4-1 古城
冒険者は基本的に、クエストの受注は出発の直前としている。
クエストの達成については期日が定められているものもあり、受注日を初日として計算するため、少しでもクエストにかける日数を確保するためだ。
だがそれは、クエストを生業とする冒険者稼業だからこそ、ともいえる。
ニルス――というより、リスティアにとってのクエストは、ダークライト探索のついででしかない。
そしてついでのクエストなど、一日もあれば十分に達成可能だ。
だからこそ、受注は都合のよさを優先しており、町についた当日に調べ、選択肢が多いうちに決め、受注しておく。
もちろん、出発当日になって依頼が増える可能性はあるが、高難易度の仕事がそうそう追加されることもないため、先に決めるほうが合理的な判断だ。
そういったわけで――。
ニルスたちが古城に向かったのは、王都に到着し、仕事を請け負った、その翌日ということになる。
宿は王都で確保しておいたが、それは僻地にある古城へのアプローチが、王都からのほうが多少なりとスムーズだからだ。
とはいえ、徒歩で一時間という距離に、屋敷はある。
ニルスの頭には、帰って一泊し、それから改めて出発する――という考えも、もちろんなくはなかった。
なくはなかったが――思いだされるのは、その前日の入浴時のこと。
リスティアは気にするなと言ってくれたが、ニルスとて男性だ。
あのことを意識しないわけにもいかず、まだ記憶の新しい現状、同じ状況を招きたくはなかった。
ゆえに、宿選びにも抜かりはない。
安全性と清潔さ、そこに値段とのバランスも加え、適切な宿を選んでいる。
最大の要件は、大浴場が完備されていること。
男女で湯殿のわかれる大浴場であれば、ニルスが彼女の背を流す機会はなく、あのような事態は起こりえない。
そうして宿に案内したニルスだったが――計画は、あっさりと崩壊した。
『こんなお高い宿、お金の無駄ですわよ』
基本的に、お金に糸目はつけないリスティアだが、一方で、冒険者としての節制や、ある種の不便さというものを楽しんでいる節がある。
ニルスの選び抜いた宿は、やや割高であったため、すげなく却下された。
代わりにと彼女が選んだのは、掃除は行き届いているものの、小さく、狭く、部屋数も少ない、大通りから離れた宿だった。
不便な立地ではあるが、ひと気がないことで安全性や機密性も高く、周囲の騒々しさもほとんどない。
そういった点が好まれたのかと思ったが、それらは些細なポイントだった。
リスティアの決め手となったのは、まず大浴場がないこと。
部屋に湯船を置き、そこでお湯を浴びる入浴形式であり――それをニルスが手伝うことになっても、誰からも文句が出ないということ。
そして――部屋数の少なさから、複数人で一室を借りるほうが、宿にとっては有益であるという状況。
早い話がご主人さまは、ニルスと二人きりで、部屋風呂のある宿に泊まることを目的としていたようだ。
…
そんな試練とも呼ぶべき夜をくぐり抜け、ニルスは古城の前に立っている。
隣に立つリスティアは、顔色も、肌艶も、申し分ない血色だ。
これは誤解されそうではあるが、エナジーを吸われたわけではない。
ただ背中を流し、ただ同衾し――彼女のスポンジに、あるいは抱き枕になっただけであり、やましいことは一切なかった。
そうした触れ合いが、彼女の心身を満たしただけなのだろう。
きっと、たぶん、おそらく。
「古城は初めてですけれど、なかなか趣のあるたたずまいですこと」
ツヤツヤとした顔色で、リスティアがそうつぶやいた。
その横顔に見惚れそうになりながら、ニルスも古城を見やる。
古城はその名に反し、最近になって発見された魔宮だ。
そうすると、古城という名はふさわしくないように思えるが、見れば誰もが、たしかにこれは古城だと納得する。
中には、廃城と呼ぶべきではないか、という声もあった。
そんな歴史の浅い魔宮である、古城――。
魔力の濃度が高いのか、敷地自体はずいぶんと広い。
王都ほどではないが、広めの町くらいの大きさはあり、外側は高い城壁で囲われている。
四つの角に尖塔が立ち、それをつなぐ形で城壁がそびえ、おそらくは正面と思われる箇所には木製の城門があった。
それら城壁や城門、そして尖塔はもちろん、その奥に守られた本丸となる城の本体部分も、ひどくボロボロに朽ちている。
ゆえに古城、あるいは廃城という名で呼ばれていた。
しかし、魔宮として形成されたからだろうか。
耐久性に不安がありそうな外観ながら、天井が崩れたり、床に穴が開いたりと、そういった探索中の事故は起きていないという。
もっとも、当事者が報告できなかったために、知られていないだけ――という可能性もあるが。
「さて――鬼が出るか蛇が出るか、期待させてもらいましてよ」
リスティアが先行する形で、半壊した西側の城門をくぐると、荒れた庭園のような光景が広がり、崩れた石畳が通路となって城へと続いていた。
あたりには高低差のある草木が生い茂り、崩れた噴水には黒く淀んだ水がたまっており、魔物の気配もあちこちに漂っている。
草木の陰はもちろん、水の中や――そもそも、草木自体も魔物かもしれない。
「リスティアさま、少しお下がりになったほうが……」
先を行く主人に追いついて告げるが、彼女は不敵な笑みで剣の柄を撫でる。
「心配無用ですわ。それにパーティの分担からしても、わたくしが前衛、あなたが後衛というのが正しくてよ」
たしかに――ヴェドナの鉱山や墳墓でも、そんな隊列を組んではいた。
ただ、そのときはニルスの使役するアンデッドたちがおり、また死霊魔法のおかげで戦闘らしい戦闘もなかったため、今回とは事情が違う。
ニルスが必要以上に警戒してしまうのも、当然の反応だ。
それが、ニルスの言い分ではあるのだが――。
「そして――わたくしの忠実な従者は、わたくしの危機には身を差しだし、かばいたがるはずですわ。下がるというのは、その忠節を疑うことではなくて?」
「……おっしゃるとおりです」
もちろん、自信に溢れるお嬢さまに通じる理論ではない。
「それでも心配なら、ニルスは隣にいなさいな。そのほうがわたくしも、ニルスを守りやすくなりますし――」
なにより――と、身を寄せながら彼女が、耳元に囁く。
「――わたくしの格好いいところ、たっぷりと見せられますもの❤」
チュッと音高く耳朶に口づけ、リスティアが身をひるがえした。
「さぁ、とくとごらんなさいな。セームディオンの剣技を――」
彼女がそう告げると同時に、ザワリと周囲の草が揺れる。
風がざわめかせたようでいて、もちろんそうではない。
雑草にまぎれるようにはびこっていたツタ植物が、その触手のような身体をくねらせ、ジワジワとこちらに迫っていた。
「植物の生気も、わたくし――嫌いではなくてよ」
鞘から鋭く抜き放たれた剣閃が、石畳を撫でるように切っ先をすべらせる。
その刃はツタに触れていないように見え、なにより、そんな剣さばきで切断できるようには思えなかった。
触手草と呼ばれるその魔物は、ランクDからCくらいの相手とされているが、そのタフネスさゆえ、ランク以上の苦労をしいられる。
ニルスの初級火炎魔法では、焼き切るどころか満足なダメージも与えられず、フィーナにはあきれた顔を向けられもした。
だが――リスティアの剣技は優美なだけでなく、強靭で、猛々しかった。
剣自体も、もちろん特別な業物だろうとは思うのだが、それが真の切れ味を発揮できるのは、やはり技があってこそだろう。
地を這い、二人を足元から襲い、吊り上げようとしていたはずのツタ触手は軽々と撫で切られ、不気味な紫色の汁を撒き散らす。
切断され、打ち上げられた魚のようにビチビチと跳ねる触手の状態は、どこかブツ切りになったウナギを想起させた。
そして――触手草の味わう悲劇は、ここからが本番となる。
「ずいぶんと飢えていたようですわね――飢えて渇いた動植物もわたくし、好みですのよ? 生への渇望が溢れ、とても美味なんですもの」
ズゥッ……と、なにかが締め上げられ、引っ張られるような音が響いた。
革でできた大きな袋に、水をたっぷりと詰め、それを太い縄で吊り上げようとしているような、鈍く軋む音だ。
「とはいえ――ニルスから味わえる精気にくらべれば、雲泥の差ですわ。すぐに搾り取って、枯草に変えてあげましてよ」
その軋んだ音は、リスティアが生んでいるのだと気づいた。
彼女の剣で切断された箇所から、黒いオーラのようなものが立ちのぼり、のたうっていた触手を侵食している。
いや――よく見ればそれは、触手自体の影だった。
影という従の存在が、主たる影の主を食らい、沼のようにそれを飲み込む。
黒い沼に吸い込まれるたび、縄が引っ張られるような音がギチギチと響いて、その光景をより凄惨なものと認識させていた。
生きた植物が抵抗するように暴れ、もがいている姿も同様――。
「生きたいのですわね……ええ――ええ、わかりますわ」
切りつけた相手の生気を奪う、これも彼女のエナジードレインなのだろうか。
エナジーを啜り、渇望を貪り、恍惚とした笑みを浮かべる。
「だからこそ、果てる瞬間のエナジーは熟成され、美味になりますの……ほら、おとなしく、わたくしに献上なさい」
ゴプンッ……と沼のような影が跳ね、触手草は完全に飲み込まれた。
飲み込まれると同時に影は消滅し、周囲にあった気配がわずかに遠のく。
リスティアによる捕食の光景を目の当たりにし、本能で生きる魔物たちでさえ、それに臆したということだろうか。
「あら――威嚇しすぎましたかしら」
つまらなそうにつぶやきつつ、彼女は剣をおさめる。
「ですが……これなら、安全に見てまわれそうですわね」
捕食直後の、その昂揚によるものだろうか。
彼女の笑みはいつも以上に妖しく、嫣然としていた。
思えばニルスは、リスティアが影騎士だとは知っているが、その影騎士らしさを見たところはほとんどない。
せいぜいが、影にアイテムを収納するところくらいである。
ニルスの精を啜ったように、エナジードレインを持っているとは聞いていたが、本格的なドレイン能力は想像を絶する迫力だった。
凄惨で、どこか冒涜的にも感じる行為だが、彼女自身は気にしていない。
それを誇りに思い、ある意味で狩りのようにも感じているのか、捕食される獲物を見つめる目は、恍惚の色を浮かべていた。
その瞳の輝きを思いだすと、ニルスの背筋にも甘い痺れが広がり、身体が昂ってやまない。
そんな気持ちを懸命に鎮めていると、彼女がこちらを向きなおった。
「まいりますわよ、ニルス。これだけだだっ広い魔宮ともなれば、一日では回りきれませんもの。今日中に、尖塔だけでも見ておきたいですわ」
城壁の四点に位置する尖塔は、それぞれ二階層から三階層ほどはありそうな、それなりの高さを持っている。
それが城壁の長さだけ離れた位置に、四本もあるのだから、移動するだけでも相当な時間がかかるだろう。
また、城壁の内側には城があるわけだが、その城の構造もやっかいだ。
そちらも三階層ほどはありそうな棟が、東西南北を囲っている。
東と南北の三方向からは、渡り廊下が伸び、中央の城へとつながっていた。
四方棟を踏破せずとも城内へは進めるが、ダークライト探しだけでなく、内部構造の調査というクエストも考えれば、そちらを調べる必要がある。
王都からここまでに要した時間も考えると、日没までにできそうなのは、尖塔の調査くらいだろう。
尖塔で一日、四方棟で二日、城内には二、三日――とすれば、最短で一週間くらいはかかり、長引くようなら十日以上は覚悟しなければならない。
なるべく手短に済ませたいという、リスティアの意見はもっともだ。
その言葉にニルスは、かしこまってうなずいた。
「それについては、僕に考えがありまして。お聞きいただけますか?」
「――さすが、わたくしのニルスですわ。お話しなさい」
彼女も、そんなニルスの返事が、わかっていたかのように微笑む。
ご主人さまの信頼をありがたく思いながら、ニルスは庭園の空を見上げると、そこにスゥッと手をかざした。
私にいい考えがある。
 




