エスターは病気です
常識的には考えられない出来事が、実際に起きてしまいました。
あの門松2号は軌道上の宇宙船に命中したのです。
レオノールが操る『もうひとり』の花音がスキンスーツを着て成層圏まで飛んでいったからこそ出来た奇蹟なのですが……
「SIDのセンサーはスキンスーツを探知できなかったみたいなのよぉ」
「けけけけ。ざまぁ… って所ですかね」
こんな物言いが出来るのも、数学的にしか表現できない空間に係留された航宙艦母艦の中にいるからです。
直径5キロの円盤型をした航宙艦母艦の艦名は… レオノール。
この45世紀の人類が建造したエスポーサ級というクラスの宇宙船は、人類史上最大かつ最強の戦闘ユニットです。
艦をコントロールする中枢ユニットもただのコンピューターである筈も無くて。
スパコンの情報処理速度が幼児の筆算に思えるほどの性能を持った人工知性体。
その人工知性体に与えられた名前もレオノール。
航宙艦母艦の命名は、搭載した人工知性体の名前を使う事になっているから。
「エスターがパニくったという事は、よほどの事ですねぇ」
「お陰で、色々教えてもらえたけど…… やはり反応が妙だったのよねぇ」
彼女の語った星間移民船の話はなかなか興味深いものでした。もしも彼らが歴史の分岐点を正しく選択すれば… じゃなくて。
これは確定していない未来の物語という事にしておかないと拙いかも。
それはともかくとして、今回エスターのした事は、あまりにも短絡的。
人工知性体らしくないと言いますか……
エスターがパニくったのは、軌道上の宇宙船に門松2号が命中したのが原因です。それは感情に引きずられての行動ですが、それはもはや人間のそれなのです……
「それはね、人工知性体にありがちな病気… なのよ。エスターの場合は、生体インターフェイスに留まり過ぎたのが原因ね」
「つまり精神が肉体に引きずられるというやつ?」
そう考えれば、その病気がどんなものなのか何となく想像がつきます。
私やヘルマは普段から女性として振る舞っていますけれど、べつに男性でも何の問題は無いのです。だって、私たちは両性を持ち合わせていながら、遺伝子的に安定している完全体だから。
女性として振る舞う理由はともかくとして、レディース用を着ているうちに自分の性別をそのように認識するようになっただけ。
でも完全体だからこその、厄介な問題もあるのですけれどね。
主に夜想曲的なものですが……
「つまりは、これと同じようなイメージですかね」
「当たらずとも遠からず… ね。これっていくつも症例があるから、それなりに対処法も確立しているの。私たちエスポーサ級に搭載されている人工知性体はその辺りの対策がなされているけど、それ以前のマンエイ級は……」
「いわゆるひとつの医学の進歩… って奴ですね? わかります」
よかった……
エスターがいつ暴走するか分からないような状態では、地球人の未来に暗雲が垂れ込めること間違いありません。この状態を何とかするためには、いわゆる心理的に不安定な状態を解決してやれば良いのですが…
人工知性体にもそういう意味での心理療法が必要になるとは。
このあたりは人間と変わりないのですね……
「じゃあ、この件は一件落着、と。残るはあなたの生活態度ねぇ?」
「わああああっ!?」
ななななな何事がガガガが?
急に背後から声を掛けられた私は、冷たい手で心臓を掴まれたような…
レオノールに乗艦できるのは、今のところ3人だけです。
私と、ダンジョンコア達が操る身体だけのはず。
少なくとも、レオノールを係留している空間を認識する事すら困難なのに──
そう思いながら、おそるおそる振り向いてみると……
視線の先には、満面の笑みを浮かべたヘルマがいた。
まずい… ヘルマがこんな表情をする時には、必ず何かあるはず。
それも、私に災難が降りかかる方向で。
「エスターの暴走への対応は、及第点をあげる」
ううう、何か気まずい。背中に嫌な汗がにじみ出てきた……
「それはそうと、なぁあぎぃ? おねーさんは、前にも言いましたね?』
「ひっ!?」
「自分と同じ姿をした人物が、すっぽんぽんで歩き回るのは、おねーさん許しませんよ、って」
良いじゃないのよぅ、ここは私のプライベート空間だし、部屋の外に行く時はきちんと服着てから出るし。だいいち前はオッケーって言ったじゃん!
え? 子供の情操教育に良くないって……
ひょっとして昴と紗紅夜のこと?
それは…… まっ、待って。話せば……
「問答無用!」
ひぎゃあああああ!
これにて一件落着…… かな?




