船が、エンジン音を立てて、波間を進んでゆく。
きらめく水面。輝く白波。ウミネコが鳴き、港の海面に浮くウミウが水に潜る。
いつもと変わらぬ早朝の海辺で、葉月は弟と「仕事」を終えて家に戻った。
「ただいまー。おかーさぁん。すっごく獲れたよ!」
「ありがとね! じゃ、文弥とパックに詰めて、冷蔵庫にいれといて」
「はーい。文弥、手伝えっ! やるよ!」
「あい。姉ちゃん、でかいのと小さいの、仕分けてよ」
葉月は、大きなジャリメと小さなジャリメを、割り箸で掴み、うまくバランスをとってパックに入れてゆく。そのパックを、文弥が封をして、専用の冷蔵庫へ次々と入れる。
「・・・・・・あー、終わった! おかーさん、終わったよ!」
「ありがとね! じゃ、二人とも、朝ごはん食べちゃいな!」
「「 はぁい! 」」
葉月と文弥は、四畳半の茶の間へ上がり、丸ちゃぶ台の上に置かれた朝食を食べる。白ご飯に、シジミの味噌汁。おかずはアイナメの煮つけに、ニンジンと青菜の糠漬け。
二人は、笑顔でその朝餉を楽しみ、頬張り、味わって飲みこんでゆく。
朝食を終えると、姉弟は茶の間の隅にある仏壇に手を合わせ、歯を磨いてから学校へ向かった。
潮風が抜ける、家の裏。隣の家には、ノウゼンカズラが咲き乱れている。橙色の花がラッパのように咲き乱れ、かあっとした朝の陽ざしを受けて、風に揺られていた。