1-2 ベッドとシチューとご令嬢
お待たせしました、続きになります。
先月に、来月にはと言っておきながら、すでに再来月になろうかという状況をお詫びすると同時に、もうひとつお詫びを。
今日のところは、一章までとなります。
書き終わってはいますので、分割が終わりましたら、残りはまとめてアップします。
身体が重い――そして、まぶたはもっと重い。
そんな感覚を味わいながら、ニルスはなんとか目を見開き、しばし天井を見つめていた。
「え、と……ここは――」
そこが下宿でないことは、見慣れた木張りの天井でなく、石の――それも大理石と思われる建材の、荘厳な天井であることからも明らかである。
次に感じるのは、身体にのしかかる布団のやわらかさ、そして重みだ。
それも不快な重さではなく、安心と温かさを感じさせる心地よい重量感――。
王侯貴族が使っているような、羽毛や綿を入れたシルクカバーの布団だろうか。
(――って、なんでそんなものがっ!?)
布団を押しのけ、勢いよく起き上がろうとするニルスだったが、身体が重いと感じたのは、布団のせいだけではなかったらしい。
病気で長らく伏せっていた直後のような、独特のだるさと筋肉の痛みが、身体をベッドへ押さえつけてくる。
「ぐっ……はぁっ、うぅ……」
それでも、ゆっくりと身体を起こしたニルスは、室内に見覚えのない人物がいることに気づいた。
ひとりは正面の壁際に立つ、燕尾の黒スーツをまとう老人だ。
銀縁のモノクルを通した彼の視線は、目覚めたニルスではなく、その隣――ベッドサイドを見つめている。
そこに置かれる、がっしりとした大きな肘かけ椅子に、もうひとり――彼女は腰かけていた。
美しいブロンドヘアを長く伸ばし、半ばから先端に向かう緩やかな縦ロールは、日頃の行き届いた手入れ、育ちのよさを感じさせる。
それに加え、まとっているドレスがいかにもな高級品だった。
ただのシルクではない、もっと上質な素材によるものなのか、室内の明かりを跳ねさせ、神秘的に輝いているようにさえ見える。
まぎれもない、貴族の――それも、名家と呼ばれる御家のご令嬢だ。
そう感じ取ったニルスが呼吸もできず、呆けたように彼女のほうを見つめていると、やがて焦れたように令嬢のほうから口を開いた。
「……無事に目覚めたようで、なによりですわ。食欲はありまして?」
鈴をころがしたようなというのは、まさにこんな声だろう。
透き通るように涼やかで、爽やかな響きを孕み、けれどけして軽くはない。
しっとりと耳に絡み、心地よく染み込んでくる、甘い歌声のような声音だ。
その声を聞いて、初めてニルスは彼女の顔を見た――というより、認識できたというべきだろうか。
染みもくすみもない、瑞々しくきめの細かい肌。
すっきりと通った鼻筋に、形よく突きだした鼻尖。
上品な桃色に色づく花弁のような唇は、言葉を紡ぐたび、愛らしく揺れていた。
彼女の女性としての魅力は、それらだけでも十分すぎる。
けれど、なによりニルスを惹きつけたのは、その大粒の瞳だ。
目尻をわずかに上げ、気の強さと凛々しさを感じさせる一方で、慈悲深さと気高さ、そして揺るぎない品格をたたえ、緑翠の輝きを炎のように揺らしている。
見つめられているだけで、この身ごと魂を吸い込まれてしまいそうだった。
(っ……こんな、きれいな瞳……きれいな、人……見たことがない――)
一流の彫刻家が生みだした、この世にふたつとない芸術品のようであり――高嶺に咲く、幻の花のようでもある。
そんな例えすらはばかられる、それほどに美しい少女だ。
すっかり魅入られたニルスは、なおも息を止め、言葉を発するどころか身じろぐことすらできない。
問いかけを無視された格好になったはずだが、令嬢は気を悪くした様子もなく、あらと首をかしげ、困った様子でまたも唇を揺らす。
「言葉を忘れてしまいまして? それとも、失ったのは記憶のほうですの?」
「ぁ――あっ、やっ……だ、大丈夫ですっっ!」
さすがに、重ねての言葉を無視するようなことはなかった。
慌てすぎたせいで、大声で叫ぶような形になり、ニルスは赤面する。
「し、失礼しました……」
「……ふふっ、かまいませんわ。起きてすぐ、このような状況になっていれば、困惑しても仕方ありませんもの」
どこまでも優雅な、度量の大きさを示すような、やわらかな笑みだ。
そんなたおやかな笑みに心をほぐされ、ニルスの口もなめらかになる。
「その、失礼ついでにお伺いしますが……僕は、どうしてここに?」
「落水されたあなたを、お嬢さまがお救いになられたのです。一命は取りとめましたが、意識を失われたままでしたので……僭越ながら、お運びいたしました」
ぶしつけなニルスの問いに答えたのは、離れた位置にいた老人のほうだ。
会話をさえぎる形になった彼を、お嬢さまと呼ばれた彼女はムッとした顔で睨みつけたが、ニルスの視線に気づき、肯定するようにうなずく。
「あ、ありがとうございますっ……なんとお礼を言えばいいか――あっ! 申し遅れました、僕はニルスといいます」
「ふふっ、礼にはおよびませんわ――ニルス」
彼女の声で名を呼ばれると、不意にドキリとさせられた。
なぜか耳に心地よくなじみ、そう呼ばれるのが自然であるかのようだ。
「えっと……お会いするのは、初めてですよね?」
「ええ、もちろんですわ。たまたま死の気配を感じて近づき、拾ってみたらあなただったというだけで……あなただから助けた、ということではなくてよ」
だとするなら、先ほどの感覚はやはり気のせいだろうか。
もちろん、ニルスとて貴族と面識があるはずもないので、初対面なのは疑いようもない事実なのだが。
「まぁ、いずれにせよ――」
困惑するニルスをよそに、令嬢が口を開く。
「わたくしにも、あなたを連れてきた理由というものが、一応はありますの。ですから、それほど恩義に感じる必要はありませんわ」
「そ、そうなんですか? でも、どうして僕なんかを……っっ!」
理由を問おうとしたところで、グゥゥ~~~ッと、緊張感のない音が響いた。
自分がどれくらい眠っていたのかはわからないが、あの日の昼からいままで、口にしたのはジョッキ一杯のお酒のみ。
そのくらい空腹でも、当然ではあるが――。
(な、なにも、いま鳴らなくてもっ……)
真っ赤になって恥じ入り、顔を伏せるニルスだったが、やはり彼女たちに気を悪くした様子はない。
「食欲があるようなら、大丈夫ですわね……デューラ、食事の支度を」
「かしこまりました、お嬢さま」
そう言って老人――デューラは一礼し、部屋を辞そうとしたのだが、それを待つことなく、部屋のドアが勢いよく開かれた。
「食事の支度、お待ち……」
「トイコ! ドアはもっと静かに開きなさいな!」
お嬢さまの怒声も意に介さず、トイコと呼ばれた彼女――メイド服の少女は、背の低いワゴンをゴロゴロところがし、ニルスの傍にやってきた。
「お客さま、シチューは好きか? 好きだな?」
「えっ、あっ、うん……好き、です」
「そうか、それはよかった。トイコもシチュー好きだ、食べられないけど」
どういう意味だろうと問い返す間もなく、彼女は鍋から皿へシチューを注ぎ、お盆に載せてニルスの前へ配膳する。
その間、ニルスは見るとはなしに少女を見つめていたのだが、彼女もなんというのだろう、人形のように愛らしい少女だった。
糸のように細い白髪は、襟首と眉の上で丁寧に切りそろえられ、頭に飾られたヘッドドレスの桃色が、よいアクセントとなって映えている。
肌は病的なまでに青白いが、特に不健康というわけではなさそうだ。
ワゴンを押すのもそうだが、シチューの配膳も手慣れた様子でこなし、たんとおあがりとばかりに置いたあとは、赤色の瞳でジッとニルスを見つめている。
四白眼というのだろうか、じっとりと値踏みするような視線ではあるが、特に敵意を感じるものではない。
どちらかといえば、あまり見たことのない相手がどんな人なのだろうと、好奇心をにじませているように感じる。
外見的には、ニルスより少し年下という風貌ながら、本当はもっと幼いのではないかと思わせる反応だった。
「ほら食え、遠慮はいらない」
「あ、うん……いただきます」
言いながらスプーンを手にするが、本当にこれを食べていいのかと思わされる、豪勢なホワイトシチューだ。
野菜も鶏肉もゴロゴロと入っており、ニルスが普段の主食にしている豆のスープなどとは、くらべることさえ失礼だろう。
「……っ……お、おいしいっ……」
口にした瞬間、野菜はトロリと蕩け、肉はホロホロとやわらかく崩れた。
けれども味が抜けているなんてことはなく、野菜の甘み、肉汁の旨み、それらの溶け込んだシチューの味が一体となって、喉を流れ落ちる。
「どうだ、うまいか? おかわりもいいぞ?」
「コラ! 食べてる途中で注ぐんじゃありませんのっ!」
二人のそんな会話にも気づかず、ニルスは夢中でスプーンを動かしていた。
皿はあっという間にからっぽになり、ニルスはお腹の底から、ぽかぽかとした温かさと満足感に包まれる。
「ふぅぅぅぅ……あっ、ご、ごちそうさまでしたっ……」
こんなにおいしい食事は、生まれて初めてかもしれない――。
思わず呆けてしまいそうになるが、状況を思いだし、慌てて頭を下げる。
そんなニルスと、ひとすじのクリームすら残さず食べ終えた皿を見やり、トイコは満足そうにうなずいて、皿を引き取った。
「うん、お粗末さまだ。それじゃあ、トイコは皿を洗ってくるぞ」
「いい食べっぷりですこと。見ていて気持ちがよかったですわ」
そう微笑んだお嬢さまは、いつの間にか手にしていたカップとソーサーを置き、まっすぐにニルスと向き合った。
「それでは――そろそろ、大事なお話をしたいのですけれど、よろしくて?」
「はい、もちろんです……よろしくお願いします」
これだけのことをしてもらっておいて、彼女が自分を連れてきた理由がなんなのか、聞かないわけにはいかない。
彼女たちが、いったい何者なのかも含めて――。
「まず――ずいぶんと遅くなりましたが、名乗らせていただきますわ」
そういえば、老人はデューラで少女はトイコと、二人の名は彼女が呼んでくれたが、令嬢についてはまだ名前すら聞いていない。
立ち上がった彼女は片手でスカートをつまみ、もう片方の手を胸に当て、優雅に会釈する。
「わたくしはリスティア=セームディオン。千年の歴史を誇る、影騎士の名門――セームディオン伯爵家の、正統な後継者ですわ」
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