猟兵という名のエリート
ヤポネス帝国は島嶼国家である。狭い海峡によって隔てられてはいるものの、本領とされる弓状列島の版図の北端から南端まで3000キロは下るまい。
そして、南北に長くのびる弓状列島は、その中心近くを走る山脈によって東西に隔てられている。
そのため、山脈の西側に進もうとするならば、どうしてもその起点は西の都にならざるを得ない。もちろん山脈の東側も同様であるが、降雪量の少なく冬を過ごしやすい東側に人口が偏ったのも仕方がない。
やがて東の都が生まれ、ヤポネスを治める太陽神の末裔の一部が移り住み……
これは誰もが国史の授業で習う事だ。ヤポネス人なら知っていて当たり前。
知らなかったら中身を疑われかねない……
「そう言えば、ヤポネス人の皮をかぶったペケペケって言葉がありましたね」
「太平洋の向こう岸はイビム帝国の本領があるからのぅ…… 奴らはな……」
ボケ―っと歴史談議に花を咲かせているのは、ナギとジャアックである。
作戦会議の後で、ジャアックが能美屋に誘ったのだ。
「どこの国にも異国趣味の持ち主はいるものじゃ」
「そういうものですかねぇ……」
そう言った彼は、銀杏を殻ごと口に放り込むと、ごりごりとやり始めた。
まだモダテの里で暮らしていた頃に、碁を打っていたものだが、その時も碁石をごりごりやっていたが……
「ナギも他人の事は言えまい? 龍人は我ら以上に閉鎖的な一族じゃろう」
「老も、なかなか博識な事で。軍人になる前は学者でも?」
「若い頃の商売は博物学者というヤツだった。本家に顔を出す事になると知っていたら、学者になどならなかったかも知れんなぁ」
自虐的に嗤っているが、これはジャアックだからこそ言えるのだ。
なにしろユーディとカロリーナをドゥーラの学院に現役合格させたのだから。
学院を出たら帝大へ。末は博士か大臣か──
学院に入学した者は、それだけで将来の栄誉は約束されたようなモノだ。
だから、競争率50倍を優に超える入学試験に合格した家は、一族郎党を招いて大宴会を開いたもの…
「まあ、そんな事もあったのう」
ほっほっほと、朗らかに笑うジャアック老だが、この老人こそヤポネス人の皮をかぶった──本物の鬼… かも知れない。そう語るカロリーナは、当時の事を振り返りながら、死んだタコのような目をしたものだ。
だが、もしも辛丑の役が無かったら、今ごろは彼女は高位の神官を目指していたかも知れない。
「それはそうとして、ナギよ」
今回はジャアックの奢りと聞いたナギは、次々に注文をしては、空になった皿を積み上げていく。量こそ味見程度の少なさだが、その種類はすごい。
店のメニューを制覇する日も遠くないかも知れない……
「……なんですか?」
空になった皿を脇に置いたナギは、出されたほうじ茶を口に含むと、軽く眉をしかめた。決して猫舌ではないのだが、それにしても……
「おぬし、本気か?」
「昼間の作戦会議ですね」
アルーガの占領に成功した人類は、魔族の勢力圏に食い込んだちっぽけな針に過ぎない。だが、この針には猛毒が塗りこめられている。
「イガルタに抜けるには、あそこを押さえるしかないのでは?」
「たしかに、そうだ。そうなのだが、今の武士団に山岳戦の経験は無いぞ」
山脈は狭い所でも100キロほどはあるだろう。そこには古くから謡われる箱根の山ですら入門コースと思わせるほどの険しい山々が連なっているのだ。
いまだに噴火を繰り返している火山も少なくはない。
だが比較的に通りやすい地形に恵まれた場所がいくつかある。
「アルーガを基点に、川沿いに進めば難易度は下がる、か……」
「その先にあるのはイガルタ。魔族の拠点都市ですよね」
妖怪たちとっても、イガルタは大切な場所だ。
いつか奪還できる日が来る…… 彼らはそれを信じて偵察だけは続けていた。
それによれば……
「今はまだ戦時という事で、民間人は入植していないようです」
「それならば、容赦なくいけそうじゃ。だが、さっきも言ったが……」
ジャアックが心配しているのは、山岳戦の難しさ、山の厳しさだ。
武士団は平地や森の中での経験はあるが、基本的にはただの歩兵でしかない。
だが山岳戦を戦い抜くのは、ただの歩兵には難しい。
このような戦場では猟兵と言われる山岳戦のエキスパートが……
「そこはそれ。戦前とは違うのです。たとえば、こんなモノがあって……」
しばらくするとジャアックは次第に頬が緩んでいくのを感じた。
今夜の酒は、さぞ旨かろう……
猟兵というのは歩兵の一種なのです。
一般の歩兵と違ってゴテゴテとした装備を持たないから軽歩兵とも言います。
でも、どんなに険しい山の中でも普通に戦える猟兵はある意味エリートかも。




