歴史学者を悩ませるものは
歴史の関わる学問は、ある意味では矛盾との戦いでもある。
ある遺跡の壁に彫られたレリーフの元になった生物を見るためには、地球を半周しなくてはならないとか、どう見ても恐竜としか思えない生物などだ。
そして、似たような事はドゥーラ王国が建国されていた頃にも起きている。
エスター様はハイエルフだし上位世界の秘術を使う事が出来るから、同じ日の午前中にドゥーラとクアルガに姿を現したという記述も納得できなくはない。
歴史書にある大英雄ジャアックや賢者レーナは、転移魔法を封じ込めた魔道具を使っていたとおぼしき記述も見られる。
だが大賢者ナギはどうなのだろうか。
そもそも大賢者という称号自体が神より授けられるものだし、称号を僭称しようものなら確実に神罰を受ける事になる。
その判決は、例外なく死刑… だ。
だから、少なくとも称号持ちなのは間違いないだろう。
王国年代記によれば、ドゥーラ城の最奥部にある本丸御殿を訪れたナギは、王妃たちの歓待を受けたとある。だが風土記には別の記述がある。それによれば、ナギはドゥーラ城を訪れたのと同じ日の、ほぼ同じ時間にクアルガで王国騎士団と行動を共にしたとある。
転移魔法でも使う事が出来れば話も変わってくるが、リーサ魔導書やユーリエ写本によれば、あれは上級魔法なのだ。魔法学の進歩した今でさえも上級魔法を使える人物は数えるほどしかいない。
誰もが知っている大魔法使いと言えば、去年まで主席王宮魔道士を務めていたアマギ・ノゾミや、彼女の後継者であるアマギ・サナの名が出てくるだろう。
だが、彼らでさえ無理だという。
こうなると、ナギという人物は存在しなかったのではなかろうか。
私は幾人もの魔法使いや学者、そして戦士が共同で使っていた仮の名前、称号のようなモノではないかと思っている。
水神モリマロの『みめ様』であったという記録もあるが、こればかりは本神に聞かねばわかるまい。さすがにイズワカまでは行か… いや、行けないな。
私に光村ゲンゴロウのような冒険が出来るはずが無い。彼は王国歴200年代の考古学者だが、単身モダテを探検して生きて帰って来たという伝説が残されているし、それが真実を多く含んでいる事はエスター様のお墨付きだ。
だけどな、そうなんだけどな……
……まあいい。
大ヤポネス史のように、大名家の事業として進めるわけじゃない。
一流の歴史学者たるもの資料収集や調査を他人任せにするのは拙いだろう。
それに私がしようとしているのは、歴史の闇に埋もれかかったひとりの人物に光を当てようとしているだけなのだが…… そうなると私が行くしかないか。
……と、今までの事を思い出しているうちに、港に着いたか。
たしかここで一泊して、明日の朝に出港する予定のはずだが…
ええと、ここはどこだたかな。
「ここはアークァですよ。おじさんも開港1000年の祭りを見物に?」
「いや、私はイズワカまで行くつもりだよ」
私に話しかけた少女は、イズワカと聞いてぴくりと身体を震わせたが、やがてにっこりと笑いかけてきた。
「……ふぅん、遠くまで行くんですね」
「これでも学院で考古学を教えている身でね。今回は調査旅行なんだよ」
それにしても変わった服装だな。こんな事なら服飾史も研究しておけばよかったな。この子が着ているのは古風というか、だいたい2000年くらい前の様式だが…… たしかヘイアン・ピリオーデ、だったかな。
「つぼ装束ですが、なにか?」
「いや、今どき珍しい服装をするものだと思ってね。船旅には向かないだろう」
ああ、上陸するので着替えたのか。歩きにくそうだが大丈夫なのかい?
歩き方にコツがあるのか。たしかに一緒に歩いていて違和感がないものな。
それだけ着こなしているという事か。
それで、このまま祭り見物… その前に、宿屋に行くのが先?
そうだな、船から降りたのは良いが、まだ身体が揺れているような気がする。
少し休んで感覚を戻しておかないと祭り見物どころではなくなりそうだ。
ちょっと早いが、飯でも…… 君も一緒にどうだい。
「私は部屋に食事を運んでもらうよう頼んでありますから、大丈夫ですよ」
「そうか。見知らぬ土地を歩き回るよりもら、その方が良いかも知れないね」
ルームサービス、か。あれだけつぼ装束を着こなしている事も考えると、あの娘はどこか大きな商家の箱入り… か?
しまりす商会という事は無いと思うが、そのクラスだろうな。
「そういえば、おじさん」
「なんだね?」
少女は宿屋のロビーでチェックインを済ませると、いたずら小僧のような顔をして話しかけてきた。
「この近くにナギの… ええと、遺跡? って、あるの知っています?」
なん… だと?
歴史の関わる学問は矛盾との戦いと言うが、けだし名言だな……
このエピソードは、王国歴1200年代半ばのワンカット。
たまには、こういうお話もアリかと思って。




