5-2 分家
――ギィィィィンッッ!
岩程度なら造作もなく切り裂けるはずの剣は、鈍い金属音を響かせ、祭壇に受けとめられる。
いや――正確には、床から伸び上がった影によって。
『――邪魔をしないでもらいたいものですね、リスティア』
低く反響するような声が響くと同時、剣の形をなしていた影は、溶けるようにズルリと崩れ、床に広がった。
なにかが飛び込んだ水面のように、黒い粘液じみた影がトプンッと跳ね、それが次第に人の形へと変わっていく。
「脆弱などと、いわれのない暴言まで……さすがに看過できませんよ」
「それは事実ではありませんこと――ラグナ」
浮かび上がった影は、長身の青年だった。
くすんだ灰褐色の髪は長く、どこか陰気な空気を漂わせており、その隙間からキツネのような細目を覗かせている。
その青白い肌も、非常に不健康そうな印象だ。
ただ、風貌はともかくとして、服装については貴族然としている。
細身のパンツに、上質な生地で作られたジレ。
首から胸元にかけては、レースを使ったジャボで飾られている。
肩には短いケープマントを羽織り、その裾からは剣の柄が覗いていた。
「久しぶりに会った従兄に対して、ずいぶんなご挨拶ですね」
「あいにくと――わたくし、あなたを従兄と思ったことなどありませんの」
辛辣に返すリスティアだが、それも当然だろう。
彼が従兄だというなら、それは家督を奪おうとする分家の手の者――つまり、リスティアの敵だ。
それならば必然、ニルスの敵でもある。
自然と、杖を握る手には力がこもり、瞳は青年を睨みつけた。
その反応に気づいたか、彼はニルスを見やり、うっすらと目を開かせる。
「そちらは――リスティアの従者ですね。紹介してもらえませんか?」
「お断りですわ。あなたになど、この子の名前さえ教えたくありませんのに」
にべもないリスティアの返事を受け、青年は唇を緩める。
「ひどい言い草ですね……きみもそう思いませんか、ニルスくん?」
「リスティアさまのおっしゃることに、これまで間違いはありませんでしたよ」
影に隠れて会話を聞いていたなら、名前を知っていてもおかしくはない。
動じることなく返すと、いささかつまらなそうに、ラグナは眉をひそめた。
「主ともども、かわいげのないことだ……」
「この子の愛らしさがわからないなんて、さっさと死ぬべきですわね」
「おやおや――ずいぶんとご立腹ですね」
憮然とするリスティアに、ラグナはニヤリと笑いかける。
「私もセームディオンの次期当主として、人間の使い道は理解していますよ。彼ほどの人材であれば、あなたに代わって召し抱える度量はあるつもりですが」
「あなた程度の器に、ニルスという才はもったいなくてよ――言われなければ、わからなくて?」
そう指摘され、彼女の言わんとするところを察したのだろう。
彼は、倒れ伏したままのフィーナたちを見て、唇を歪めた。
「無能で役立たずな人間も、公平に扱えと? それこそ愚かでしょう……次期当主の力となれるなら、食われた人間たちも本望ではありませんか」
「――よくわかりましたわ。あなたはここで、滅すべき存在であると」
自らがソウルトラップを使い、人間界に害を与えていたと自白するラグナに、リスティアが剣を向ける。
「いずれにせよ、魔王陛下の意向に逆らったあなたは、もはや粛清対象――わたくしがここで、引導を渡してくれますわ」
「ほう……できますかね、リスティアに」
不敵に笑うラグナの態度は、少し不気味だった。
魔力量や態度からして、リスティアのほうが格上であるのは間違いない。
その彼女を前に、しかも粛清するとまで言われながら、この余裕――なにかよからぬたくらみか、奥の手でもあるのではないだろうか。
「リスティアさま、僕が――」
「手だしは無用ですわ。いい子で見ていらっしゃい――すぐに終わらせますわ」
そう言われては、黙って見ているほかない。
口をつぐみ、ニルスが後ろへ下がったのを合図に、リスティアはラグナに向かって地を蹴った。
「さぁ――何合まで耐えられますかしらっ!」
先ほど、祭壇へ切りつけたとき以上の斬撃が、斜めから振り下ろされる。
突進の勢いも加味すれば、まともに受けられる威力ではない。
――ガギィィィッッッ!
「ぐっっ……」
受けとめようとしたラグナの剣は、やはり大きくはじかれる。
彼自身もたたらを踏み、身体が泳いでしまっていた。
「あら、意外……一撃で終わりと思っていましたわ」
「見くびらないでもらいましょうっ……」
「――しゃべっていると、舌を噛みましてよ」
いましがた振り下ろされた剣が、バランスを崩した彼の身体を、横薙ぎにするように追いかける。
ラグナはとっさに剣を構えたが、そこに受け止めるだけの力はもちろん、受け流すような余裕もない。
「がはっ……」
はじき飛ばされた身体は、嫌な音を響かせ、礼拝堂内の瓦礫に激突した。
身体そのものはまだ動くようだが、鎧のない身で受けたダメージが思いのほか大きかったのか、震えた手が剣を取り落とす。
「おのれ、リスティア――」
「これでおしまいですわ――さぁ、覚悟はよろしくて?」
瓦礫に埋もれる格好のラグナに歩み寄り、リスティアは剣を掲げた。
アンデッドとて、戻る肉体が生存不可能な状態にされれば、生き続けることはできない。
一般的には焼き尽くしたり、肉体をバラバラに引き裂いたりという対策を取られるものだが、彼女は従兄の首を刈るようだ。
デュラハンなどは例外だが、影騎士にせよヴァンパイアにせよ、首を切断されれば死ぬことになるアンデッドは、実は意外なほど多い。
もちろん、彼らの肉体は生半可な刃では切り落とせないよう、呪いなどで防がれているのだが、リスティアの剣には無用な心配だろう。
(とりこし苦労、だったのかな……)
先の戦闘を見るかぎり、ラグナは正面から彼女に対峙し、そして敗れ去った。
自身のたくらみを見抜かれたことで、もやは取り返しがつかないからと、やぶれかぶれになった末の決闘だったのだろうか。
(まぁ、そうじゃなかったとしても、これで――)
ご主人さまの剣が首を落とせば、それで終わりだ。
その瞬間を見逃すまいと、ニルスは彼女が剣を振り下ろすのを見届け――。
「――やはり、このままでは難しかったですか」
「なにを――あぐぅっっっ!?」
剣を振ったはずのリスティアが、はじき飛ばされる瞬間を目の当たりにした。
…
「――――――えっ」
一瞬、なにが起きたのかわからなかった。
馬車にでもはねられたかのように、リスティア身体はすさまじい勢いで吹っ飛ばされ、もんどり打って瓦礫の中へころがる。
「っ……リスティアさまっっ!」
慌てて駆け寄り、回復をほどこそうとするが、剣を杖にして膝をついた彼女は、それを片手で制した。
「問題……っ……ありま、せんわ……」
とてもそうは見えない表情の顔には、大粒の脂汗が浮かんでいる。
無理もない――あれだけの衝撃ではね飛ばされれば、たとえ鎧越しにでも、骨の一、二本は折られかねない。
(骨までは、さすがにつなげないかもしれないっ……)
それでもと回復をほどこそうとするが、彼女の手はニルスの頭をつかみ、顔をラグナのほうへ向けさせた。
「わたくしは、じきに治りますわ……それより、あいつを見なさい――」
それはもちろん、ただ視界に捉えろという意味ではない。
あれだけ圧倒していたリスティアを吹き飛ばし、すぐには復帰できないようなダメージを与えた時点で、ラグナがなんらかの力を振るったことはわかる。
それも、異常なほどに強い力だ。
視覚に魔力を流し、力の源を追ったニルスは、その存在に気づく。
「あれは、ソウルトラップ――」
「そう……どうやら、ひとつではなかったようですの」
この部屋で見つけたものより、さらに濃縮された魔力を帯びた宝石が、彼の身体に根を張るように張りついていた。
「ふふっ……はははははっ! これですよ――これこそが、人間の正しい使い方です。たった百日足らずで、驚くほど大量に狩れましたからねぇ!」
噂が流れた一ヶ月前――より、さらに以前からなのだろう。
おそらくは、各地のめぼしい魔宮にソウルトラップを仕掛け、やってくる冒険者たちを食らわせ――彼らの肉体と魂を、魔力へと変換させてきたのだ。
だが、それだけではない。
「あれは……ソウルトラップが作った魔力を、取り込んでるのか――」
胸元の魔力器官とソウルトラップをつなげ、ソウルトラップに取り込んだ魔力を自身の身体に吸い上げ、力に変えているようだ。
心臓のようにドクドクと脈打つ黒い宝石からは、その膨大な魔力の量が、溢れださんばかりに感じられる。
少なくとも百人では足りない数の人間が、あれの犠牲になっているはずだ。
「なにを驚いているのです? リスティアの従者であれば――」
ニルスの反応を不思議がるような態度だが、あくまで見せかけだ。
わざとらしく、いま気づいたような反応で、ラグナがニヤリと笑う。
「ああ――なるほど、そういうことでしたか」
「おやめなさい、ラグナッ……」
その声を遮るようにリスティアが叫ぶが、まだ万全でない彼女は、痛む身体を支えた状態で、飛びかかるに飛びかかれない。
それを満足げに眺めながら、芝居がかった態度でラグナは告げる。
「従者風情と軽んじ、なにも教えていなかったのですか。ソウルトラップが、人間の魂を魔力に変え、それを持ち主に与える強化装置であることも――」
「おやめなさいと言っていますのっ!」
「そのソウルトラップを生んだのが、我らが本家――セームディオン伯爵家であるという事実さえも」
ラグナがそれを口にした瞬間、リスティアの表情が痛々しく歪んだ。
ニルスは驚きつつリスティアを見るが、彼女はそれを否定しない。
この忌むべき宝石――人間を殺し、エネルギーに変換するだけの装置は、彼女の生家が生んだのだと、沈黙によって肯定する。
「リスティアさま……」
「……遠い先祖の話ですわ」
どこか気まずそうに、リスティアは顔をそらした。
「開発した者は、それを咎とされ、嫡流からはずされましたし――いまのセームディオンとの関係は、すでに希薄ですもの」
「それは……開発されたのは、人間界に攻め入ることが是とされていたころではなく――禁忌とされてから開発された、ということですか?」
ニルスの問いに、彼女の目がハッと見開かれる。
先の説明によれば、開発されたのは人間界が発見された当時――世界が崩壊する危険性について、まだ知られていないころという話だった。
だが、いまの話を聞くに、どちらかといえば最近だということになる。
(いや……どっちにしろ百年単位で昔の話だし、最近ってほどでもないか)
いずれにせよ、彼女が気づかなくてもおかしくはないくらいの時期だ。
多少のずれはあるにせよ、知っていて放置していたわけではない――なにより、これはすでに、持ちだせない技術になっていたはずなのだから。
リスティアには、なんの咎もない――ニルスはそう考えており、ただ事実の確認をしただけなのだが、彼女はひどく動揺した様子で、こちらを見ていた。
「ち、違いますの、ニルス……誤解ですわっ! わたくしは、ただ……勘違いされないよう、やむなく――隠すつもりは、ありませんでしたのっ……」
もちろん、わかっています――。
ニルスがそう返そうとするのを遮り、高笑いが礼拝堂に響く。
「ふっ、はははははっ! 誤解っ、誤解ですか! なるほど、なるほど――」
「ラグナッ……その口を閉ざしなさいなっ!」
リスティアが言葉鋭く告げるが、ラグナの言葉は止まらない。
「誤解というのは、彼を傍に置く理由でしょうか? たしかに、ソウルトラップの話まですれば、誤解されかねないでしょうしねぇ」
「黙りなさいというのが、聞こえませんのっ……」
「よく聞きなさい、ニルスくん……リスティアがきみを傍に置いていたのは、きみの持つ魔力の質が、彼女にとって――」
「黙れぇぇぇ――――っっ!」
腹の奥底から響くような大喝とともに、痛みすら無視し、彼女は地を蹴った。
そんな傷ついた身体ではあるが、切りかかった剣の重さも鋭さも、先の一撃目を遥かに上回っている。
斬撃の軌道は間違いなく、ラグナの首筋へ吸い込まれていた。
この威力であれば、確実に彼の首は落とせるはずだ。
「――がふっっ!?」
ソウルトラップによる強化さえ、かかっていなければ――。
「学習しない女ですね――すでに私は、あなたより強いんですよ!」
「ぐぅっっ!?」
先ほどと同じように、膨大な魔力に物を言わせた障壁を展開したことで、リスティアは見えない壁にでもぶつかったように、盛大な自爆をさせられていた。
崩れ落ちた彼女の身体を踏みにじり、ラグナが剣を振りかぶる。
「腕の一本も切り落とせば、少しはおとなしくなりますか――むっ?」
「リスティアさまっっ!」
その剣が魔力をまとい、彼女の命を奪うことに、疑いすら抱かせないほどの鋭さを見せた瞬間――ニルスの使役魔法が、ラグナの動きを抑制した。
ただ、先ほどまでならいざ知らず、ソウルトラップによって強化された魔力を持つ彼の動きは、そう長らく抑えてはおけない。
完全に操作することなど、どうあっても不可能だ。
五秒にも満たないほどの時間、彼を制止させたニルスは懸命にリスティアの身体を抱え、その場から飛びすさる。
「……いまの私を止められるとは、驚きましたよ」
そうつぶやいたラグナが、二人に追撃することはなかった。
ややあって彼はおだやかに微笑み、剣をおさめる。
「しかし――気の毒なものです。どのように甘言を吹き込まれたかは知りませんが、騙されているとも気づかず、それほどの忠誠を誓わされているとは」
「……どういう意味ですか」
リスティアをかばい、焼け石に水程度の効果ではあるが回復魔法をかけながら、ニルスはラグナを冷たく睨んだ。
「言葉どおりですよ……きみは、その女の真意を知らないのでしょう? 先ほどの反応を見れば、なにかを隠しているのは明らかだというのに」
「……たとえそうだとしても、従者が知る必要はありません」
そう答えながらご主人さまの様子をうかがうが、彼女は苦しげにうめいており、すぐには起き上がれそうにない。
弱々しくローブの裾をつかんでくるのは、なにか訴えようとしているのか。
安静にしていてほしいと伝えるように、ニルスは彼女の手をそっと握り、裾を放させた。
「ほう――その女が、きみを食い殺すつもりだったとしても?」
「それこそ、僕が望んでいることですから」
彼女をかばって立ち上がるニルスの姿に、ラグナは少し警戒を見せる。
完全な効果ではないとはいえ、無数の人間を糧にし、何倍にも強化された影騎士を使役、抑止できるほどの死霊魔法使いが相手なら、当然の反応だ。
「見上げた忠誠心ですね……なればこそ、ここで殺すのは惜しい」
「では、魔界に帰ってもらえますか?」
「それは無理な相談です。魔界には、まだ大勢の手練がいましてね……もう少しこちらで食事をし、力を蓄えておきたいのですよ」
ですが――と、芝居がかった態度でマントをひるがえし、彼は手を伸ばす。
「きみが私に忠誠を誓うというなら、その女は見逃してもかまいませんよ……もちろん――逆らえないよう、魂の従属契約を結んでいただきますがね」
「お断りします」
考えるまでもない申し出に、ニルスは即答する。
「……そうですか。まぁ、こちらとしては死体さえ残っていれば、従者として使役することもできますのでね。意思を尊重したまでです」
嫌だと言うなら、ぜひもない――。
最大限の譲歩はした、断ったのはそちらだと、責任を押しつける言い方をし、ラグナが剣に手をかけた。
「しかし、解せない――人間をエサにすることを厭うなら、それはリスティアも同じでしょう。私を蹴り、彼女を受け入れるのはなぜです」
「聞いてどうするんですか」
「――今後の参考にしようかと。セームディオンの当主となれば、大勢の上に立つ必要がありますのでね」
そんなラグナの言葉に、ニルスは胸中で嘆息した。
「だったら最初から、リスティアさまが当主で問題ないじゃないですか。人の振舞いを参考にする時点で、器が足りてないんですよ」
「……はは、そうですか」
空気が重く淀むのを感じ、ニルスは杖を握る。
その瞬間、ラグナが目の前にいた。
「人間と会話をするなど、時間の無駄でしかありませんでしたね――」
距離は一歩、あるいは二歩というところで、剣の間合いに入っている。
高度な死霊魔法を扱えるとはいえ、ニルスはいち人間であり、しかも身体能力は低い魔法使いだ。
ただの影騎士相手ですら、逃げることもできず死を待つしかないというのに、ラグナはそこから、何倍にも強化されている。
(そんな相手が、いつでも剣を抜ける状態で、ほとんど目の前にいる――)
まさに、絶望的な状況だ。
――それをニルスが、はっきりと目で追えていなかったのであれば。




