水神様と怪しい森
牡丹の香に誘われて山の碧を愛でる… と語れば耳に心地よく聞こえるかも知れぬであろうが、要は見回りでおじゃる。
いつも祠に引き籠っておるわけではおじゃらぬ。
地を治めるというのは決して楽な事ではなく、時には自らの目で万象を観る事も土地神の一柱としての役目のなのじゃ。
いつものように霞に乗り、あちこちを見て回っておったのであるが……
「む、むむむ?」
モダテの里を流れる川は、やがて絹の川と流れ合わさるのであるが……
「あれはなんじゃ? 面妖な……」
かの地で奇妙なものを見たでおじゃる。
鳥が森の中を飛んでいるだけなのであるが、ある一点だけは避けるように飛んでいるのじゃ。
いや、鳥だけではないの。地を駆ける動物でさえも近寄ろうとせぬ。
「以前に観た折には、かような森は無かったはずであったが……」
さよう。
絹の川は水量も多く、ささいな事で水が溢れるのじゃ。
それゆえ、この地に起伏は少ないのでおじゃる。
昨年の観回りまでは湿地と芦原が広がっていたのであるが……
「これ、そこな鳥よ」
『コレハコレハ水神サマ。ゴキゲンウルワシュウ……』
「ちとモノを尋ねるが……」
皆がみなカルヴァ山を目指して真っ直ぐに飛んでいると申したのう。
しかし麿の目には間違いなく、森の一点を避けておるように見える。
間違いなく『なにか』が在るのう。
「悩むよりも、試してみればよいのでおじゃる」
水神は背負っていた弓に鏑矢をつがえると、ひょう、と放つ。
鏑矢は独特な鋭い音色を引きながら、的に選んだ樫の木に突き刺さった。
射た矢が鋭い音色を発するのは、矢じりの後ろに笛を付けているからじゃ。笛の形が野菜の蕪に似ておる事から、いつしか笛も鏑と呼ばれるようになったのでおじゃる。
「ふむ……」
やはり矢も避けて通りおる。
かといって何かに弾かれたわけでもなさそうじゃの。
「主様! 遅参の儀、真に申し訳ございませぬ」
「うむ?」
振り返った麿が見たものは、戦装束に身を固めた爬虫人の集団であった。みな片膝を付いて跪いている。
我が眷属であるが、かの者共の戦装束は何とも頼もしき姿であることよ。
「ディノイドではないか。久しいの」
「主様。敵はいずくに?」
「敵…… とな?」
麿は誰とも戦うつもりは……
ああ、戦場では緒戦に鏑矢を射た後に合戦が始まるのが常であったな。
先ほど射た鏑矢を戦の始まる合図と見たか。
「主様が二の矢を射るまでもございませぬ。我らがすべて蹴散らしましょうぞ」
「いやいや、そうではない。怪しき地を見つけたのじゃ」
「なんと?」
麿はディノイドに今までの出来事を話す事にしたのじゃ。
地形が変わり、怪しき森が生まれたこと。
森に鳥や獣が避けて通る空間があること。
誰もがそこを避けて通っている事を自覚していないことを……
「主様の御言葉でなければ信じがたき事でござりますな。では物見の者を……」
麿はディノイドが配下の者に偵察を命じようとするのを制すると、矢を射るように命じた。
「その前に、そなたも矢を射てみよ」
「ははっ!」
ディノイドが放った矢は、ひょう、という音と共に飛び去ると、麿の放った矢と同じように飛ぶと、樫の木に突き刺さった。
「……あの森は妙でございます」
「申してみよ」
「某が放った矢はまっすぐ飛んだように見えまする。されど的に届くまでに一拍ほどの遅れがございますれば…… そこには何か潜むものがございますな」
まったき見事なものよ。
達人ともなれば、放った矢が的に当たるまでの刻で判ずるか。
それにしても怪しき森である。
詳しく調べる必要がありそうじゃ。
約6600万年前に、大量絶滅が起きなかったら……
哺乳類は地上の覇者となる事は出来なかったかも知れませんね。




