平和な時代の軍隊は
アルーガ盆地の問題が片付いてしまえば、魔族の侵攻は無視できるでしょう。
そう言えるくらいに、状況は改善されたのです。
ダンジョン同士を合体させたから、エネルギーだって使い放題です。
昴と紗紅夜にダンジョンの改良を頼んだら、腕を組んでスキップしながらどこかに行ってしまいましたが……
「で、さっそく始めたという訳ね?」
「第4層から始めているみたいだけど、なんか恐ろしい事になってる……」
ナギは彼らが何を始めたのかを正確に把握しているが、その内容は花音に話すのを躊躇われるほど。基本的な構造こそさしわたし500メートルほどの立体迷路だが、部分的とはいえ垂直方向の広がりは2階層分に広がっている。
さらに、第3層も似たような構造にすると言っていたから……
「このダンジョン、制覇されるまでには、かなり時間がかかるでしょうね」
地上に展開する武士たちは、ダンジョンという障害物を護るための守備隊という事になるだろう。敵の進撃コース上に川などの障害物があれば、それを護るための陣地を作るのは、近代以降の地上戦の基本でもある。
こうすれば、防御陣地を突破されても川で進撃速度は鈍るし、苦労して川を越えた所に待ち構えているのは本隊だ。よほど兵力差が大きければ話は変わってくるが、一般論として考えるなら、こんなものだろう。
「と、いう事で急に仕事が無くなったのです」
「でもねナギ。忙しいとか疲れた… という言葉とは縁が切れたんでしょ?」
よほどの重大事でもない限り、このような事を口にすれば非難の対象として捉えられかねない。それこそ自分の能力の限界をさらけ出すようなものだから。
日頃からそのような事態に陥らないようにする事こそが大切なのだが……
なかなかそうも言っていられないのが現実でもある。
だが、今のナギにとって、する事がほとんど無いのだ。
アルーガのダンジョンの強化は順調に進み、偶然とはいえ魔族の前進基地を消滅させた今、ナギが主導して行わなくてはならない事は多くはない。
スイッチが切り替わるように、急に仕事がなくなったというか……
「まるで夏休みの宿題を片付け終わった子供ねぇ……」
ダレきっているナギを見た花音は、そう言って笑ったものだが……
実は花音も仕事が無くなったというか、仕事が激減している。
艦内工場もフル稼働しているのは反物質生成装置くらいで、その他の機器は稼働しているものでも最低レベルでしかない。
「私だって平時には出番は無いのよねぇ」
ふたりはお茶をすすりながら、ぼうっとイズワカの山々を眺めた。
どこまでも高く、蒼く澄んだ空には戦争の気配などどこにもない。
だが、この空は魔族の支配する土地に繋がっているのだ。
彼らに弓状列島から出て行ってもらわなくては人類に明日は無い。
かつて、ある宰相が残した言葉がある。
軍隊が国民から歓迎されチヤホヤされるのは、国民が困窮し国家が混乱に直面しているからだ。たとえば戦争、たとえば災害に襲われた時などだな。
逆に言えば軍隊は無駄飯喰らいだと言われる時代こそ、国家国民にとっては最も幸せな時代なのだよ……
歴史的な名言ではあるが、今のナギたちはそれどころではない。
なにせ、やる事がないというか、何をして良いのか見当もつかない。
おなじ暇人と思われる水神は、神々の会合に出かけて留守だし。
「戦争が無いのは、良い事だとは思うのだけどねぇ……」
平和な今だから出来る事がある。
逆に、平和な今だから、為すべき事がある。
それ以前に、この時期だからこそするべきことがある。
それは、食糧確保だ。
イズワカ地方の冬は厳しい。大地は固く凍り付き、雪に覆われる時期もある。
だからこの先は数か月にわたって田畑は使えなくなる。山の幸も同様… というより立ち入れば遭難を覚悟しなくてはならないだろう。
だから今のうちに食糧をかき集めて、貯蔵庫に隙間なく詰め込まなくては。
イズワカ城のダンジョンでは葉武博士が耕作地で頑張っているが、保存できる食糧は多いのに越した事は無い。
魚は乾燥させてから粉に、肉は塩漬けか燻製にする。そして野菜は塩漬けに。
もちろん他にも色々な種類があるのだが、主に作るのはそんなところだ。
「んんん、花音はいくらでも暇つぶしのネタはあると思うけど……」
「あるわよ? ナギも趣味の幅を広げる絶好のチャンスだと思うし」
花音が誘ったのは、シンプルな数学パズルだった。
ここにある自然数Xがあるとして……
Xが偶数なら2で割る。奇数なら3倍して1を足す。
これを繰り返していけば、Xがどんな数字でも最終的には1になるだろうか?
「……最終的には1になると思うけど?」
何を言っているんだ? とばかりに不思議な顔をするナギだった。
いくつかの前提条件が整えば、確かにその通りだと思うのだが……
数学パズルは、コラッツ予想という数学上の難問だそうです。
でもね、自然数はゼロより大きな正の整数の事ですよね。
そして自然数は偶数と奇数以外の数はないのです。
どこが難問なのでしょう……




