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1-3 影騎士、セームディオン伯爵


 聞いたことのない貴族――だというのに、その響きには威厳があった。

 千年も続く伯爵家ともなれば、そこにはもはや、王族すら手が届かない歴史の積み重ねがあるのでは――。

 そう思ったところで、ニルスは違和感に気づき、不思議そうに彼女を見つめる。


「セーム……ディオン……さま」

「――リスティアでかまいませんわよ、ニルス」

 再び腰かけた彼女は、立ち居振舞いからしても令嬢そのものだ。

 その言葉に、嘘があるとは思えないが――先の言葉は、明らかに矛盾する。


「あの……この国ができてから、まだ三百年と、四十年ほどですが――」

 そこに住まう貴族が、どうして千年もの歴史を重ねられるのか。

 もっともな疑問ではあるのだが、さりとて彼女が、嘘や勘違いで貴族のように振る舞っているとも思えない。

 遠慮がちなニルスの問いに、彼女は唇を緩める。


「ええ――セームディオンというのは、魔界の貴族ですの。この国の歴史や政治とは、なんの関わりもありませんわ」


 家名に聞き覚えがなく、王国の歴史より長く続いていても当然――。

 そんな堂々とした彼女の言葉に、ニルスは完全に混乱していた。


(ま……魔界の、貴族? っていうか、魔界ってなに――じゃなくてっっ!)

 それ以前の問題として、彼女は先ほど、こう名乗ってはいなかったか。

 影騎士の名門――と。

(まさか、この人――この人たちは、魔物だっていうのっ!?)


 影騎士というのは、それこそ百年以上前の文献に記された、いわば伝説上の存在とされるアンデッドの魔物だ。

 影にひそみ、宵闇にまぎれ、獲物がどこに逃げようと追い続ける執念を持つため、出会った者が助かることは、まずありえないという。


 また、数多のアンデッドを支配し、それらをともなって狩りに興じることから、貴族階級の魔物だろうとも考えられていた。

 アンデッドの貴族といえば吸血鬼が有名だが、そうした有名どころに勝るとも劣らない強さと恐怖で知られながら、正体は闇に覆われている不死の魔物――。


 そんな怪物の――おそらく真の姿が、目の前の美しい令嬢だというのか。


「本物の、影騎士……? もしかして、あの執事さんも――」

「ああ、デューラは違いますわ」

 言いながら令嬢に視線を向けられ、老人はペコリと腰を折る。


「申し遅れました――私は、デュラハンのデューラと申します。セームディオン家には先々代よりお仕えし、お嬢さまの教育係を仰せつかっておりました」

 どうぞよしなに――そう、おだやかな笑みを浮かべた老人ではあるが、ニルスの頭は完全に真っ白になっていた。

(デュ、デュラハンって……それも、有名なアンデッドじゃないかっ……)


 自身の首をかかえ、首のない馬の戦車チャリオットを駆る、凶悪な幽霊騎士――それがデュラハンだ。

 現在では、十階層以上ある魔宮の奥に出現すると言われており、Sランク冒険者であっても討伐が保証されるものではない。

 逆に狩られる冒険者も少なくはなく、そうした犠牲者は新たなデュラハンとなって、同じ魔宮を徘徊しているとも言われている。


(そ、そんなことって……いや、でも……)


 まず疑うべきは、二人の正気だろう。

 しかし彼女たちが狂人だとして、その狂人のために、これだけの財を尽くした家屋や調度を、誰が用意するというのか。

 これらの家財が自前のものだとすれば、目の前の彼女が貴族のご令嬢だというのは、間違いないだろう。


 ならば理由は不明だが、貴族特有の道楽かなにかで、自分のような平民をからかって楽しんでいる――という考えはどうだろうか。

 可能性としてはありえなくないが、本能的に、そうではない気がする。

 リスティア嬢の持つ雰囲気、それに落ち着いた振舞いや、話し方や仕草から感じられる気品は、人をからかって楽しむ人種のそれには見えない。


 冗談でも、狂人でもないなら――彼女は本当に、魔物の貴族ということなのか。


「……ぼ、僕を、どうするつもりなんですか?」


 一瞬にして生きた心地を失ったニルスは、青い顔で声を震わせる。

 そんな客人を見つめる令嬢は、どこか愉快そうにクスクスと笑い、ベッドサイドから身を寄せてきた


「うふふ……あなたは、どうしてもらいたくて? 肉体を食らうか、魔力を啜るか……最期の瞬間くらいは、選ばせてあげてもよくてよ」


 おそろしい選択肢を突きつけられ、ニルスは心胆から震え上がる。

 けれど同時に、リスティアの美しい瞳に見つめられ、その白魚のような細い指にあごを撫でられると、甘い電流が背筋を蕩かすように走った。


「その怯えた表情……最高にそそりますわ❤」

「や、やめて、ください……うぅっ……」

「あら、よいではありませんの――あのように、世をはかなんで入水するくらいでしたら、わたくしの糧となるほうが有益ではなくて?」

「ち、違います、僕はっ……」


 自殺をはかったわけではなく、ただ事故で落水しただけだ。

 しかし、その言葉が出てこない。

 こんなところで殺されたくはないのに、彼女の――この美しい令嬢の糧となって果てる最期を、どこか魅力的に感じてしまっている。


 恋人に捨てられ、冒険者としての未来を失い、ニルスに待っているのは故郷での平凡な暮らしだけだ。

 人とは違う、特別ななにかを求め、一時はその可能性さえ感じていたことが、この甘美な死を欲しているのかもしれない。


 伝説的な魔物に食われ、その相手の血肉となる――。

 力をつけた魔物は、より多くの人を襲い、命を奪うことになるかもしれない。

 それでも、自身の膨大な魔力の使い道としては、どこか魅力的な選択肢に思えてしまうのだ。


(っ……この人に、食べられる……僕の、すべてが――)

 ニルスの視線は、魅入られたように彼女の唇を見つめていた。

 可憐な花びらのような唇が開き、自分に食らいつき、血肉を貪る光景を想像してしまう。


 強烈な痛みは自分を苛み、無様に悲鳴を上げることになるかもしれない。

 そんな自分の姿を、彼女は微笑みながら見つめ、最後の一滴まであまさず、肉も魔力も食らい尽くすのだ。


『ふぅ――ごちそうさま。実に美味でしたわよ、ニルス❤』 


 唇に付着する赤い雫を、彼女の濡れ光る舌が、ピチャリと舐め取る――。

 艶めかしい想像が脳裏をよぎり、ゾクゾクと背筋が震えてやまない。


「なんて――あら?」


 気がつくとニルスは、完全に脱力させられていた。

 それだけでなく、恐怖による身体の震えは止まり、表情からも怯えの色は消失している。

 どこか陶酔したような、熱に浮かされた瞳を潤ませ、令嬢の美貌を穴が開くほどに見つめていた。


「……そ、そんな風に見つめられますと、さすがに恥ずかしいですわね」

「――――えっ?」


 その陶酔が、雰囲気を変えた彼女の言葉で覚める。

 白肌をほんのりと朱に染め、気まずそうに目をそらした彼女は、仕切り直すようにコホンと咳払いを置いた。


「からかいすぎましたわね……いまのは、ほんの冗談ですわ」

「あ――そ、そうですよねっ、あはは……」


 彼女がそう口にしたことで、身体を張り詰めさせていた緊張もほぐれる。

 言われてみれば、当たり前のことだ。

 どう見ても人間というこの二人が、まさか魔物なはずが――。


「魔界の影騎士やデュラハンは、こちらの世界で暴れているような魔物とは、一線を画す存在ですの。むやみに人を襲うようなことは、いたしませんわ」

「そっちは冗談じゃないんですかっっ!」


 すでに先ほどのような恐怖は消えているせいか、思わず声を荒らげてしまう。

 そんなニルスに、なにをいまさらという視線を向けるリスティア。


「当然ですわ――言いましたでしょう? 死の気配を感じて、あの川まで行ったと……そうした存在でもなければ、都合よく居合わせられませんわ」


 そういえばたしかに、ニルスを助けたときの状況を、彼女はそう語っていた。

 死の気配を感じ、近づいた――と。


「死に瀕していたニルスの気配が、とても甘い香りを放っていたものですから……つい誘われて、食べに行ってしまいましたのよ」


 食べに――と聞かされると、それだけで背筋がゾクリと震える。

 明かされたリスティアたちの正体が、冗談でないと聞かされたからだろうか。

 先ほどの妄想が、より魅力的に感じられているようだ。


「ですが――命尽きようとしていた肉体から感じた、その魔力……そのすばらしい資質に気づいて、わたくし思わず、あなたを拾ってしまいましたの」

 説明しながら彼女の指は、ニルスの胸元をくすぐるように撫でる。


 魔力を持つ人間の心臓周辺には、魔力の貯蔵庫や、回路とされるものがあると言われていた。

 それを刺激し、魔力量を確認するように撫でる指遣いは、あまりに官能的で、身震いするほどに艶めかしい。


「あ、あのっ、なにを……ぉっ……」

「その魔力――わたくしのために、役立たせてみませんこと?」


 指先がツゥッとすべり、敏感な部分を舐めるように撫で上げた。

 みっともなく声を上擦らせそうになる、そんなニルスの反応をクスクスと笑い、リスティアは椅子に深く腰をかける。


「事故か、自殺かは知りませんけれど……無益に溺死などするより、よほど有益な生き方になることを保証しますわ」

 そう言い終え、彼女はかたわらに置いたティーカップを手にした。


肉食系(物理)


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