2-3 魔力渦と魔宮
それからほどなくして、二人は廃坑にやってきた。
すでに木桶も購入し、ポーチに収納してある。
討伐対象も含め、目当ては魔宮なのだから、まずはこの入り組んだ坑道を抜けなければならない。
拡張前の坑道を描いた地図はあるため、入口周辺は迷うことがなかった。
ただ、奥へ向かえば向かうほど、新たな鉱脈を求めて掘り進んだ分、地図にない道が増えていく。
そして、なかば以降には魔宮から溢れてきたとおぼしき魔物も徘徊しており、それらに対処できなければ、進むことは不可能だ。
そんな廃坑の中を、二人は迷うことなく突き進んでいく。
中の構造に最も詳しいであろう、複数の案内人をつけて――。
『おぉ! ヤジさん、覚えてっか? この道――』
『当たり前さ、キタさん。金がゴロゴロ出て、太い鉱脈だって大騒ぎだったな』
そんな会話をする二人は、いかにも鉱夫といった服装で、ピッケルやランタン、ヘルメットなどを装備していた。
ただし――その肉体は半透明で、どこか顔色も悪く見える。
そして二人のほかにも、ニルスたちとともにゾロゾロ連れ歩いている面々には、同じような格好、同じような半透明が何人もいた。
二人の懐かしむような会話に、その半透明たちも参加し、花を咲かせている。
「――なんですの。なんなんですのっ、これはぁっ!」
「お嬢さま、どうされましたか?」
「ち・が・い・ま・す・で・しょう?」
「……リスティアさま、どうされましたか?」
同行者の半透明たちは人として数えないのか、ここは人前ではなく、二人きりという扱いのようだ。
名前を呼ばれ、ご満悦といった様子のリスティアは、自分たちを先導する半透明たちを見やり、目を輝かせる。
「ゴーストたちが、まるで生前のように行動するだなんて……使役されたアンデッドが自我を持つだなんて、聞いたこともありませんわ!」
そう――この半透明たちはみな、この坑道で命を落とした鉱夫のゴーストだ。
地縛霊となって、実体のないピッケルを振るい、坑道の壁にスカスカと叩きつけていた彼ら。
あるいは、なかば魔物と化した状態で二人に襲いかかろうとしてきた彼ら。
そんなゴーストたちに、ニルスは躊躇なく使役の魔法をかけた。
その結果が現状――ただ従順になるだけでなく、自身が死んだことを自覚しながらも生前の自我を保つ、特殊なゴーストとなったのである。
また、ニルスが扱う魂魔法には、霊体を強化するものもあった。
それによって彼らは道案内だけでなく、道中の用心棒も務めている。
とはいえ、襲ってくる魔物たちも、すべてがゾンビなどのアンデッドだ。
ニルスの魔法で従順になったそれらは、言葉は話せないものの、ニルスの言葉を正確に理解し、命令に従って隊列を組んでいる。
従者同士は意思疎通ができるため、ゴーストたちの話を聞き、なぜか一緒に笑ってもいた。
「前のトイコのこともありますし、ニルスの使役魔法は、やはりなにか違うのかしら……あっ、お、思いだしてはいけませんわよ!」
「は、はい……でも、魔導書のとおりに使っているはずなんですが」
忘れろと言われた少女の反応を記憶から追いだしつつ、ニルスは返す。
「お嬢さま――リスティアさまには、普通の効果しか出なかったはずですし」
同じ場にいた、デューラにしてもそうだ。
それを思いだしてか、リスティアも小さくうなるような声をもらす。
「そう、なんですのよね……ただ、デューラは普通にかかっていましたし、わたくしの場合は……だとするとやはり、抵抗力の問題でしかないのかしら」
トイコについてもそうだったが、種族ごとの抵抗の違いが、効果の強弱を変動させている――リスティアはそう結論づけた。
「ただ、通常の術士がかけたのであれば、効果の有無くらいしか差はないはずですの。そもそもの魔法効果は、術士の魔力量に依存しますし」
つまり、と囁きながら身を寄せた彼女は、指先をニルスの胸元へ這わせる。
「それだけ、ニルスの魔力量が桁違いということですわ……本当に、あなたのここはどうなっていますの?」
ここ――というのは心臓付近にあるとされる、魔力器官だ。
人間界では、そうなのだろうという確証のない認識だが、魔界ではそれが事実であると証明されているらしい。
「じ、自分でもわかりません……ぅっ……」
「あら、かわいい声……相変わらず敏感ですのね、ニルスのここは❤」
表情の変化すら楽しむように、指で胸元をくすぐりながら、リスティアが顔を寄せてくる。
「あなたの大事な武器ですのに、困った弱点ですこと❤ わたくしも手伝ってあげますから、いまのうちに鍛え直しなさいな」
スリスリと、舐めるように円を描く指先は明らかに、魔力器官とは無縁の部分を撫でまわしていた。
吐息のかかる距離で囁かれ、見つめられ、その上で甘い快感を注ぎ込まれ、顔が紅潮していくのを感じる。
けれど、リスティアの手から逃れるわけにも、払いのけるわけにもいかない。
「くぁっ……ふっ、うぅ……」
「はぁぁぁ……艶めかしい声に、その反応に……なんですの、誘っていますの?」
「い、意味がわかりませんっ……んぅっ……」
いけない――このままではまずいと、理性が警鐘を鳴らす。
それでもニルスは動けなかった。
緑翠の輝きに見つめられると、魂ごと心を吸い寄せられる。
身体の芯は骨抜きにされ、彼女に身をゆだねてしまいそうになっていた。
一方で、身体の一部は鋼のように硬直し、甘い疼きを発する。
そんなニルスの反応を見透かしているように、彼女は唇を歪め、瞳を細め、さらに顔を寄せてきた。
「どうしましたの、そんな切なそうな顔をして……ふふっ、真っ赤ですわ❤」
「っ……い、いけま、せんっ……お嬢さまっ……」
「リスティア、ですわ――」
「リ……リスティア、さま……」
指が胸元からゆっくりとすべり、みぞおちから丹田へ、感触を伝わせる。
ジワリと、熱いなにかが溢れだすようだった。
痺れた背中をいたわるように、令嬢の逆の手が身体を抱き寄せる。
「逃げないなら……本当に、食べてしまいますわよ?」
「僕は……リスティアさまに食べられるなら、本望ですが……」
「あら、そうですの……でしたら、遠慮なく――」
甘い吐息をもらし、彼女の唇が艶めかしく緩んだ――その刹那。
『つきましたぜっ、仮面の旦那ぁ! ここが魔宮でさぁ!』
「おわあぁぁぁっっ!?」
威勢のいい鉱夫たちの声が響き、ニルスの背が勢いよく跳ね伸びる。
「あら――残念、時間切れですわ❤」
そんな動揺を見せるニルスとは対照的に、リスティアはニルスの身体をあっさりと手放し、身を引いて、クスクスと笑っていた。
あんな状態にあって、ニルスはもはや足も動かせていなかったのだが、どうやらリスティアが引っ張ってくれていたらしい。
(あ――あぁぁぁっっ! 僕はっ……なんてことをっ……)
さっきの自分は間違いなく、リスティアの色香に溺れていた。
これがもし、忠臣か否かを見極める彼女の試験であったなら、ニルスは不合格となっていただろう。
「も――申し訳ありませんっ、リスティアさまっっ!」
「なにを謝っているのかわかりませんけれど……まぁ、そうですわね――」
膝をついて詫びる従者の姿に、きょとんとして首をかしげた彼女は、やがてクスリと笑う。
「次は――もう少し積極的になってくれることを、期待しておきますわ❤」
しゃがみ込み、イタズラっぽい笑みを浮かべた彼女は、ニルスの紅潮した頬をツンとつついた。
そのまま顔を前方へ向けさせ、上下左右を見まわさせる。
「ともかく――到着したようですわ。本番は、ここからでしてよ」
鉱夫たちの集まる坑道の最奥は、崩れた壁のようになっている。
その奥は土壁ではなく、どこか雰囲気の違う石壁が見えた。
そればかりか、中は高さも広さもある空洞で、さらに奥行きもある。
広々とした空間から、別の部屋も作られているとなれば、墳墓は墳墓でも、相当な権力者のそれを想起させる。
「古代の、王国……か、なにかの墓でしょうか?」
「魔宮の場合、見た目は当てになりませんけれど――今回にかぎっては、そう考えるべきですわね」
「それは――どういう意味ですか?」
ニルスたち、ラフェルナ王国の人間――というより、人間界の常識として、魔宮というのは各地に存在するダンジョンでしかない。
しかしリスティアの言い方から察するに、なにか秘密があるようだ。
そんなニルスの反応に気づき、リスティアは手招きする。
「ここをごらんなさい。坑道との境目に、揺らぎが見えませんこと?」
言われて目を凝らし、ニルスは気づく。
遠目には、壁が崩れて魔宮へつながったようにしか見えない接続部に、空気自体が揺らめいているような、不安定な境界線があった。
そして揺らぎの奥には、明らかに物質的ではないなにか、虹色の空間のようなものが見える。
「これは――」
「この空間こそ、魔力渦の光景ですわ」
触れないようになさい――そう言ってニルスの手を取り、坑道から魔宮へ移動しながら、彼女は説明する。
「魔宮は本来、この魔力渦の裂け目を中心に生まれますの。魔力が流れだし、空間や景観を歪め、ダンジョンに――魔宮に、造り変えるのですわ」
けれど――と、墳墓の石壁に手を這わせ、小さくうなずく。
「王家の墳墓だけあって、魔法の防御機構がありますわね。それが、魔宮への変化を拒絶し――代わりに、別の結果をもたらしたようですわ」
「坑道との間に、道をつなげたこと……ですか?」
「ええ。それと、もうひとつ――フッ!」
目にもとまらぬほどの抜き打ちで、彼女の腰から放たれた刃が、死角から忍び寄っていた何者かを切り捨てた。
ボロボロになった布切れを幾重にも巻きつけた、おそらく四足歩行の小型動物に見える。
ありていに言えば、ネコのミイラだ。
「この墳墓に埋葬された遺体――それらが魂ごと、渦の魔力に影響され、魔物に変えられましたのね」
「っ……それじゃあ、襲ってきた鉱夫のゴーストも――」
「そのとおり――死して狂ったわけではなく、流れてきた魔力を浴び、魔物化していたのですわ。一部は、影響をまぬがれていましたけれど」
墳墓型の魔宮だから、アンデッドモンスターが多いのではなく、墳墓の遺体が魔物化したから、アンデッドモンスターばかりなのだということになる。
ゆえに彼女は、ここが古代王家の墳墓だと、なかば断定したのだ。
だが、そうなってくると――。
「……魔宮の魔物は本来、そこに生息していた魔物ではない――ということでしょうか?」
「本当に、理解が早くて助かりますこと」
剣を鞘におさめ、リスティアがやわらかく微笑む。
「溢れだした魔力も、一定以上の濃度を失いますと、魔宮を形成できなくなりますわ。ゆえに魔宮の大きさは、魔力がその濃度を保てる範囲になりますの」
そのため魔宮の規模は、溢れだす魔力の濃度に依存するらしい。
「ですが――魔宮を生みだしてなお、魔力は溢れ続けますでしょう? そうすると魔宮内で飽和した魔力は、別の形を保とうとしますの。それが魔物になったり――あるいは財宝になったりする、そういうカラクリですわ」
尽きない魔物、尽きない財宝――その正体は、魔力渦そのものだったようだ。
ニルスはゴクリと喉を鳴らす。
鉱山のような、いずれ枯渇する資源とは比較にならない。
魔物も素材になることを考えれば、まさに無尽蔵の鉱脈だ。
「世界を創るほどの魔力ですもの。たとえ漏水のような魔力でも、それくらいの力はありますわよね」
だからこそ魔界では、魔力渦へのアプローチをくり返しているのだろう。
渦そのものは操作できずとも、裂け目から溢れる分だけでも調整できれば、望んだとおりの恩恵が得られる。
反対側の世界を侵略するより、よほど効率的で、消耗のない研究だ。
「あっ……それなら、もしかしてダークライトも――」
「……もちろん、その研究もおこなわれていましてよ。ですが、魔力渦はあまりに未知の部分が大きく、恩恵の調整など、まだまだ手の届かぬ領域ですわ」
だからこそ、リスティアに王命が下されたのだ。
双方の世界にもたらされる恩恵の差が、なぜ生まれるのか。
そうした要素の調査も含め、彼女はこちらにきているのかもしれない。
それにしても――軽くカマをかけただけだが、やはりリスティアは気づいていたようだ。
「リスティアさまは――ダークライトが鉱脈から採れるものじゃなく、魔宮の恩恵だと気づいていたんですね」
ヴェドナへ向かうことを決めたとき、魔宮まで踏み込んで手がかりを探すと言ったのは、それが理由だろう。
もちろん、鉱山にある可能性も捨てきれなかったのだとは思うが。
「……わたくしとしたことが、口をすべらせてしまいましたわね」
「はい、珍しいことに」
失礼かとは思ったが、お嬢さまに気にした様子はない。
「でも、普通に話してくださいましたし、隠す必要はなかったのでは?」
「それはそうですけれど、百パーセントの話ではありませんもの。もし鉱脈が見つかってしまったら、気恥ずかしくありませんこと?」
たしかに――自信満々に、魔宮からしか取れないと豪語して探索に赴き、最終的に鉱山から見つかりでもしたら、フォローに苦慮しそうだ。
その状況を想像し、ニルスはクスリと笑みをこぼす。
「あっ! いま笑いましたわね!」
「ち、違いますっ、その……」
「違いませんわっ! ほらっ、めっちゃ笑っているではありませんの!」
そうなったときのリスティアさまは、きっとかわいいと思ったから――などと、歯の浮くようなセリフが言えるわけもなく。
ニルスの緩んだ頬は、お嬢さまの指でグイグイと引っ張られ続けた。
直前までなんとなくマサとケンにしてたけど、某大御所コンビだと気づいて、慌てて修正。
でも結果的に、娯楽小説の大先輩から拝借しちゃってるという事実。




