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彼女を親友に取られたら、学校一の美少女が彼女になった

彼女を親友に取られたら、学校一の美少女が彼女になった 番外編ー真冬

作者: 有栖悠姫




物心つく前から真冬は自分の容姿が人に比べて整っていることを自覚していた。ロシア人の祖母譲りの灰色の瞳、亜麻色寄りの茶髪、そして母譲りの美貌。喋らずボーっとしているだけでも周りに人が集まる、そんな子供だった。


母親は見た目は祖母の若いころそっくりらしいが、髪や目の色は日本人の祖父譲りでぱっと見ハーフには思われないらしい。祖母と同じ灰色の目と髪を受け継いだのは真冬を含めた従姉妹数人だけだ。


そして従姉妹を含めた母方の親戚は皆軒並み優秀だった。年の離れた従姉妹は県内トップの大学に楽々合格したし、4つ上の従姉妹もずっと学年トップだ。真冬も例に漏れず運動も勉強も学年トップをキープしていた。それもまた真冬の周りに人が集まる要因だったのだろう。


しかし、そこまで周囲と比べて秀でている人間は嫉妬、羨望の眼差しを向けられ人間関係のトラブルに発展する可能性が高い。だが、従姉妹達はそう言ったトラブルとは縁遠かった。以前運動会の応援に行った際、4つ上の従姉妹の普段の様子を垣間見たことがあった。目立つ見た目、常に周りを誰かしらに囲まれていたため、すぐ大勢の中から見つけられた。その際、従姉妹がトラブルと縁遠い理由を察した。


仲がいいであろうクラスの中心人物たちは勿論、クラスから孤立しているであろう生徒にも分け隔てなく接していたのだ。普通なら仲のいいい方を優遇し、片方にはどこか見下したような、言うなれば浮いてる奴にも話しかける私優しいよね、という態度が大なり小なり透けて見えてしまうものだろう。

少なくとも真冬はそう思っていた。だが従姉妹はそういった下心、打算等を一切感じさせなかった。


リレーでぶっちぎりで1位になり周囲から褒め称えられても決して奢らず、かといって謙遜しすぎない態度を心がけているようだった。子供ながら真冬は悟った。これは否応なしに目立ってしまう人間がどうすれば人から好意的に受け取られるか、極力人に嫌われないかといった立ち回りをするべきかを従姉妹は理解し、実践しているのだ、と。一朝一夕で身に付くものではない、恐らく普段はおちゃらけている従姉妹も、大学生の従姉妹も学校では自分の立ち振る舞いに人一倍気を遣っていたのだろう。


ふと周囲を見渡すと、人に囲まれている従姉妹を憎々し気に睨んでいる女子が視界に入る。恐らく人気がある従姉妹を快く思っていないのだろう。だが、人気があり成績も良く教師からの評判の高い従姉妹を表立って悪く言うことも出来ず、イライラしているのが真冬には分かった。真冬、というか母方の親戚には出来るだけ周囲と波風を立てないように人を観察する力が人より秀でてるものが多かった。真冬も例外ではなく、従姉妹のクラスメートの殆どはその女子がイラついているのに気づいていない。真冬だけだ、気づいているのは。その女子もクラスメートが自分のところに寄ってきた瞬間表情を笑顔に切り替えていた。その早さに真冬は背筋に寒いものが走るのを感じた。それと同時に。


(私には無理だな)


真冬は子供ながらに従姉妹のような立ち回りは出来ない、と悟っていた。いややろうと思えば出来るのだろう。何でも卒なくこなせる自覚があったから。しかし、あんな精神がすり減りそうな真似自分から進んでやろうと思わない。寧ろ続けている従姉妹を尊敬すらしていた、誕生日には従姉妹の好きなケーキを買ってあげようと心に決めた。


実際従姉妹のように振舞わなくとも特段問題が起きていなかった。だから真冬は今まで通り自分が思うように過ごしていた。


その続くと思っていた日常が変わり始めたのは小学6年生になったころだ。



*******************



その年、都会から一人の男子が転校してきた。


「伊佐山明です、東京から来ました。よろしくお願いします」


その伊佐山明という男子は周囲の男子と比べて背が高く、家も裕福なのかいつも高そうで清潔感のある服装をしていた。その上顔立ちも涼し気で、整っていた。極めつけは「東京」から来たと言う点だろう。地方都市のそこそこ田舎の生徒からすると都会から来た人間というだけで注目の的になる。伊佐山は人当たりも良かったためあっという間にクラスに馴染んだ、そして伊佐山に恋をする女子も出始めた。


しかし伊佐山は誰の告白も受けなかった。しかしその断り方も相手を尊重したものだと女子の間で人気が上がり、振られた相手ですら好意的に接していたほどだ。


それら全ては愛理や他の友人から伝え聞いたものだ。真冬自身伊佐山明に興味がなかったからだ。クラスも違ったし関わりもなかった。噂に聞くと伊佐山は中学受験するらしい。成績も真冬に次いで2位をキープしていたから特段不思議でもない。このまま関わり合いにならないまま卒業する、そう思っていた、この時は。



「皆月さん、いるかな」


秋も深まった頃、真冬のクラスを伊佐山が訪ねて来た。丁度昼休みで教室におり愛理と話してた真冬は自分を呼ぶ声の主に視線を向けた。伊佐山に話しかけられてテンションが上がっていたクラスメートはニコニコしながら真冬の元へやってくる。


「真冬ちゃん呼んでるよ」


チラリとクラスメートと入り口に立っている伊佐山を交互に見る。教室には何人か人がいるし、ここで断るのも感じが悪い。何より伊佐山に恥をかかせると女子の反感を買うこと間違いなしだ。正直話したこともない男子からの呼び出しの時点で要件は察している。真冬は愛理に助けを求めるように視線を向けるが、愛理は口パクでこう言った。


「がんばれ」


裏切者!と心の中で叫び重い腰を上げた。




その後、伊佐山について行き人の来ない体育館裏に着いた。伊佐山は立ち止まり、クルッと向きを変え真冬に視線を合わせる。その真剣な表情は、いよいよ真冬の予感が当たっていることを物語っていた。


「突然呼び出してごめん、俺皆月さんのこと好きなんだ」


案の定告白だった。真冬は正直辟易していたがそれを表情に出さないくらいの分別は持ち合わせている。だから真冬はにっこり微笑み、逆に質問を返した。


「気持ちは嬉しいんだけど、話したことないよね。何で私に?」


首を傾げながら訊ねると伊佐山はほんの少し耳を赤く染めた。照れ隠しなのか頭を掻きながら答えてくれた。


「前から可愛い子だとは思ってたんだ。けど意識しだしたのは勉強で絶対勝てない相手だって分かったからかな、…俺前の学校でも成績も上位で、言い方は悪いけど田舎の学校なら余裕でトップを取れる、って調子に乗ってたんだ」

 

後半尻すぼみになる声。伊佐山自身もあまり褒められた理由ではないことは自覚しているのだろう。所詮田舎者だと馬鹿にしていたと言っているに等しいからだ。


「けどずっと1位は皆月さんで、確か模試も俺よりずっと上だったよね」


そうだったっけ、と真冬は記憶の糸を手繰り寄せる。その様子に伊佐山は苦笑いを浮かべていた。


「…俺眼中にすらなかったんだね、まあ要するに自分より勉強が出来る相手だって目で追っていたらいつの間にか好きになってたって言う、良くある話だよ」


良くある話なのか、と真冬は首を傾げる。しかし、現に真冬を好きだと言う伊佐山がいうのだから本当に良くある話なのだろう。


目の前の男が顔だけで真冬を好きになったわけではないことが分かり、その時点で他の顔だけで告白してきた男子たちより多少好感度は高かった。が、それと告白を受けるかどうかは結び付かない。


「ごめんなさい、誰とも付き合う気はないの」


伊佐山の両目を見据えてきっぱりと告げる。伊佐山は一瞬悲しそうな顔をしたがすぐ元の微笑みに戻った。


「そっか、まあそんな気はしてたけどね。ありがとう、わざわざ来てくれて」


振られたというのに恨み言一つ言わず、逆にお礼を言われてしまった。顔も良く恐らく金持ち、勉強もできるのだからそれはそれはエベレスト級にプライドが高いと偏見を持っていたのだ。


だが蓋を開けてみれば見た目通りのいい人。振られた女子ですら伊佐山を悪く言わないのだからこれは「ガチ」だと真冬は思った。


実際伊佐山自身は割と善人よりの人間だったのだと思う。問題は伊佐山に好意を抱いている女子の方だったことに気づくのに時間はかからなかった。





真冬が伊佐山を振ったと言う話しは光の速さで学年中に広まった。伊佐山本人が広めた可能性は低い。誰が好き好んで自分が振られた話を言いふらすのだ。そして真冬も女子に人気のある相手を振ったと喧伝する程性格は悪くない。噂の出どころは不明だが、人通りの少ない体育館裏と言っても誰かしらは近くにいたのかもしれない。そこを深く考えても仕方がない、と頭を切り替えた。


最近やけに真冬を目の敵にしている女子がいる。クラスメートの赤沢由香、所謂クラスの女王的ポジションとその取り巻きだ。とにかく性格がきつく自分に楯突く奴には容赦しない、男子ですらご機嫌を窺っている。しかし教師に対しては媚を売り、成績もそこそこいいので評判はいいのが厄介だった。真冬はそんな相手でもスタンスを崩さず言うべき時は意見を言っていた。そんな真冬の事を赤沢は快く思っていなかっただろう、それは真冬も分かっていた。だが男子からの人気が高く、教師からの評判の高い真冬を表立って非難するのは自分が不利益を被る危険がある。だから赤沢と真冬は表向きは仲良くも悪くもない、ただのクラスメートとして接していた。この時までは。


「皆月さんて、調子乗ってない?」

「分かる、可愛いからって、何かムカつくよね」


そういった言葉を真冬が教室にいる時、これみよがしに聞かせるようになっていた。またすれ違いざまに真冬にだけ聞こえる声量で「澄ましててウザい」と言われることもあった。周囲のクラスメートは巻き込まれたくない、と真冬から距離を取り始めていた。といっても愛理を含めた友人は気にせず話しかけていたので真冬の生活は何ら変わらなかったし、面と向かっての悪口も陰口も何とも思わなかった。


それよりも真冬が気になったのは「何故このタイミングなのか」ということだ。赤沢が自分を嫌っていることは知っていたが、今まで不干渉を貫いていた。にも拘らず何故今、と疑問に思っていたが、それも愛理が教えてくれた。


「赤沢、伊佐山の事好きらしいよ」


その一言で全て察した。つまり片思い相手をあっさりと振った真冬が腹立たしいのだろう。理由が分かりスッキリしたと晴れ晴れとした顔で言うと愛理が眉根をひそめた。


「嫌がらせされてるのに余裕ねアンタ」


呆れたように呟く愛理。


「だって悪口とか気にならないし、正直どうでもいい。けど嫌がらせするほど誰かの事好きって羨ましいかも」


あっけらかんと言う真冬に対し驚きを通り越して引いており、わざとらしく後ずさる。


「赤沢もやばい奴に目付けたわね」


その声色には赤沢に対する同情が滲んでいた。



それからしばらく嫌がらせは続いた。陰口、嘲笑、物を隠す、嫌がらせと呼ばれるものの殆どはコンプリート寸前ではないだろうか。真冬はそれら一切を無視しており、物を隠された際も友人が探すのを手伝ってくれた。赤沢からすれば手助けする友人も嫌がらせの対象に加えたかったのだろうが、あまり大っぴらにやると教師にバレるリスクが高まるためそれも出来ずにいた。何より教師への評価を気にしているところがせこい。へこたれるどころか飄々とした態度を崩さない真冬に赤沢を苛立ちを募らせているのが分かった。


「灰色の目って気持ち悪いんだけど」

「あの髪色も地毛とか言ってるけど絶対染めてるでしょ、目立ちたいからに決まってるって」


普段の立ち振る舞いに対する罵倒のレパートリーが尽きたのか、今度は容姿をこき下ろす方にシフトチェンジしたようだ。何としても真冬の心をへし折りたい、という執念を感じる。これはもう伊佐山の事はきっかけに過ぎず良い前々から気に食わなかったが、攻撃材料が出来たから行動に移した、だけな気がしてきた。


流石にこれにはキレた、愛理が。


「あんたさ、黙ってればいい気になって!」


真冬が何も反応しないので愛理も口を出すことはなかったが、流石にこれは我慢できなかったらしくガタッと椅子から立ち上がりズンズンと赤沢に近寄る。ああ、これはまずいと思い愛理の後を追う。


今にも赤沢に掴みかからん勢いの愛理を背後から羽交い締めにする。その様子に周囲が困惑したのが分かった。え、何で止めるの?という疑問が皆の顔に浮かんでいる。逆にこのまま愛理が赤沢に掴みかかり騒ぎになって先生にバレてもいいのか、そうなったら嫌がらせのこともクラスメートが見て見ぬふりをしていたことも全てバラすつもりであった。ちなみに止めたのは愛理に手を出させないためである。どれだけ相手に非があろうとも、手を出した方が絶対的に悪くなってしまうのが世の常だと真冬は分かっていたからだ。


真冬の行動が理解できないとばかりに目を見開き困惑している様子の赤沢。真冬は愛理を羽交い絞めにしたままにっこりと微笑みかける。あからさまに赤坂が目に警戒の色を浮かべ、体を強張らせているのが分かった。散々嫌がらせをしてきた相手がニコニコ微笑みかけてきたら、何をする気だと警戒するのも無理はない。


「…私はこの目の色気に入っているんだけどね、まあ感じ方は人それぞれだけど」


「…?」


真冬の意図が分からずに警戒の姿勢を緩めない赤沢。クラスメートも面白がっているのか真冬と赤坂に注目している。


「私、赤沢さんに対して道端の石ほどの関心も抱いてないの、だから()()()()()()()()()()()()何とも思えない、ごめんなさい」


言いたいことだけ言うと、軽く会釈して羽交い絞めした愛理を引き摺るように教室を出ていく。出ていく直前、怒りと羞恥で顔を真っ赤にした赤沢が視界に入った。そりゃあ面と向かってあなたには何の関心も抱いてませんよ、と言われ赤沢のようにプライドが高い人間が怒らないわけがない。あえて煽るように笑いながら言ったのも効果があったらしい。困惑したり怒ったり、コロコロ表情が変わって面白いな、その程度の感情しか湧いてこなかった。


近くの階段の踊り場まで移動する。やっと羽交い絞めから解放された愛理は開口一番、こう言った。


「ほんとあんたえげつないわ、怖いんだけど」


その声色は冗談交じりでも何でもなく、本気で言っているようだった。






その後、赤沢達からの真冬への嫌がらせはパタリと止んだ。陰口も、謂れのない嘲笑に対して何の反応も示さない真冬をつまらないと思ったのか、これ以上関わり合いになりたくないと思ったのか。どちらでも良かった。これで静かに過ごせる、とそれくらいのことしか考えていなかった。


だが赤沢は真冬が思うよりもずっと陰湿で執念深い性格だった。ストレス発散の捌け口か真冬ではなく、今度は大人しい女子に嫌がらせをし始めたのだ。その子、飯田理子は人見知りがちで内気な性格で真冬とも仲が良かった。恐らくただの鬱憤晴らしではなく、散々自分をコケにした真冬への仕返しで仲が良く、それでいて大人しい子を標的にしたのだろう。当てつけのように。


掃除当番を押し付ける、「いつもオドオドしててイラつく」「暗い奴の近くにいるとこっちまで暗くなるから近づかないで」と聞こえるように悪口を言う、体育の授業で理子がミスをすると「あんたのせいで負けた」と殊更責め立てる。真冬ならば何とも思わない嫌がらせも普通の女子からすると耐え難いものだ。理子は赤沢に何か言われる度にビクビクと怯えるようになり、笑うことも少なくなっていった。その理子の反応に赤沢の行動はドンドンエスカレートしていった。理子の机の横を通る時にわざと教科書や筆記用具を落とすと言う直接的な行動もとり始めた。理子は学校を休む回数が増えた。


真冬や愛理が出来る限り庇ってはいたが、それでも理子の精神はドンドン擦り減っていった。悪質なことに絶対に教師の目が届かないところでやっていたのだ。勿論、自分が次の標的になりたくないからクラスメートは見て見ぬふり。いっそ担任に言うか、とも思ったが赤沢みたいなタイプは告げ口した、と騒ぎ立て今より状況が悪化する可能性がある。担任に言うのは最終手段で取り敢えず、自分に出来る範囲で対処しようと思った。




「赤沢さん、私が嫌いなのに何で理子に嫌がらせするの」


理子への嫌がらせが続いてから一カ月近く、真冬は放課後教室でたむろっている赤沢たちに話しかけた。愛理が心配だからついて行くと言い張ったが、自分の問題だからと断った。不服そうだったが最終的には納得してくれたようだ。


楽しそうに談笑に勤しんでいた赤沢は話しかけられてすぐに会話を辞め、面倒臭そうに真冬に顔を向ける。真冬の灰色の目が射抜くように赤沢を捉える。その圧に多少怖気づいたようだがすぐにキッと真冬を睨み返す。


「嫌がらせって、私達は飯田さんと遊んであげてるだけよ。飯田さん、皆月さんと違って優しいから私たちの事無視しないから、嬉しくてさ」


それなりに整っている顔に醜悪な笑みが浮かび、心底楽しそうに吐き捨てた。それに釣られ取り巻き達も笑い出す。あれだけのことをして、一人の人間をあそこ迄追い詰めておきながら、遊びだと宣う。しかも、真冬が自分たちを無視したから理子を虐めているのだ、と言外に言い放った。真冬が気に入らないのなら真冬に直接言いにくればいいのに、関係のない人間を巻き込むのはルール違反だ。最も向こうは真冬に嫌がらせをしたい一心でこんなことをしているのだろう、目的のためなら無関係の人間を傷つけても何とも思わないのだ。その醜い光景を目にした瞬間、真冬は対話での解決を諦めた、いや辞めた。と言った方がいいかもしれない。


もっと効果的に、赤沢のプライドを傷つける方法がいいと、赤沢並みに性格の悪いことを考えていた。愛理に言わせればこういうところが「えげつない」と言われる所以なのだ。真冬は基本自分自身が攻撃対象になっても積極的に動こうとはしない。物理的な暴力に対してはこの限りではないが、今回は言うなれば言葉の暴力だ。このまま様子見をするつもりだった。


しかし、向こうが真冬の友人に手を出すと言うのならこちらも静観を決め込むのは辞める。さて、どうしようかな、と真冬は子供らしい、しかし底冷えするような笑みを浮かべていた。






それから、また二カ月ほど経った。二月中旬、中学受験した生徒は残り少ない同級生と過ごす日々を大事にしており、そのまま地元の中学に進学する生徒は6年間過ごした校舎での日々を懐かしんでいるようだった。ちなみに伊佐山は中高一貫の私立に進学することが決まったらしい。しかもかなり偏差値の高い。1年で伊佐山が違う学校に行ってしまうことを女子達は大層嘆き悲しみ、伊佐山は砂糖に群がるアリのように女子に囲まれていた。真冬も中学受験を勧められたが、中学から電車通学なのが面倒で最初から考えていなかった。


理子は嫌がらせをされ始めた当初こそ塞ぎがちだったが、 一々真冬たちが出張って守っていたおかげか、今では休むこともなくなった。彼女は中高一貫の女子校に進学することが決まっているため嫌がらせを受けても、すぐに環境が変わるから、と最後の数か月は普通に登校していた。このことは真冬を含めた特に仲のいい友人にしか言っていなかった。なので懲りずに嫌がらせを続けている赤沢に対し、理子はおよそいじめられている人間がいじめている側に向けることのないフワッとした笑顔でこう告げた。


「私、中学受験したんだ、だから春から赤沢さんとは会えなくなるね、寂しいな」


その時の赤沢の悔しそうな顔と言ったら、思い出しただけでも笑えてくる。風の噂で赤沢は伊佐山と同じ中学を受けて、呆気なく落ちたらしい。受けた学校が違うのだから比較する意味はないのだが、散々馬鹿にした理子が受かり、自分が落ちたという事実は赤沢のプライドを傷つけた。理子はおとなしいが根に持つタイプで、卒業前に仕返ししようと誘ったら「やるやる!」と二つ返事で賛同してくれた。彼女も中々強かな性格だ、転んでも泣き寝入りはしない。



そもそも理子は男子が苦手、という理由で女子校に行くため早い段階から勉強を進めていた。好きな相手が行くからという理由で受験を決め、それなりに成績がいいからとろくに勉強せずに胡座をかき落ちた赤沢。不純な動機という点では似通っているかもしれないが、この時点で人としての差が如実に表れている。

すでに赤沢のメンタルにヒビが入っていたが、まだ終わらない。本番はむしろこれからだ。





休日を挟んだ月曜日、真冬は普段と違いチャイムの鳴るギリギリの時間に教室に入った。入った途端教室にいたクラスメートが騒ぎ出した。教室に来るまでにも下級生、他クラスの人間からジロジロ不躾な視線を向けられていた。見られることに慣れているし、注目されるのは承知の上ではあったが、気分の良いものではない。普段下ろしている髪を一つに束ねていることもあり、首がスースーして落ち着かない。


クラスメートは口々にヒソヒソと話し始めた。


「何あれ…」

「お前聞いてこいよ」

「そういうお前が聞いてこいよ、何で髪黒いのかって」

「真冬ちゃん両目の視力2.0だって言ってたよ、なんで眼鏡かけてくるだろう」



そう、今の真冬は亜麻色の髪を漆黒に染め度の入ってない眼鏡をかけていた。名前をつけるとしたら逆イメチェン、だろうか。髪を染めたいと言った際、両親は特に反対しなかった。やや放任主義の両親は髪を染めたいという娘の要望を「やっぱりあの目立つ髪色だと女子特有の繊細な友人関係に波風を立ててしまうのだろう」と良いように解釈してくれた。実際はただの嫌がらせであり、仕返しである。たかがその程度のことでここまでするのが真冬という人間であった。

やるなら徹底的に、は同じような性格の従姉妹からの受け売りである。


愛理にこのことを伝えると大きくため息をつき、頭が痛いのかこめかみを抑えた。理子は自分のせいで、と泣きそうになったので必死で宥めた。

付き合いが長いが真冬の行動を予測するのは難しい、流石に仕返しで髪まで染めるのは予想出来なかったらしく、冷静になれ、と諭された。正直なところ仕返しは3割、残りの7割は男子避けが目的である。常々思っていたことだが、男子から好意を寄せられることにも今回のように揉め事に巻き込まれることにも辟易していたのだ。髪を黒く染め、眼鏡をかけた程度でそう言った面倒事から解放されるとは思えない、所詮気休めである。


だがもうすぐ卒業、中学生になる。心機一転、とキャラ変をする良いタイミングだ。


最も愛理も理子も似たようなことを言っていた。


「地味にしたって元が美少女なことには変わりないから意味ないんじゃないの?」


そう言われては元も子もない。まあ3割の目的のためにしている事だ、効果が無くても気にすることでは無い。


クラスメートの声を気にする事なく自分の席まで移動すると人が近寄る気配を感じた。振り返ると目を限界まで吊り上げ、憎悪の篭った目で睨みつけている赤沢が仁王立ちしていた。



「あ、赤沢さんおはよ」


「何よそれ、まさかあの程度のことで髪まで染めたの?理解出来ないし気持ち悪い、私への当てつけのつもり?ほんとムカつく」



顔を合わせた途端憎々しげに吐き捨てられる。真冬自身は何をしたわけでもないが、よくもここまで嫌われてしまったものである。しかし、今回のようなことが起きなくともかねてから感じてはいた。相手が真冬のことを嫌っているのと同じように、この瞬間真冬は絶対赤沢とは仲良くなれないということを確信した。そもそも仲良くなりたいという気も微塵もなかったが。



「当てつけって何のこと?私は中学生になるからイメチェンしようと思っただけだけど」


ニッコリ微笑んでとぼけて見せると、神経を逆撫でされたのかどんどん顔が怒りに染まってくる。しかし、今赤沢は「当てつけか」と言った。人は感情的になると本音を漏らしてしまう時があるという。全員が全員そうというわけではないだろう。だが、少し見た目を変えただけでこの怒りよう。赤沢の怒りの根本が髪を黒く染め、灰色の目を眼鏡で隠したことにあるとしたら、それを当てつけだと本人が感じているとしたら。かねてから感じていた一つの推測が当たってある可能性が現実味を帯びてきたことになる。



不愉快そうにそれなりに整った顔を歪めている赤沢を、真冬はわざと挑発するように灰色の目で見据えた。すると怯えたように体を強ばらせるが、目線だけは逸らさない。


「赤沢さん、私が髪染めたり眼鏡をかけたことが当てつけだって思うってことはもしかして、私の髪色とか目が羨ましいと思ってたの?いつも羨ましそうに私のこと見てたの、気づいてたよ」


そう告げると分かりやすく動揺し、目を大きく見開きギリッ…という音が聞こえそうなほど奥歯を噛んでいる。ついさっきまで怒りに染まっていた顔は怒りよりも怯えが全面に出ており、まるで別の生き物を見ているかのような目で真冬を見ている。何で分かった、と言いたげだ。確信があったわけではないが、この反応を見ると自分の予想はあっていたらしい。


真冬は人より観察力と記憶力があると自負している。なのでこれまでの赤沢の自分に対する態度を思い出し、振り返ってみた。2年間同じクラスになったこともあり、世間話程度はすることもあった。それでもあからさまに距離を感じていたが、自分を見る目に思うところがあった。


出会った当初は他の同級生と同じで自分に羨望の眼差しを向けているのが分かった、最も赤沢の眼差しは人一倍周囲を観察してないと分からないものだろう。プライドが高そうだし真冬を羨ましいと思っていることなど、周囲に知られたくはなかったはず。そもそも、周囲が真冬を羨ましいと思うのは見た目や勉強、運動が出来るところであり真冬の内面を混みで好意的に接しているわけではない。言い方は悪いが多数派に迎合した方が楽である。赤沢ほどでないにしろ真冬の性格が良くないことは自覚している。皆が羨ましがるのは真冬の外側だけだ。そのことは別にどうとも思っていない。


小学校低学年の頃は真冬に限らずそれなりに可愛ければ男子からチヤホヤされることも珍しくなかった。当時は今ほどきつい性格を表に出さず、猫を被っていた赤沢も例に漏れずそれなりに男子に人気があった。


が、小学校高学年になり性差が出てくると周囲と比べ頭一つどころか三つ抜けて美しく成長した真冬と、それ以外のそこそこ可愛い女子との周りからの関心の差は残酷なまでにハッキリしてしまった。

それからだろうか、赤沢の真冬を見る目が羨望から嫉妬に変わったのは。表面的は一応好意的な接しているように見せかけて、自分を見る彼女の目に嫉妬の炎を垣間見たのは小学5年生の時だっただろうか。それがハッキリと「嫉妬」だと判断できるようになったのは伊佐山の件があった時期から。


気に食わないけどそれ以上に羨ましい、秋までは赤沢にとっての真冬はそういう存在だった。それが伊佐山が真冬に告白したことを知ったことでタガが外れてしまった、知らず知らずのうちに抱え込んでいた妬みが爆発してしまった。


もしかして赤沢は真冬と同じ目、髪の色をしていれば自分がもっと注目され、片思いの相手からも思いを寄せられていたのに、と渇望していたのか。本人がどう思っていたかは知らないが真冬からすれば目立つことが多いとそれだけ面倒ごともついて回るということを教えてやりたい。今の真冬が何を言っても嫌味としか受け取られないだろうけれど。



チラリと時計を確認するとそろそろ良い時間であった。真冬はニコニコしながら赤沢の耳元に顔を寄せた。そして…冷たい声で言い放つ。


「…見た目をどれだけ着飾っても中身が醜いとあまり意味ないと思うよ」


「っっっっ!」


怯えで青白くなっていた顔が一瞬で朱に染まり、真冬を力任せに突き飛ばした。真冬は体幹がしっかりしていたのでうまく受け身を取ることも出来たが、わざと大袈裟に尻餅をついた。その際近くの机に体をぶつけてしまう。「痛っ…」と痛みに悶える声を出す。一連の真冬の行動を見守っていた愛理がすぐさま駆け寄り「大丈夫⁉︎」と恭しく声をかけた時だった。


「!赤沢さん何してるの!」


教室入り口で女性の咎めるような声が聞こえ、クラスメートの視線が一斉に声のした方に向く。そこには出席簿を右手に抱えた担任の工藤先生が立っている。普段は温厚な工藤先生が目を吊り上げ、真冬ー厳密には真冬を突き飛ばした時のまま、両手を前に突き出した姿勢のまま固まっている赤沢に視線を向けている。赤沢は突然工藤先生がやってきたことに動揺し、何も出来ていない。


工藤先生はそのまま尻もちをついたままの真冬に駆け寄り、しゃがんで目線を合わせる。


「皆月さん、何があったの?」


工藤先生は真冬の髪の事について特に驚いた様子はない。両親が事前に髪を染めることを伝えておいたのだ。基本小学生が髪を染めるのは禁止だが、真冬の場合元の髪色が髪色なので咎められると言うことはなかった。真冬はわざとらしく目を逸らし、まるで傷ついたように口を固く結んだ。それで工藤先生は大体のことを察したようだ。


「赤沢さんが皆月さんに突っかかって、突然突き飛ばしました」


近くにいた女子が先生に告げ口した。確か以前まで赤沢とつるんでいた女子だ。秋あたりから赤沢の行動に思う所があったのか一緒にいるところを見ることは少なくなっていたが。


付き合いが減ったとはいえ友人から裏切られたことに対し、ショックを受けているのか口を震わせている。


「いや、ちが…」


流石に分が悪いと思ったのか、同級生に対する圧の強さはなりを潜め、しどろもどろだ。工藤先生は赤沢を一瞥すると再び真冬に視線を移す。


「…1時間目は自習にします。赤沢さんと皆月さんは先生と来てください」


工藤先生の言葉で目を大きく見開き、何か言いたそうに口をモゴモゴされているが周囲の自分への冷たい視線に気付いたのか結局口を開くのを辞めた。


真冬は赤沢が自分に絡んでくるのを予想して、わざといつもより遅く登校した。そして几帳面な工藤先生は毎日ほぼ同じ時間に教室にやってくる。その時間に合わせて上手いこと赤沢を煽り、直接的な行動に出させたのだ。今回はタイミング良く赤沢が真冬に手を出した直後に先生が来てくれたから説明する手間が省けたが。流石に静観を決め込んでいたクラスメートも直接手を出した赤沢にこれ以上従うメリットもないと見切りをつけることも計算済みだ。元々彼女に対し反感を持っている生徒は多かったのを真冬は知っていた。きっかけさえあれば簡単に見捨てられる、その程度の偽りの地位だと。


何はともあれ工藤先生は真面目でなあなあで済ませることをよしとしない、かと言って暑苦しい熱血タイプでもない先生だ。これを機に真冬や理子がされたことを洗いざらい喋ってしまえば女王様気取りの赤沢の鼻を明かし、これまでのように好き勝手な振る舞いはできなくなるだろう。


真冬としても自分だけならともかく友人に手を出さなければ何もするつもりはなかったのだ。ともかく赤沢は運が悪かった、それだけだ。


ちなみにこの計画ともいえない稚拙な考えを愛理に聞かせると例によって「本当に性格悪いわ」と辛辣な反応をされた。真冬はただただほくそ笑んでいた。




その後、先生に赤沢と共に呼び出された真冬は秋頃から嫌がらせを受けたこと、それを無視していたら今度は理子を標的にし始めたことを細部をぼかしながら話した。その際自分の目の色や髪の色について罵倒されたことも正直に話すと先生は怒ったように目を細めた。周りと違う容姿を理由に貶めることはタチが悪い、と判断されたようである。

赤沢は終始別人のような肩を落とし、項垂れていた。時々憎々しげに真冬を睨んでいたがその度に反省の色がない、と先生に叱責されていた。


その態度に反省の色なし、と判断されたのか両親に連絡すると先生が言い出すと「あの程度のことで親に連絡するなんて」とこの期に及んで悪態をついた。確か彼女の親はPTAの役員をしていて厳しいと風の噂で聞いた。今までも今回のようなグレーなことをやってたが、その度に赤沢の親に気を遣った学校側が穏便に済ませていたらしい。これは情報通の愛理から教えてもらった。



しかし先生はこのままにしとくのは赤沢のためにならない、とし結局彼女の両親に連絡したらしい。彼女の両親は真冬と理子の両親にも謝罪をしたと後日母親から聞かされた。既に真冬の関心は赤沢から離れていたため他人事のように聞いていた。


赤沢はその後普通に学校に来ていたが、今までのような傍若無人な振る舞いはできなくなりクラスでも彼女に近づく生徒は居なくなっていた。ある日廊下を歩いてると赤沢が他クラスの女子複数人と移動している姿を目撃した。休み時間になるたび教室から姿を消していたが、他クラスの女子とつるんでいたらしい。


そこそこ騒がしい廊下でも彼女達の話し声ははっきり聞き取れた。だがその会話に赤沢の声は混じっていない。よく見ると赤沢は彼女達の会話に相槌を打つだけで会話に参加できていないようだった。表情も引き攣っている。


もしかしたらそこまで仲が良くないグループだが、一人で居るよりマシだと居心地の悪さを感じながらも我慢しているのかもしれない、と。


赤沢とは同じ中学に進学したが、工藤先生が口添えをしたのか3年間同じクラスになることはなかったため、これ以降の事は良く知らない。しかし、同じ小学校出身の同級生が面白がったのか時々聞いてもいない彼女の近況を教えてくれた。


小学校の時のように女王様として振舞うことは出来なかったが、取敢えず孤立しないためのつるむ相手は見つけたらしい。その同級生は赤沢のことを良く思っていなかったらしく、「いい気味」だと心底嬉しそうに教えてくれた。真冬は興味がなさそうに適当に相槌を打つだけだった。




真冬の周囲も変わったと言えば変わった。今まで自分にすり寄っていた同級生の殆どが距離を取り始めたのだ。理由は何となく察しがついた。赤沢と同じように「あの程度」のことで誰もが羨む容姿を簡単に隠すようになった真冬を「理解できない存在」と忌避するようになったのだろう。もしくは赤沢への仕返しのためにあそこまでした真冬を怖い、とでも思ったのかもしれない。だが、真冬としては本来の目的の一つ、「男子避け」を達成できたので気にすることもなかった。


同時に本当に仲の良かった女子の友人以外も離れていった。容姿を地味にした真冬には近寄る価値もないと判断されたのか、自分には見た目以外の価値がないと自覚はしていたが分かりやすい周囲の行動に逆に笑いがこみ上げてきた。子供とは思えない程他人に対する執着が薄く、両親にも常々心配されていた真冬だが、他人に執着する性質だったら人並みに傷ついていたはずだ。結果として真冬はそんな周囲の変わりようにもケロリとしていた。それも周りから異質だと距離を置かれる原因だったのかもしれないが、本来気の許せる友人が少しいれば満足する性質だった真冬は中学に進学しても変わらず自由に過ごしていた。しかし、友人たちが言う通り地味にしても元々整っていた顔立ちは隠しきれるものではなかったらしく、別の小学校出身の男子から告白されることはあった、「よく見ると可愛いね」とか何とか。それでも小学校までとは比べ物にならないくらい少なくなっていたため、比較的平和的で普通の中学生活を送っていた。




***************************




そして月日は流れ高校受験が近づいてきた。中学でもトップクラスの成績を保っていた真冬は県内トップの高校を受験することを勧められた。が、その高校は電車で片道40分近くかかる。それが手間だった真冬は電車で10分の距離にあるそこそこの進学校を受験することに決めた。担任からはもっと上を狙えるのにと嘆かれたが、娘の意思を尊重したいと言う両親の声で渋々折れた。成績優秀だった愛理も同じ志望校に決めており、共に受験勉強をしていた。受験予定の高校を受ける予定の同級生は案外少なく、真冬と仲のいい人間は愛理を含めて数人だけだ。このまま勉強すれば落ちることはない、と言われていたので真冬は柄にも無く気が抜けていたのかもしれない。何故なら受験前日まで酷い風邪を引いていたのだ。当日になりすっかり熱は下がり一応マスクをして受験会場に向かった。が、前日までバタバタしていたことが関係してるのかもしれない。



朝、試験会場に着いて筆記用具を確認した際消しゴムだけないことに気づいたのは。


(私が受験当日に消しゴム忘れるなんてベタなことをするなんて)


鉛筆や鉛筆削りは筆箱に入っているのに消しゴムだけどこにもなかった。一応カバンのどこかに入り込んでいないか調べたが、やはりなかった。にもかかわらず、やけに落ち着いていた真冬は周囲を見渡した。やはり試験直前だからか皆ピリピリとした雰囲気が教室全体に漂っている。物凄い形相で参考書や単語帳とにらめっこしている生徒もチラホラ確認できる。近くの生徒ともう仲良くなったのか、談笑する程余裕なのか周囲の迷惑にならない声量で話してる生徒もいた。


受験番号順で教室と席順が割り当てられているので友人は別の教室だ。わざわざ消しゴムを借りにいくのも邪魔をするみたいで気が引ける。確か筆記用具は貸し出しを行っているはずだ。ここの先生に事情を話して消しゴムを借りに行こう、と腰を上げようとしたときだった。


「どうかした?」


突然右隣から声をかけられる。座った体勢のまま横を向くと黒髪黒目でやや目つきの悪い男子が真冬の方に視線を向けていた。どうやら声の主は彼らしい。真冬が席に着く前から席に着いていた彼は熱心に何かを読んでいた。単語帳でも確認していたのかと思い、彼が手にしている本に目線を落とす。よく見るとよれは駅前の大型書店のブックカバーだ。しかも大きさは文庫本サイズ。これは受験前の最後の確認ではなくただ単に本を読んでいただけみたいだ。余裕だな、と真冬は思った。よく見ると同い年とは思えないほど落ち着いた雰囲気を纏っていた。今まで真冬の周囲にはいなかったタイプだった。


突然話しかけられ、どうするか迷った。何でもないと誤魔化してもよかったのに。


「…消しゴム忘れてしまって。借りに行こうかと」


何故か正直に話してしまった。すると彼は自分の机に出していた2つの消しゴムのうち使った形跡のない新品の方を手に取り真冬に差し出した。


「使う?」


え?と心の中で呟いた。何故初対面の自分に親切にするのか、分からなかった。言い方は悪いが今日この受験会場にいる生徒は蹴落とすべきライバルだ。わざわざ親切にしてなんのメリットがあるのか。本来の姿の真冬なら恩を売ろうとしてもおかしくない。が、今の真冬は地味モードだ。しかもマスクをして男子から確認できるのは顔の上半分だけだ。おまけに目にかからないギリギリまで前髪を伸ばしている。この状態の真冬を助け、あわよくば、なんて考える物好きがいるとは思えなかった。


真冬は差し出された消しゴムをどうするべきか悩んでいた。ここで断って機嫌を損ねるのも真冬自身気分がよろしくないし、教師を探し筆記用具を借りにいくのも手間だ。受け取るか断るか、2つを天秤にかけた真冬は自分の取るべき行動を決めた。


「…ありがとう」


おずおずと差し出された消しゴムを受け取る際、体を彼の方に身を乗り出す。その際男子と目が合った。その際、無表情だった彼の目がほんの微かに見開かれる。今、真冬の目が灰色なことに気づいたようだ。


(まあこの色珍しいし、そういう反応になるよね)


最早慣れた反応に真冬は平然としていた。元の姿なら綺麗だなんだとおべっかを並べられただろうが、今は特に何も言われないだろうと高を括っていた。


「…目の色灰色?珍しいね」


「…ええ」


予想に反して彼は話しかけて来た。だが予想はしていた反応だったため、小さな呟きと共に頷いた。もう会話は終わっただろうと思い、机に向き直ろうとするが何故か彼はじっと真冬を見つめたままだ。


「えーと、何か?」


怪訝そうな顔で訊ねる。


「いや、綺麗な目だなと思って」


そう彼は無表情のまま、平然と言い放った。その瞬間チャイムが鳴り参考書を出していた生徒は慌てて仕舞い、談笑に勤しんでいた生徒は机に向き直り筆記用具を用意している。彼も周りと同じように文庫本を仕舞い、さっき言った言葉なんてなかったかのように落ち着いた様子で頬杖をついている。


真冬も彼から渡された消しゴムを机に置き、担当の教員が来るのを姿勢を正して待っていた、表面上は。



(…え、何今の)


平静を装っていた真冬はかなり動揺していた。目の色について何も言われないだろうと高を括っていたところに放たれた言葉はかなりの攻撃力を持っていたのだ。この時ばかりは感情が表に出づらいことを感謝した。そもそも受験直前なんて皆自分の事で一杯一杯だ。


だから()()()()()()()()()()()()()()()()誰も気づかないはずだ。心配する必要は何もないのにかかわらずホッとしていた。





真冬はその後何とか受験を終えた。頭の中で事あるごとに彼の言葉が反芻されてしまい、その度に邪心を振り払うかのように頭を掻いた。だが、逆に邪心を追い出すために目の前の問題に持てる限りの集中力を注ぎ込んだ。その結果、自分の中では最後に受けた模試以上の手ごたえを感じている。恐らく、いや確実に合格はしているはずだ。


しかし、かつてないほどの集中力を発揮した反動で監視員が最後のテストを回収し終わった瞬間、机に突っ伏してしまった。この疲れは試験によるものだけではない、確実に()()()が原因であることは疑いようもない。


(何故こんなに気になっているの…)


机に突っ伏したまま真冬はそんなことを考えていた。見た目を綺麗だと言われたことは一度や二度ではない、正直辟易するほど聞かされた言葉だ。そのはずなのに、何故こんなにもあの男子に言われた言葉を気にしているのか真冬には分からなかった。


「真冬、どうした?早く帰ろう」


頭上から聞き覚えのある声が降りかかる。ダルそうに体を起こすと愛理が心配そうに真冬を見下ろしていた。その時、凄まじい速さで首を右に向けた。当然ながら隣の席には誰も座っていない。真冬は慌てて机に置いてあった少し使用した新しい消しゴムを手に取り、ため息を吐いた。愛理が怪訝そうに覗いているのにも気づいていない。


(返すの忘れた、どうしよう)


消しゴムを貸してくれた彼とは朝以来喋ることはなかった。休み時間はひたすら見る必要もない参考書とにらめっこしていたし、昼は別のクラスにいる友人と食べていたため話す暇すらなかった。心ここにあらずの状態だった真冬は昼食を取っている際、「真冬具合悪いの?保健室行く?」と心配されてしまった。すぐに誤魔化したためそれ以上追求されることはなかったが。


というか、あの男子も消しゴムを返せと帰る前に一言言ってくれれば良かったのだ。もしかして消しゴム1つをわざわざ返せと催促することでケチな奴だと思われるのが嫌だったのか。本当のところは分からない。


それよりも、真冬は自分がこんなにも戸惑っている理由が分からなった。あんな言われ慣れている言葉を言われただけなのに。もしかして自分は照れていると言うのか、まさかそんな、という言葉が頭の中で反芻している。そんな、だとしたら自分はーー






「単純すぎない?」


次の日、受験から解放されたからパーッと遊びに行こうと誘った愛理とカフェに来ていた。試験が終わった直後から明らかに様子のおかしい真冬を問いただすために誘ったことは分かっていた。頭はいいはずなのに今の自分の事すら分からず悶々としていた真冬は、付き合いが長くこういったことに真冬よりは詳しい幼馴染に昨日の事を掻い摘んで話した。その返答がこれだ。愛理は呆れたように注文したショートケーキをパクついている。


「単純てどういう意味」


「そのまんまも意味よ。あんたは地味モードの時に初めて目の色を褒められてそれでコロッていっちゃったのよ、これを単純と言わずに何て言うの。…いやぁあの男子に一ミリも興味がなかった真冬がねぇ、というか初恋なんじゃない?」


「ハツコイ?」


「何その言葉覚えたてのオウムみたいな発音。いや、その男子の事が頭から離れないんでしょ、恋だよ、恋。多分真冬は人よりずっと頭が良い分恋愛偏差値は小学生レベルなんだよ、だから惚れるきっかけも単純」


真冬は目の前のチョコケーキに視線を落とした。そして愛理に言われた言葉の意味を考えていた。

「初恋」ー正直自分には無縁のものだと思っていたのだ。幼い頃から自分には何かが欠けていると感じていた。どれだけ好きだ何だと言われても心が動いたことすらなかった。だが、今確かに真冬の「心」は動いている。


正直完全に納得をしたわけではない。しかし、これを「恋」だと定義すれば腑に落ちるのも事実。真冬は取敢えず「初恋」について噛みしめることにした。


「というか、真冬は気になる男子ってどんな奴よ、イケメン?」


興味津々という様子で愛理が質問してくる。どんな、と言われてもと真冬は口ごもる。そこまで顔の造形を詳細に覚えてるわけではないのだ。


「目つきは少し悪くて、シュッとしてて。多分女子にモテるタイプだと思うけど」


あの年不相応に落ち着いた雰囲気、周りの年相応に騒がしい男子の中に混じれば大人っぽく映りそうである。そういう意味でモテそうだ、と感じたまま伝えると


「真冬と似てない?異常なほど落ち着き払っているところとか」


ああ、初めて話した時感じた違和感はこれか、と真冬は一つの答えに辿り着いた。真冬は名も知らぬ彼に直感的に親近感を覚えていたというのか。


「まあ、その彼も同じ高校受かるといいね、そしたら春から同級生じゃん」


「多分受かってると思うよ」


勘だけど、と真冬は付け加えた。あの彼が落ちる姿がどうしても想像出来なかった。その前に自分が受からないいけないのだが。




その後真冬たちを含めた友人たちは全員無事合格してた。そしてそれと同時に真冬はある決意を固めていた。






***********************




「誰あのめっちゃ綺麗な子!あんな子受験の時いた?」

「髪の色綺麗、色白、顔ちっさ。モデルかな」

「瞳の色灰色だよね、ハーフかな」


春、真冬は志望校に合格し高校生になった。そしてそれに合わせ髪の色を元に戻し、眼鏡も外した。理由は単純明快、名も知らぬ彼が褒めてくれたこの目を隠すのは勿体無い、と思うようになったからだ。ついでに髪も元の色に戻すことにした。これを幼馴染に言えば「単純」と鼻で笑われ、理子には「真冬ちゃんが恋に目覚めた!」と自分の保護者かと錯覚するほど喜ばれた。怖いのは両親も似たような反応だったことだ。


容姿を地味にした原因である赤沢は別の高校に進学した。仮に同じ高校だったとしてももう突っかかるだけの度胸も残っていないだろうが、不安の種は残しておきたくない。


母親行きつけの高級な美容室で髪色を元に戻してもらった。やはり痛んでいるのはどうしようもなかったので思い切って肩のあたりまでバッサリと切った。背中の真ん中あたりまであった髪を切ったのだ、慣れなくて暫くは首がスース―した。


元の容姿に戻るにあたりもう一つ大事なことがあった。高校でも赤沢のような人間に絡まれないとは限らない。なので従姉妹に頼み「極力人に嫌われず、面倒ごとが起きない方法」を詳しくレクチャーしてもらった。この従姉妹も社会人としてバリバリ働いている従姉妹も幼い頃から時間をかけて身に付けた術、ほんの数週間で身に付くとは到底思えなかった。


が、真冬は自分や従姉妹が思うよりずっと要領が良かったようで、見ているドラマの台詞を覚える感覚で身に付けた。


こうして「女神」と称えられる皆月真冬という人間は出来上がった。初めの頃は慣れない言葉使いに行動、それなりに苦労したが慣れてくると自分が演技派の女優にでもなった気分になり段々楽しくなってきた。因みに学校での真冬を見た愛理と同じ中学の友人は耐えきれないとばかりに陰で笑っていた。当然後で軽く仕返しをしておいた。




そして例の男子、蒼井涼真は予想通り受かっておりしかも同じクラスだった。クラス分けの紙を見た際柄にも無く喜んだのは秘密だ。クラスメートになり、自分は入学早々「誰にでも優しい美少女」という立ち位置を手に入れていた。この地位を使えば気になる男子と仲良くなることは難しくない、とそう思っていた。


涼真に水原七海という恋人がいると知るまでは。真冬は入学早々失恋したのだ。



「盗っちゃえば彼女から、今の真冬なら簡単でしょ」


食堂で昼食を取っている時冗談交じりにそう言った愛理を真冬は灰色の目で睨みつけ、愛理は肩をすくめる。


「ちょ、冗談だよ、そんなに怒んないで」


「冗談でもそういうこと言わないで、人の恋人横から奪うとか最低の行為だからね」


真冬は真面目で少々潔癖な傾向があった。自分の容姿を使えば恋人がいる男子でも比較的簡単に靡くだろうが、そんなことをするつもりは毛頭なかったし、そんな自分を想像するだけでも嫌悪感が湧いてくる。

それに未だに彼、涼真の事を好きかどうかはっきりしたわけではないし、友人関係になりたいと思っても付き合いたいと考えたことは微塵もなかった。


それに観察して気づいたことだが涼真はかなり真面目な性格でクラスメートの女子とも必要以上に仲良くしない傾向があった。彼女がいても女子に慣れ慣れしく、何なら真冬にアプローチしてきた奴もいた。恋人が居ても他の人間に粉をかけることはあり得ないことではない、とすると。


これが彼女持ちの高校生男子の普通だとしたら、涼真は今どき珍しい彼女一筋、彼女を心配させるような行動は取らない、というスタンスなのではと気づいた。そんな相手に「学校一の美少女」等と大袈裟に持ち上げられている自分が近づいても友人関係になることすら難しいだろう。自分の彼氏がそんな女子と仲良くしていると知れば、確実に彼女は不安がるだろう。そんなリスクのある行動を涼真は取るとは思えなかった。


真冬は涼真が楽しそうにしているのならそれで良かった。正直七海は彼女としてどうなのか、と思うことがないわけではないが真冬が気にすることではない、と気に留めなかった。





だが、転機は割とすぐ訪れた。


家から10分ほどの距離にある喫茶店「ノワール」。前々から気になっていたおしゃれな喫茶店で5月の頭、思い切って一人で行ってみたのだ。入ってみると広すぎない店内に優雅な音楽が流れており、客も勉強をしたり読書をしたりと過ごし方は様々だった。そして周囲の迷惑になるような大声で喋る客もおらず、落ち着いて勉強とか出来そうだな、と真冬は思った。ノワールで出されるコーヒーも、ボリューム満点の食事も真冬の好みにあったもので、すぐに此処を行きつけにしようと決めた。


通い始めて数回目、そこで真冬は思いもよらぬ人物と遭遇した。


「あれ、皆月?」


カウンター席でマスターと仲良さそうに話している涼真が真冬を見つめるなり声をかけて来たのだ。何でもオーナーは彼の叔父で自宅からは距離はあるもののよく来ている、と教えてくれた。真冬がこの時、内心ガッツポーズを取っていたのは誰も知らない。この時まで真冬と涼真は「ただのクラスメート」としての関わりしかなかったが、この時を境に「ノワール」でのみ話す間柄になった。当然ながら彼は真冬が消しゴムを貸した相手だと気づいていないようだった。


連絡先を交換していなかったし、学校で今日は喫茶店に行くか、何て聞くと周りにどんな噂を立てられるか分かったものではないし、涼真と彼女の仲にひびが入るのも望むところではなかった。涼真自身は有名人の真冬とこんな風に放課後話す仲だと学校の人間に知られたら、やっかみを買い何をされるか分からないから黙っていよう、と提案したが真冬としてもこの店が学校の男子にバレて押しかけられたら面倒極まりないしこの空間を邪魔されたくなかった。だから偶然会ったら話す、それだけの間柄だった。


思いがけず涼真が話すきっかけが出来た真冬は内心舞い上がっていたが、「女神」モードは崩さずあくまで誰にでも優しい皆月真冬、として接することを忘れなかった。いきなり慣れ慣れしくしたら涼真の性格上距離を取られる危険があったからだ。そうなったらまた友人としての関係を築く足ががりを作らなければいけなくなる、それは避けたかった。


涼真と「クラスメート」として話すようになって分かったことだが彼は恋人がいるからなのか、元の性格なのか今まで真冬の周囲にいた男子と違い、慣れ慣れしくしたり言い寄ったりするそぶりを全く見せない。自意識過剰だと思われるかもしれないが、外見だけは「学校一の美少女」と学校外で会う関係になったらあわよくば、という態度を取ってもおかしくはない。しかし、彼はあくまでも真冬に対し「クラスメート」として接している。自分に邪な感情を抱いていない異性と話すのはこんなにも気が楽だと言うことに、真冬はおおよそ初めて気づいた。



涼真は数週間に一度顔を合わせる日を数ヶ月繰り返すと真冬を「友人」として認識してくれたのか七海との馴れ初め、親友の樹の事に話してくれるようになった。


無表情で何を考えているか分からないと言われる自分と違い、表情豊かで明るい七海が眩しく映り彼女から告白されて付き合ったこと、樹とは小学校からの付き合いでよくテストの点数で競っていたことを微笑みながら教えてくれた。


好きな人間相手に惚気られるのは地獄だ、と映画か本で良く言われているが不思議と真冬はそう言ったマイナスな感情は湧いてこなかった。もしかしたら自分自身は涼真の事を好きではないのかもしれない、と思い始めていた。ただの錯覚なのでは、と。




それが間違いだと気づくのは、七海が真冬に相談してきたことがきっかけだ。


「皆月ちゃん、相談したいことがあるんだけど」


夏休み明けの放課後、教室に一人で居た真冬に七海は突然話しかけて来た。クラスメートとして話すことはあれど個人的に親しい間柄ではなかった。普段行動を共にする人間も違ったし、正直なところ男子がいる場で大声であけすけな話をする七海達のグループは苦手だった。当然態度には出さないが。


「水原さん、どうしたの」


優しく問いかけると七海は不貞腐れた様に口を尖らせる。


「涼真のことなんだけどね、私が先に進みたいってお願いしても高校の内は駄目って絶対拒否するの。私のこと好きならそういうことしたいって思うよね、普通。私の事好きじゃないのかなって不安でさ」


「…」


真冬は「は」と低い声が漏れそうになるのをどうにか堪えた。それくらい彼女の「相談内容」が真冬の理解の範疇を超えていたのだ。というかただのクラスメートに相談する内容ではない。友人に相談しろ、と心の中で毒吐く。

要するに「そういうこと」をしたいが涼真は高校生の内は駄目というから、自分が涼真に好かれているか不安だと、そういうことか。


暫く考えるそぶりを見せた後口を開いた。


「何で私に相談したの?」


「だって皆月ちゃん凄くモテるから、いいアドバイスしてくれると思って」


(いやモテる=恋愛に関する的確なアドバイスができるってわけではないんだけど…いや、それより高校生ってそういうことするの普通なの?せめて大学に行ってからだと思うんだけど私の頭が固いだけ?)


モテると言っても恋愛経験ゼロ、つい最近「初恋らしきもの」を自覚したばかりの真冬だ。恋愛偏差値に関しては七海よりはるかに低い。そんな真冬がこんな恋愛上級者にアドバイスなんて出来るわけがない。


そもそもあのクソが付くほど真面目な涼真がそんなお願いを聞くわけがないと、彼女なのに分からないのだろうか。涼真が表情の乏しい顔で首を左右に振る姿が想像できる。この様子だとお願いしたのは一度や二度ではない、頑なな涼真の態度に痺れを切らし相談することにしたのだろう。友人に相談しないのは自分が彼氏とうまくいっていないことを知られるのが嫌で、その点「皆月真冬」なら馬鹿にしたり風潮したりする心配がないと思ったのか。


まあいい、ここは適当なアドバイスをしてお帰り頂こう、そう思った時、真冬の中で「何か」が芽生え気が付いたら口に出していた。


「…私は蒼井くんのことを良く知っているわけではないから、蒼井くんのことを良く知っている人に相談した方がいいんじゃない?折角相談してくれたのに役に立てなくて申し訳ないけど」


申し訳なさそうに眉を下げると七海はその手があった、と言わんばかりに目を輝かせ「ありがとう!」と礼を言うとすぐさま教室を出て行った。


七海の足音がしなくなっても真冬は暫く突っ立ったままだ。


真冬は自分の行動を振り返っていた。あの時、真冬の脳内には一つの囁きが響いた。


『七海に涼真の友人に相談に行くようにけしかければ、そっちと親密になるのでは』


自分の恋人についての悩みを恋人の友人に聞いてもらい、それがきっかけでその友人と親密になる、良くある話だ。それに真冬の言い方はあくまで一つの「アドバイス」の体であり、強制はしていない。だが単純そうな七海は真冬の「アドバイス」を参考に涼真の友人に相談しに行くのは予想できる。


真冬はあの瞬間「そうなること」を望んだ。自分があわよくば2人が上手くいかなくなることを望んでいたことに多少ショックを受けた。自分の性格が良くないことは自覚していたがここまでだったとは、真冬は肩を落とした。そして、自分が涼真のことを「普通に」好きだったことに今気づいた。


が、気づいたからと言って何をするでもない。寧ろ七海が本当に真冬のアドバイスを実践し、それがきっかけで2人が別れることになったら多少の罪悪感が湧いてくる。本当に腹黒だったら2人が別れたら計画通り、とほくそ笑むところだろうが、そうではなかったので自分がそこまで腹の中が真っ黒でないことが分かり胸をなでおろした。


(まあ見た感じ水原さん蒼井くんの事ちゃんと好きみたいだし、そこまで心配することでもないか)


そう能天気なことを考えていた過去の自分を殴りたい。



七海が真冬の想像以上に愚かで、親友の樹も下衆だったということを知るまでは。




2学期の中間テストが終わり、普通の高校生ならパーッと遊びに繰り出すところだろうが真冬は例に漏れず「ノワール」に向かう。そして店内に足を踏み入れるとカウンター席で項垂れている涼真が視界に入る。涼真の周辺には空の皿が3枚並んでいる。うち2つは大皿なので軽食が盛られていたと予想が出来る。涼真は大食漢だが、この様子を見る限り空腹で食べたと言う単純な理由ではなさそうで心配になってしまう。


それに今日は七海の誕生日だからお祝いすると息巻いていたはずだ。どう見ても彼女の誕生日当日の彼氏の様子ではない。心配、というより気になった真冬はゆっくりと近づき声をかけた。



何かがあったのは明らかだが話してくれる気配のない涼真を前にし、どうしようかと思案していた。まさか洋酒入りのケーキで酔っぱらうという酒への耐性の無さが判明した涼真が、ありのまま今日あったことを話してくれるとは思わなかった。聞き出す手間が省けて良かったと思うべきなのか。




七海が樹と「そういうこと」をしていたと知り、真冬は内心静かな怒りに燃えていた。夏休み明けに相談された際、けしかけるようなこと言ったのは真冬だが、相談相手と親密になりそれがきっかけで別れる、予想しうる結末はこうだった。まさか涼真と付き合ったまま樹と関係を持つと言う最悪の選択をするとは流石に予想できない。水原七海という人間は頭の大部分が性欲で占められているのか、話を聞きながら毒を吐いた。


しかも話を聞く限り迂闊を通り越して馬鹿、と言わざるを得ない。「そういうこと」をしているのに鍵をかけないとは、まあ七海も涼真がサプライズを実行するとは夢にも思わなったのだろう。真冬も涼真がそういうことをするとは意外に思った。正直に言わせてもらえば七海はサプライズよりも何かプレゼントを渡した方が喜ぶ即物的なタイプだろう。そもそもサプライズが成功したと言う例はあまり聞かない、七海が何もしていなかったとしても上手くいき、彼女が喜んだかは謎だ。


もし涼真がサプライズをしなければ七海の裏切りが明らかになることはなかった、その場合七海は何食わぬ顔で交際を続けるつもりだったのだろう。涼真の話の中で醜い言い訳を並べている七海ならあり得る、と虫唾が走る。七海に対してもだが、同じくらい樹に対しても嫌悪感を抱いていた。まともな神経の持ち主なら親友の彼女と関係を持とうとは思わない。相手は涼真の事を親友と思っていなかったのだろう、もしかしたら寝取ったことで優越感に浸っていたか、全く気分が悪い。隣に座っているオーナーに気づかれないように眉間に皺を寄せた。


だが涼真は2人に仕返しをするつもりはなく、証拠の写真を撮り自分に関わったらばら撒く、と脅しただけに留めたという。余りの冷静さに思わず苦笑が漏れる。恋人の浮気現場に遭遇して淡々と証拠を押さえるなんて社会人でも難しいだろう、初対面の時感じた年不相応の落ち着きは間違いではなかった。いついかなる時でもその態度を崩すことはないのだろう。他の人間が聞けば怖がるはずだが、真冬は涼真と似た性質だったので怖いとは思わない、寧ろ共感した。


当の本人が仕返しを望まないと言うなら「ただのクラスメート」の真冬が首を突っ込むことではない、それは理解できる。しかし、裏切った七海と優越感に浸っているであろう樹の鼻を明かしたいのも事実。本人が望まないのだからあからさまな、例えば真冬の人脈を使い噂の出どころが分からないように2人は浮気しているのでは、という噂を流す、という復讐は出来ない、さてどうしたものかと話疲れて爆睡している涼真を前に顎に手を当てて考える。そこで我ながらいい案を思いついた真冬は他の客に気づかれないように顔を伏せほくそ笑んだ。



暫く経ち目を覚ました涼真に真冬は一つの提案をした。自分と付き合っているフリをして七海と樹に見せつけるのはどうか、と。人並みにプライドがあれば自分の彼氏だった男が別れてすぐ真冬のような有名人と付き合えば大層ショックを受け、プライドを傷つけられるだろうし、樹の方も彼女を取ってやったと優越感に浸っている状態で、その親友がさっさと次に進んでいれば親友に彼女を寝取られたのに全く堪えていなかったのか、と地団駄を踏むことになる。そういえば小学生の頃からよく競い合っていたと聞いていた。こんなことをやらかしたのはその辺に原因があるのかもしれないが、樹のことなんてどうでもいいのでそこで考えるのを辞めた


それに、仕返しするつもりはないと言っても少しくらいあの2人の悔しがる顏を見たいのではないか、と口には出せないが心の中で訴えかけた。


やはり涼真は最初は渋っていたが、真冬が丁度告白除けの彼氏の振りをしてくれる相手を探しており涼真にその相手を頼みたい、と告げ、これは自分だけではなく真冬にも利のある話なのだと知ると、涼真は首を縦に振ってくれた。仕返しをするつもりはないと言ってはいたが、やはり復讐する方法があるなら試したいらしい。その後時間も時間だったので週明けの2人に対する対応についての打ち合わせを手短に行い、ここでやっと連絡先の交換をして別れた。



涼真は今頃偶然利害が一致したから、真冬がこんな提案をしたと思っているかもしれない。

真冬は聖人でも、当然「女神」でもない。下心のある少々腹黒い人間だ。こんな提案をしたのは一重に振りでも恋人として過ごす時間が増えれば、いつかただのクラスメート以上の気持ちを抱いてくれるのではないか、という淡い期待からだ。


我ながらこと恋愛においては単純すぎて笑えてくる。ただでさえ涼真は鈍そうだし、クソ真面目なため裏切られたからとはいえ彼女と別れてすぐに別の女子に靡く、というのもあまり考えられない。外見が整っているから好意を抱くという単純なタイプならこちらとしても楽だったのだが、その場合真冬は涼真への関心をすぐに無くしていただろう、真冬は難しい問題ほどやる気を出し、燃えるタイプだ。全く面倒な性格である。まあ、そもそも何もしないと決めていたところに降って沸いたチャンス、長期戦は覚悟の上だ。この関係がいつまで続くかは分からないが今はただ、「初恋」を楽しもうと決めた。



それに真冬は恋愛経験ゼロだ。アプローチの仕方も何もかも分からない。休みの間に従姉妹に色々に聞いておくのもいいかもしれない、そんなことを考えながら帰路に着いた。





************




週明け教室に向かうと何やらクラスが騒がしい。教室の中をのぞくと涙を流した七海と彼女に寄り添いながら鬼の形相で涼真を睨んでいるクラスメートの糸山、そしてこちらが身震いするほど冷たい瞳で2人、特に七海を見下ろしている涼真。周辺を見渡すと樹が居心地悪そうに俯いている。何があったのか大体察するが一応近くにいた女子に訊ねた。



「何か水原さんと半田くんが浮気したって決めつけた蒼井くんが別れるって言ったらしいよ、んで水原さんが泣き出したから糸山さんが怒って蒼井くんのことめっちゃ罵倒してた。糸山さんいつも言い方きついけど流石に言い過ぎだと思ったよ」


苦笑いを浮かべながら教えてくれた彼女に礼を言い、取り敢えず教室のドアの近くまで移動した。


どうやら七海達は真冬が思うより10倍ほど短絡的で愚かだったようだ。涼真が自分たちの事をばらす前に先手を打ち涼真を悪人に仕立てあげようとした、そんなところか。全く稚拙すぎて笑えてくる。七海の頭からすると行き当たりばったりの行動だろう、彼女のいうことを絶対信じる糸山が乗っかってくれているようだが、このまま放っておいてもどうせぼろが出る。それよりも涼真が元彼女と元親友にどのように引導を渡すか、それを見たいと思った。恐らく最後に少し残っていた情すらも、こんな茶番を起こされたら露と消える。


そうなった時の涼真はどんな顔をするのか、好奇心が抑えられなくなってきた。



しかし、冷たい眼差しの涼真が机の上に置いているカバンからスマホを取り出し、操作するのを見た瞬間、成り行きを見守るのを辞めた。恐らく涼真は七海達の相手をするのを面倒に思い、さっさとこの茶番を終わらせるために「例の写真」を目の前で被害者ぶっている七海に突きつけるつもりなのだろう。真冬は写真自体は見ていないが本人が念のため残しておく、と数日前言っていたのを覚えている。消したという連絡はないので今も彼のスマホの中に「証拠」は残っている。



確かに衆人環視の中見せてしまえば七海達が涼真を裏切った上、濡れ衣を着せようとしたことも周囲の知るところとなり立場は逆転する。七海達は被害者から一転、彼氏の親友と寝た上に嬉々として濡れ衣を着せようとした最低女、親友の彼女を寝取った下衆野郎、と他の生徒から軽蔑の眼差しを向けられる。それで涼真の復讐は達成されたことになる、2人は今までのように学校生活を送ることは出来なくなるのだから。当然今の地位も全て失う。



しかし、それは同時に涼真の評判をも落とすことになる。簡単なことだ、恋人の浮気の証拠を押さえそれを衆人環視の中で相手に突きつける。それを見た生徒はどう思うか。


「裏切られたとはいえそこまでやるか、容赦なさすぎて怖い」


裏切った元カノと元親友への一切の情を感じさせない仕打ち、それを見た生徒は涼真に恐怖心を抱いてもおかしくない。それが元で周りから距離を取られる可能性はある。あるいは「被害者」である涼真に対し流石にやりすぎでは、と批判する声も上がるかもしれない。


涼真は周囲からどう思われようと気にしなさそうだが、こんな奴らのために涼真が冷酷だ何だと周囲に貶められるのを真冬は許さない。



だからスマホを取り出すのを見た瞬間教室に入り、涼真に駆け寄った。親しげに名前で呼び合う真冬と涼馬に対し、事の成り行きを見守っていたクラスメートも七海達も驚きを隠せず、ついさっきよりも教室の喧騒は大きくなる。特に七海と樹は信じられないのか間抜けにも口をぽかんと開けている。



その後、真冬が裏切ったのは七海と樹の方で涼真が裏切られ傷ついた直後に告白し、付き合っていると宣言すると教室のざわつきは最高潮に達する。その時の七海と樹の悔しそうな顔といったら、想像していた以上に間抜けであった。真面目な涼真が七海と別れた直後に新しい恋人、しかもほとんど接点のない真冬と付き合うなんて予想できるわけがない。だから2人のその反応は仕方のないものだ。それで涼真の溜飲も少しは下がっただろうか、とチラリと涼真の様子を確認すると心なしか穏やかな表情をしていた。


場の空気を真冬が支配しつつあるにも関わらず、そんなに言うなら証拠を見せろと強気な態度の糸山。彼女は一方の意見を鵜呑みにしてもう一方を責めることが多々ある、少々視野の狭い人だ。だから七海の嘘を簡単に信じ正義の味方気取りで涼真を責め立てたのだろうが、七海の話が嘘だと言うことになると自分の立場が悪くなる。ここまで来たら引くこともできない、と言ったところか。彼女には何の恨みはないが一緒に道連れになってもらおう、何と言っても涼真を罵ったのだ、理由はそれで十分だ。


そして真冬が写真を見せることを仄めかすとついに教室の空気に耐えきれなかなったのか突然蹲まり、ごめんなさい、ごめんなさいとうわ言のように繰り返し始めた。糸山は七海に近寄り樹は魂が抜けたように呆然としている。今この場に残っても面倒なだけだと判断した真冬は涼真の手を引き、教室を出ようとする。去り際に涼真は元彼女と元親友に冷ややかな目を向けたが、すぐに前を向いた。




屋上にやって来た涼真はすっきりとした晴れ晴れとした表情をしていた。もう2人に未練も何もないと言う。それを聞いて気が晴れたようで少し安心した。


そして真冬はなぜ自分に彼氏の振りを頼んだのか、と訊ねてきた涼真にシンプルに好きだから、と告げた。その際見たこともないほどに動揺し、取り乱す涼真はとても新鮮に映った。今までにないほど顔を近づけると、彼は真冬の灰色の目を凝視する。そこでやっと彼は真冬が受験の時消しゴムを貸した相手だと気づいたようで二重の意味で驚いていた。


やはり真冬の気持ちには気づいていなかったようだ。気づかれないようにしていたので当然といえば当然なのだが、何故かモヤっとしてしまったので意趣返しでさっきよりもさらに顔を近づけた、あと少しで唇が触れ合う程近くに。


涼真は静かに狼狽えていた。これ以上揶揄うのも可哀想なので顔を離し、隣に座り直した。


さて、これならどうしようか。どうすれば涼真に自分のことを好きになってもらえるのか、考えるのが楽しみで仕方がなく真冬は艶然と微笑んだ。






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