1-6 死霊魔法
死霊魔法――もとい死属性魔法というものは、文字どおり、相手の死に関与する魔法だ。
相手が生きている相手なら、その生命活動を奪い、死にいたらしめる。
もっと深く掘り下げるのであれば、その者の魂に触れ、それを肉体から引き剥がす魔法ともいえるだろう。
ゆえに、死属性魔法が効かない相手も存在する。
魔力によって自律機動する、魔法生物と呼ばれる無機物の魔物。
生命活動はおこなっているが、存在の核となる霊魂がない植物などの魔物。
そして――死した肉体と霊魂が呪いで結ばれ、引き剥がすことができない、アンデッドと呼ばれる不死の魔物。
そうした相手には、死を与えることは叶わない。
けれどニルスの才覚は、死という概念のみならず、それが影響を与える霊体や魂に関与する分野にまでおよぶ。
死霊属性――霊属性魔法というものは、その最たるものだ。
これを極めれば、たとえば不死者と対峙したとしても、その身が滅するまで焼却するなどの手間をかけることなく、霊魂そのものを消し去ることができる。
逆に、霊魂を活性化させることで生前の能力を取り戻させたり、その活性化を肉体にまでおよばせ、強化したりすることも可能だ。
加えて――霊属性の秘奥と呼ばれるものには、霊を使役する魔法もある。
ざっくりと言ってしまえば、不死者を操れるということ。
さらに効果を増やすなら、残った魂と朽ちた肉体の結びつきを強化し、新たなアンデッドを生むこともできる。
逆に――肉体が新鮮であるならば、それをよみがえらせることも可能だ。
もちろん、魂と縁のない無機物や植物などを相手にする場合は、さすがにそれらの魔法だけでは対抗できまい。
だが、魔法によって生みだされた尖兵がいれば、軍勢として対峙できる。
対抗しうる兵を生みだせるというのは、無限の味方を得るも同然だ。
家中の多くを分家に抱き込まれ、こちらに連れてきたデューラとトイコのほか、どれだけ味方が残っているかもわからない――。
そんなリスティアにとって、これほど心強い援軍がいるだろうか。
…
ひととおりの講義を受け、与えられた文献や書物を取り込み、死霊魔法について学び知ったニルスは、時間も忘れて研鑚を重ねた。
その中でひとつ疑問に感じたことは、本当に彼女たちは、これを自分に教えてよかったのだろうか――ということだ。
魔界の住人であっても、リスティアたちはアンデッドである。
通常のアンデッドとは異なり、絶大な魔力でその身を不死へと超越させた、いわゆる上位種だが、それでもアンデッドには変わりない。
ニルスがもし魔法を極めたなら、彼女たちはニルスの思うがままだ。
もちろん、そんなつもりは微塵もないが、本人たちからすれば、不安視していても不思議はない。
もしかすると、そういった事態に気づいていないのだろうか。
まさかと思いつつもニルスは、デューラにそれを問いただした。
自分の存在は、セームディオンにとってリスキーではないか、と。
「ああ――それはもちろん、存じておりますとも」
こともなげに答えた老執事は、悪だくみするような顔で周囲をうかがった。
「なればこそ、そのすべを教えておくようにと、お嬢さまは仰せに」
「それは、どうして――」
「逆の立場で見れば、ニルス殿こそ我々を不安視すべきですからな」
指摘されたことで、ニルスはようやくその考えに思いいたる。
人間界ではおそらく誰も知らないであろう、魔界という存在を聞かされ、そこの住人である貴族――アンデッドの家臣になった。
ニルス自身は不安などないが、常人なら気が気ではないだろう。
彼女たちの話が、すべて謀りであったら――。
実際は人間界を狙い、襲撃の拠点を着々と築いているのだとしたら――。
自分は人間を裏切り、その手伝いをさせられているのでは――。
彼女たちが人間の――ニルスの敵であった場合、対抗しうる手段はない。
だからこそリスティアは、ニルスに与えるべきだと判断したのだ。
自分たちを従え、滅することもできる力を。
敵対した際の武器として、与えることを。
「リスティアさまが、そんなことを……」
彼女の主としての、支配者としての器の大きさに、感銘を受ける。
ニルスがリスティアの敵であれば、あるいは敵対することになれば、滅ぼされかねないというのに、その方法を伝えるに躊躇がない――。
会って間もない人間だというのに、自分を裏切ることはないと、確信しているかのようだ。
どうして彼女が、そこまで自分を信じてくれるのか、それはわからない。
わからないが――その事実だけで、十分だ。
もはや自分の中にも、彼女を疑う気持ちは微塵もない。
ただ、拾ってもらえたから――命を救ってもらったから。
そのことへの恩返しと、美しさへの憧憬から誓った忠誠は、そのときはっきりと形を変えた。
リスティアへの信奉と、心服と、全幅の信頼という形へ。
(この力は、僕の力じゃない――お嬢さまのお力になるんだ)
以降、ニルスはそれまでよりさらに励み、魔法の習得を急いだ。
そしてどうやらその熱意は、見いだされた才とうまく噛み合ってくれたらしい。
一ヶ月後――ニルスは見事、魔導書に記された魔法をすべて会得し、高精度で使いこなせるまでに習熟していた。
◇
四属性の基礎魔法しか使えないニルスにとって、これほどレベルの高い魔法を使うのは、もちろん初めての経験になる。
しかし、それに対して緊張や戸惑いなどはない。
リスティアが見いだしてくれた才能をもって、魔法の仕組みや魔力の注ぎ方を完全に熟知しており、あとはそれを行使するだけだ。
いまのニルスに、できないはずがない。
「――いかがでしょう、自由に動いてみてください」
言いながらニルスは、居並ぶ三人――リスティア、デューラ、そしてトイコを見つめる。
いま発動させているのは、アンデッドを使役する魔法だ。
本来なら対象に触れることで、効果が生じるものではあるが、ニルスは三人を視界におさめているだけである。
それでも三人は、動くことができないでいた。
「ふっ――ふふっ、うふふふふっ……すばらしい成果ですわ、ニルス」
上位種が備えている抵抗力と自身の魔力により、使役こそはまぬがれたリスティアだが、身体はわずかに身じろぐばかりだ。
動こうとしてはいるようだが、それをニルスの魔法が押さえつけ、互いの力が均衡するような形で制止している。
心の支配権はリスティアが持ったままだが、身体の支配権は、ニルスとリスティアで折半している状態――とでもいうべきか。
身体を奪われるような状態にありながら、リスティアは恐怖や屈辱ではなく、たしかな喜びを感じているのか、恍惚とした笑みを浮かべていた。
「よくやりましたわね、ニルス……いえ、ニルスさまと呼ぶべきかしら?」
「ご、ご冗談を……これもすべて、リスティアさまのおかげなんですから」
魔法を解除され、押さえられていた反動に小さく身体を揺らした彼女は、取り戻した自由をたしかめるように、四肢をさすっている。
「いやはや、驚きましたな。まさかここまでとは」
同じように四肢の状態を確認するデューラは、どこか戦慄した様子で、ニルスを見やっていた。
おそらくこれで、自身がニルスに勝てなくなったことを、理解したのだろう。
そんな彼が主に牙を剥けば――と、警戒する気持ちはわからなくもない。
それを察しつつ、ニルスは彼に視線を向ける。
「どうでしょうか、デューラさん。これならお嬢さまのお供として、恥じない働きができるかと思うんですけど……」
どこか自信のなさそうなニルスの姿に、デューラは軽く目を見開きつつ、ヒゲの奥で唇を緩めた。
「――ええ、もちろんですとも」
答えたデューラは、深々と頭を下げる。
「どうかお嬢さまのことを、よろしくお願いいたします……私が手塩にかけてお育てしました、大事なお嬢さまですので」
「おやめなさいっ、恥ずかしい!」
まるで父親か祖父であるかのようなデューラの言葉に、リスティアは顔を赤くして、それをたしなめる。
「そ、そんなことより――」
赤く染まった頬をパタパタとあおぎながら、彼女がチラリと視線を向けた。
「ニルスはこれからも、わたくしに仕えるつもり――と、そう受け取ってもよろしくて?」
「はい。もちろんです、リスティアさま」
即答したニルスは、彼女の足元へひざまずく。
「この命も、力も、すべてはリスティアさまからいただいたものです。どうか、リスティアさまのために使わせてください」
「――ええ。よくてよ、ニルス」
彼女が手を差し伸べるのを見て、ニルスはその甲に軽く口づけた。
「ふふっ……わたくしがあなたをだましていたら、どうするつもりですの?」
「リスティアさまは、そのような方ではないと思っています――でも、たとえそうだとしても、僕の気持ちはもう変わりません」
いざというとき、彼女を弑せる力まで与えられておいて、いまさら彼女に反旗をひるがえすことなどできない。
「僕のすべては、リスティアさまのものです」
「……いい子ですわ。期待していますわよ、ニルス」
どうやら、その答えは正解だったのだろう。
彼女の手は愛おしげに頬を撫で、そのままニルスを立ち上がらせた。
「ではさっそく、今後の方針を決めますわよ。トイコ、お茶の支度を――」
そう口にしたところでリスティアは、ふとなにかに気づいたように、メイド少女のほうを見つめる。
普段は騒がしいくらいの彼女が、妙におとなしくしているのだ。
遅ればせながらニルスもそれに気づき、不安そうに表情を曇らせる。
「さっきの魔法が、なにか悪影響を与えたのかも――」
「わたくしは特に、なにも感じませんけれど……しっかりなさい、トイコ。なにがありましたの?」
リスティアがそう声をかけ、軽く肩を揺すると、トイコはハッと夢から覚めたような顔になり、まっすぐにニルスを見上げた。
「大丈夫、トイコちゃん? ごめん、僕の魔法のせいで――」
「ニルス――さっきの、もう一回しろ!」
「えっ――うわっ!?」
勢いよく飛びかかってきたトイコを支えきれず、床に押し倒される。
「ちょっとトイコ、なにをしていますのっ! 離れなさいなっ!」
そんなリスティアの声も聞こえない様子で、彼女は赤く染まった頬と、潤んだ瞳で、ニルスに詰め寄ってきた。
「さっきの、すごくっ……すごく、気持ちよかった……もう一回して!」
「お、落ち着いて、トイコちゃんっ……あぅっ!」
そのまま少女は首筋にすがりつき、耳元に囁きかける。
「お願い、してっ……もう一回、してぇ……なぁ、頼むぅ……」
密着する唇が、首筋や耳朶を舐め、甘い吐息を浴びせかけた。
「や、やめっ……ふぁっ……」
ニルスはたまらず脱力し、そこを強烈に抱きしめられ、動けなくなる。
「は――離れなさいと言っていますでしょうっ、このおバカッッ!」
そんな二人を無理やり引き剥がしたのは、お嬢さまの蹴りだった。
跳ね飛ばされたトイコは床にころがり、すぐさま頭を振りながら、フラフラと立ち上がってくる。
「あれ――なんだ、いったい……トイコ、なにかしてたか?」
どうやら先ほどまでの記憶は、完全に失われているらしい。
というより、魔法をかけられてからずっと、無意識状態だったのだろうか。
そんなトイコの反応を見て、リスティアはジロリとニルスを睨む。
「……本当に使役の魔法でしたの? というより――トイコには、使役がかかっていたのかしら? だとしたら、ニルスがやらせていたということに――」
「なにもしてませんっっ! 魔法も解除してますしっ!」
とんでもない誤解だと、必死で否定するニルス。
そんな三人の様子を眺め、デューラはふむとあごをさすっていた。
「私も特に、なにも感じませんでしたからな――トイコの抵抗が弱かったこともありますが、魔力相性の問題ではないかと」
「あ、相性でしたら、わたくしだって……」
モゴモゴと口ごもるリスティアを見やり、デューラはニヤリと笑う。
「つまりトイコのほうが、ニルス殿と相性がよかったのでしょうな」
「なっ――」
思わずという様子で瞳を吊り上げたリスティアが、二人のほうを睨む。
その視線の先ではトイコが、またもニルスに密着しており、自分のそんな行動を不思議がりながら、彼を見上げていた。
「……トイコ、なんかおかしい。ニルスの傍にいると、お腹があったかくなる……こうしてると、すごく気持ちいいぞ」
「な、なんで……ぅっ……あの、ちょっと離れてみて?」
「……やだ」
親から離れることをいやがる子供のように、トイコがニルスに抱きつく。
リスティアは無言で歩み寄り、二人を引き剥がすと、強引に割り込んだ。
「――ニルス」
「は、はいっっ!」
「……追及はしませんし、真偽も問いませんわ。ただ、お忘れなさい」
「お、仰せのままに……」
よくわからないが、お嬢さまがそうおっしゃるなら従うまでだ。
接触をはばまれたトイコが、物欲しそうに指を咥えてこちらを見ているが、顔を赤くしつつ目をそらすしかない。
(でも……実際のところ、いまのはどういうことなんだろ?)
使役魔法が発動したことは、リスティアたちへの効果からして間違いない。
それがトイコにだけは、少し強い効果で発揮された――ということだろうか。
トイコの種族は、二人のような貴族級のアンデッドではなく、どちらかといえば下級のアンデッド種だ。
無機物に魂を固着させた、リビングドールという種族だと聞いている。
そのため抵抗が弱く、使役の魔法がかかりやすかった――つまり、完全な効果が発揮されていた可能性は高い。
とはいえ、ニルスはあんな行動を命じていないのだから、その後の反応が、魔法の効果だとは思えなかった。
そういえば、彼女の身体は特別製で、完全な無機物ではないという。
もしかするとそのことが、魔法の効果に差異を与えたのかもしれない。
ただ、いずれにせよ――。
「それと、今後――トイコには、使役の魔法を使わないようになさい」
「はい」
「……絶対ですわよ?」
「は、はい……」
お嬢さまの厳命を受けたなら、それを確認する機会は訪れないだろう。
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