1-5 ダークライト
ここからが、いよいよ本題のようだ。
ニルスがどのような形で、彼女の力になりうるのか。
「わたくしの目的は――人間界でしか手に入らない鉱石、ダークライトを集めること。そして、それを持ち帰り、セームディオン家を正式に継承することですわ」
情報量の多いその言葉に、気になるのは二点だ。
こちらでしか手に入らないという、ダークライトなる鉱石の存在。
そして、家を正式に継承するという意味について。
ニルスの疑問を察した様子で、彼女は語り始める。
「ダークライトという鉱石については、おそらく知りませんわよね?」
「ええ、聞いたことも――」
無学を恥じつつも、さすがに知ったかぶりはできない。
そんなニルスの返答に、令嬢はクスリと微笑んだ。
「大丈夫ですわ、それが当然ですもの。なにせ魔界においても、発見報告はたったの一度――それも、何百年も前の出来事だそうですわ」
当時――魔界では、魔力渦の大々的な調査がおこなわれることとなり、セームディオンの先祖も、それに参加していたそうだ。
その際、調査中の事故によって魔力渦に呑まれた先祖は、なんと人間界に迷い込んでいたとか。
それから数年、あるいは数十年という時をかけ、先祖はどうにか魔界に帰りついたそうだが、その際に、奇妙な鉱石を手にしていたという。
それが、くだんの鉱石だ。
宵闇をさらに色濃くしたような黒い鉱物でありながら、まるで発光しているような鈍い輝きを見せるそれは、ダークライトと名づけられた。
魔界では見つかったことのないそれは、おそらく人間界にのみ存在するのだろうと結論づけられたものの、話はそれで終わりではない。
その美しくも妖しい鉱石の輝きは、時の魔王をして魅入られるもので、どうにか数を集められぬものかと、一大事業にまで発展することとなった。
献上された唯一の鉱石は、そのままセームディオンへと下賜され、同じものを探すか、作りだせるよう研究せよと命じられる。
念のため、魔界全土を探したものの、報告されるのは別物ばかり。
ならば複製ができるかと問えば、それも不可能だ。
そもそも、通常の鉱石でも複製などできないのだから、見たこともない鉱石となれば、精製する技術すらあったのかどうか。
「――そうして、セームディオンが達した結論は、ひとつですわ」
「もう一度、人間界に渡ること……ですね」
「ええ。わたくしがこうしてここにいるのも、そうした研究による成果、ということになりますかしら」
魔力渦の研究と、それにともなう技術革新もあり、セームディオンは数百年をかけ、数度の代替わりを経て、人間界に渡航する手段を見つけだした。
ただ、魔力渦の研究もあって、人間界の秩序を乱すほど大きな介入をすることは、王命によって禁止されている。
また、渡航には影騎士ならではの特性も必要とあって、大調査団を人間界に送ることも不可能だ。
もちろん当時のセームディオン当主は、自ら調査に赴くことを訴えたが、さすがに当主ひとりでの調査など許されるはずもない。
まして、当主は高齢でもあったのだから、その心配も当然と言えよう。
やむなく当主は技術研究を進めることとし、供廻りを増やせるよう、いくつかの手段と道具を開発した。
だが――不死者とて、不滅ではない。
それら研究の成果を試すより先に、当主は没する。
年老いてから生まれた、唯一の後継者である少女を残して。
「そしてわたくしは、お父さまのご遺志を継ぎ、ここにきた――と言えましたら、少しは格好がついたのですけれど」
その後、家督を継ぐことになるリスティアだが、そこで分家から邪魔が入る。
亡くなったセームディオン当主――つまりリスティアの父は、長子の血筋ではなかった。
その泣き所を狙い、分家の長が声を上げたという。
我こそが長子の血筋、正統なセームディオンの血統だ。
自分を後継とし、この血筋をこそ本家筋にすべきである――と。
「もちろん、わたくしとデューラは反発しましたけれど……分家の言い分を汲む者が意外なほど多く、危うく家督を奪われるところでしたの」
おそらく――家中の多くが、抱き込まれていたのだろう。
残る面々にしても、積極的にリスティアを支持しているわけではない。
デューラがいなければ、彼女の身すら危うかったはずだ。
「ですが――そこで声を上げてくださったのが、今代の魔王陛下ですわ」
先代セームディオンの技術開発という功績をもとに、リスティアを仮の当主に任じた魔王は、渡航技術と機器の運用試験を命じる。
それを使って人間界に赴き、ダークライトを見つけてくるように――と、王命が下されたのだ。
あるいは、分家の手から遠ざけようとする配慮だったのかもしれないが。
「いずれにせよ――わたくしはその命を受け、ここにいますの。まぁ……残念なことに、まだ成果は上がっていませんけれど」
そう笑うリスティアの言葉は、冗談半分、自嘲半分というところだ。
そんな彼女の態度を見ていると、義憤のような感情が込み上げる。
「……期日は、決まっているんでしょうか」
「わたくしが成人するまで――こちらとはタイミングが違いますから、あと五年というところかしら」
「もし、間に合わなかったら――」
「先祖代々の成果――特に、お父さまの生みだしたすべてが、分家に奪われてしまいますわ。わたくしがどうなるかは、彼らの気分次第でしょうね」
ないがしろにされるだけなら、まだいいほうだろう。
最悪は、家を割る異分子になると見なされ、殺されること。
そうでなくとも、分家の誰か――当主の子などに、嫁がされる可能性もある。
正当性を簒奪するには、その血筋を合わせることが合理的なのだから。
たとえそれが、リスティアには耐えがたい屈辱だったとしても。
「まぁ――最後まで抗い、それでも無理なら……潔く散りますかしら」
「だ、だめです、それはっ!」
思わずといった形で、ニルスは手を伸ばし、彼女の手を取っていた。
あら――と驚いた顔を見せるリスティアだが、手を振り払ったりはしない。
上からもう一方の手を重ね、甘い微笑みを浮かべる。
「これは、承諾と受け取ってよろしくて?」
「……僕の力が役に立つというなら、ぜひお傍に置いてください」
たとえ、鉱石が見つからなかったとしても、最悪の事態だけは避けなければ。
(死霊魔法っていうのが、どんなものなのか……僕にどれだけの力があるのか、それはまだ、わからないけど――)
彼女は言っていた、影騎士とは相性が最高だと。
この分野を極めることができればきっと、リスティアを守ることもできる。
初対面で、突拍子もない話を聞かされ、しかも相手は人間ではない。
それでも――彼女は、命の恩人だ。
そしてニルス自身、彼女に惹かれてもいる。
惚れた腫れたの話ではない。
彼女の人柄、寛容さ、器の大きさ、誇り高さ――そういった要素が、彼女に仕えたいと思わせてくる。
それだけのカリスマ性が、リスティアにはあった。
もちろん――そこに美しさも影響していることは、否定しないが。
「決まりですわね――今日からわたくしが、あなたの主となりますわ。その身と、才と、生涯をかけ……心から、わたくしに臣従なさい」
「は――はいっ!」
彼女の下に置かれたはずなのに、その感覚は心地よかった。
この美しい令嬢を支える立場になれたことを、心から光栄に思っている。
(リスティア=セームディオンさま……僕の、ご主人さま――)
胸中でつぶやいただけで、妙な感覚が全身を駆け抜けた。
言霊というものがあるなら、これはまさに、そのたぐいのまじないだろう。
「――では、ニルス?」
「は、はいっ、ご主人さま!」
妙なことを考えているうちに、彼女が身を寄せ、顔を覗き込んでいた。
吐息のかかるような距離に、その美貌がある。
驚きのあまり、そう叫んでしまったニルスの反応を見て、リスティアはきょとんとし――。
「……ふふっ、リスティアでかまいませんのよ?」
そうクスリと笑い、ニルスの頬を撫でた。
「まぁ――ご主人さまと呼びたいのであれば、それでもかまいませんけれど」
「い、いえ……それでは、リスティアさまと――」
カァッと、耳が熱くなるのを感じる。
そんなニルスの初々しい反応が、琴線に触れたのだろうか。
彼女の手は頬や首筋を、まるで愛玩動物に触れるかのようにやさしく、そして艶めかしく撫で上げる。
「本当にかわいいですわね、ニルスは」
「も、申し訳ありません……ぅっ……」
身体中の血が激しくめぐり、特定の部位が充血していくのを感じ、ニルスは真っ赤になっていた。
「――おそれながら、お嬢さま。おたわむれは、ほどほどに」
そんな主従のじゃれ合いを、しばし静観していたデューラだが、これでは話が進まないと悟ったのか、そう告げる。
「よいではありませんの、少しくらい」
「ニルスさま――いえ、ニルス殿もお困りの様子。それに彼には、やっていただかねばならぬことがありましょう?」
「……まぁ、それもそうですわね」
渋々といった様子で、リスティアは名残惜しそうに手を遠ざけた。
ニルスにとっても名残惜しくはあるが、主人に対して失礼をせずに済んだ、その安堵のほうがやはり大きい。
呼吸を落ち着かせていると、彼女は立ち上がり、そしてデューラも近くへやってくる。
「では改めて――あなたにはまず、力をつけてもらいますわ」
「あ……はいっ、がんばります!」
危うく勘違いするところだったが、ニルスはまだ、才を見いだされただけだ。
死霊魔法を会得しなければ、彼女を守れないばかりか、支えることも、力になることもままならない。
「デューラ、書庫へ案内を。それと、基礎の指南もしておあげなさい」
「かしこまりました。ではニルス殿、ご足労願えますかな」
ベッドサイドにスリッパを置き、ついてくるようにと老執事が促す。
敬称が変わったのは、主人の客人から、同僚――あるいは部下へと変わったからだろうか。
デューラの言葉にうなずき、ニルスもベッドから起き上がる。
死に瀕し、しばらく眠っていたことで固まっていた身体も、いつの間にかしっかりとほぐれていた。
彼に続いて部屋を出ると、絨毯の敷かれた長い廊下が伸びている。
廊下は横幅も広く、屋敷の相当な大きさがうかがえた。
「どうぞ、こちらへ」
案内に続き、廊下を奥へ向かうと、両開きの大きな扉に出くわす。
開かれたそこが、書庫なのだろう。
壁際に、そして正面から奥へ向かうように、多くの本棚が並んでいた。
ただ、目当ての本は、そこには置かれていないらしい。
本棚の間を抜け、書庫の奥へ向かうと、もうひとつ扉があった。
重要な書物がおさめられているのか、しっかりと鍵がかけられている。
解錠したデューラが扉を開くと、妙に冷たい空気が流れてきた。
その一方で、カビ臭さや埃臭さなどは感じられない。
湿気によるものではなく、魔力的な冷気が漂っているのだろう。
その証拠に、石造りの空間は全体が青白く発光しており、どこか神秘的な雰囲気すら感じさせる。
中は円柱状になっているらしく、壁際をグルリと本棚が囲っていた。
最奥には机が置かれ、部屋の中心部は、広くスペースが取られている。
魔法を実践できるように、というところだろうか。
そんなことを考え、ニルスが興味深そうに中を見まわしていると、机にランプを置いたデューラが、こちらを振り返った。
「魔界に関する書物はひととおり、ここに保管しております。万が一、こちらの住人の目に触れては大変ですからな」
「たしかに――ということは、この屋敷はやっぱり人間界に?」
「そういえば、ご説明を忘れておりましたな」
いやぁうっかり、とばかりにデューラがからからと笑う。
「ニルス殿が拾われました、王都サモニアの近くにございます。南門より一時間ほど歩いた先の森に、ちょうどよい物件がありましたもので」
それを購入し、内外に改築を加え、人間界での拠点にした――とのことだ。
不動産ひとつをあっさりと購入したこともそうだが、この書庫を見るに、改築にも相当の資金と技術がかけられている。
盗人に目をつけられる可能性を思えば、魔界に関する知識について、管理が厳重になるのも当然だ。
(……というか、一回くらい泥棒に入られたんじゃないかな)
そんな風に思うが、それを聞いてみる勇気はなかった。
きっとその泥棒は、二度と外に出られなかっただろうから。
「まぁ――この屋敷や、ここでの暮らしについては追々……時間に余裕のあるときにでも、またお話しするとしましょう」
デューラはそう締めくくり、壁際の本棚に向かう。
「……改めて申し上げる必要はないでしょうが、お嬢さまの家臣となられたからには、相応の力をつけてもらわねばなりません」
「はい、覚悟しています」
この屋敷が拠点だとしても、どこに鉱石があるのかわからない以上、世界各地へ赴き、手がかりを探さねばならない。
そのどこに行こうと、どんな相手と敵対しようと、満足に戦え――かつ、リスティアを守れるだけの力が必要だ。
「――とは言いましても、私はさほど心配しておりません」
「それは……僕に才能があるから、でしょうか」
リスティアのお墨付きであるのだから、自分にその才能があるということは信じられるし、また励みにもなる。
だが、それでもニルスは、才能という言葉が怖い。
かつてのニルスも、魔法の才覚を認められ、周囲の期待を寄せられていた。
けれど、実を結ぶことのなかった期待はのちに、失望と侮蔑を招いている。
胸の痛くなる決別も、突きつけられた。
なんらかの才能があったとして、本当に自分は、それを活かせるのだろうか。
新たに見いだされた才能――寄せられた期待。
ニルスがそれを裏切ってしまったとき、彼女――麗しの令嬢は、どのような決別を言い渡すのか。
リスティアにまで見捨てられることになれば、今度こそ本当に、自らの意思で川に身を投げてしまいかねない。
死ぬのは怖くない――けれど。
彼女に失望されることは、どうしようもなくおそろしかった。
自身の才能と向き合う勇気が持てない。
そんなニルスの心境に気づいたのか、数冊の本を手にしたデューラが、フッと唇を緩める。
いまさらだが彼は、首を持ち歩かない主義のようだ。
「まずは、ご安心を――お嬢さまは、自らの家に迎え入れた忠実な者であれば、いかなる理由があろうとお見捨てにはなりません」
そして――机に本を置き、彼は続ける。
「ニルス殿はお嬢さまにとって、その存在自体にも需要がございますからな。あの方のお傍を離れぬよう、それだけは留意していただきたい」
「……わかりました」
それはつまり、ニルスが死霊魔法を会得できずとも、ということだ。
そんな自分になんの価値があるのか――少し考えて浮かんだのは、この身に宿ると言われた、膨大な魔力量だ。
(いざというときは、リスティアさまの非常食に――ってことかな)
自分を食すことで彼女が、さらなる力を得るというのであればたしかに、傍に置いておくべきだろう。
そう納得したニルスがうなずくと、デューラも安堵したように微笑む。
ただそれは、話がまとまったことを喜んでいる表情ではない。
互いの理解に齟齬があり、それによって主人の意図が家臣に届いていないことを見越した上で、状況を楽しんでいる――そんな笑みだ。
「あの……僕はなにか、勘違いしてるんでしょうか?」
「いえいえ、そんなことはございませんとも」
明らかに嘘だと思われたが、ニルスの立場と話術では、それを追求できる気がしなかった。
やがてデューラに着席を促されたため、ニルスはいまの話は置いておき、ひとまずは勉強に集中することにする。
ともかく魔法さえ使えるようになれば、リスティアの傍にいても恥ずかしい存在にはならず――また、胸を張って彼女の力になれるのだから。
「では、まずは死属性魔法の基礎から――」
そんなデューラの言葉を聞きながら、ニルスは用意された本――魔導書のページを、ゆっくりとめくった。
首を持つと腰痛に響くそうです。
自分も、腰の痛みを知りました。