ハイエルフと謎の紋章
エスターが龍凪の宮に着くと、すぐに本殿へと通された。
本殿とは、拝殿の奥にある… すなわち神のおわす場所。
神社が神の住まいならば本殿は神のプライベートルームであり、神主であっても滅多な事では立ち入れない禁断の場所でもある。
「外から見る限りでは、こんなに広いとは思いませんでしたわ」
水神の祠と同じく、本殿はそれほど大きなものではない。
外から見た感じでは本殿の広さは8畳間が良い所だと思っていたのだが……
案内された和室は予想通りの広さだが、他にもいくつかの部屋があるらしい。
そう言う意味では……
「お待たせいたしました」
知らず知らずのうちに部屋の目利きをしていたエスターの背後で静かな音を立ててふすまが開く音がすると、栗色の髪をした巫女が入ってきた。
「お口に合えば宜しいのですが……」
そう言って供されたのは、一杯の抹茶と、折敷に乗せた… 茶菓子だろうか。
それは色鮮やかなオレンジ、緑、空色の饅頭だった。
聞けば大納言家の者にさえ供される事のない菓子だとか。
「大納言… 江戸の内府ですら口に出来ないとは、畏れ多いですこと」
「今日は水神様が御渡りになられるゆえ誂えましたが、余分に作りましたので」
エスターの相手をしているのはナギである。
ナギが巫女装束を身につけているのは、前回エスターが来た時に身につけていたのがこれだったというだけの事で、それ以上に特に深い意味はない。
ただ、本能が囁くのだ。
──身バレしてない今なら、この方が絶対に面白い事になるはず……
本能的なひらめきと言うモノは、意外と馬鹿に出来ないもの。
20世紀に送電システムの基礎を築き上げたニコラ・テスラしかり、人類が宇宙への扉を開く方程式を遺した、コンスタンチン・ツィオルコフスキーしかり。
そして、ナギが『そういうこと』を閃いた時は、意外とうまくいっている。
その中には、近くで縁日が開かれているであろう喧噪が聞こえるのも、つまりは『そういうこと』なのだ。
エスターは静かに茶を味わい、饅頭に手を付けた。
たしかに、巫女が言うだけの事はある。見た目は和菓子にしては派手過ぎる色合いだが中身は極上の和菓子だけが持っている、ある種の品格がある。
「なかなかのお手前で」
「恐れ入ります」
しばらくの間、ふたりの間に静かに時間が流れ…… 天使が舞う寸前の絶妙なタイミングでエスターが口を開いた。
「この社は空間を拡張したのですか?」
「さすがに分かりますか」
エスターの前でくすり、と笑う巫女は、どこか楽しげにも見えた。
その表情にイラッとしたものの、さすがにそれをおくびに出す事もなく、エスターは会話を続けることにした。
「気になる事は他にもあってよ」
「ほう?」
「この神社のあちこちに使われている釘隠しの意匠… ですけれど」
部屋のあちこちには、釘隠しと呼ばれる金具が取り付けられている。
これは柱の間に渡されている長押という部材──部屋の装飾だけではなく構造材の一部──を固定している釘の頭がむき出しでは、せっかくの内装も台無しである。
そのために凝った造りの金具で釘の頭をカバーしているのだ。
エスターが言っているのは、その金具の意匠についてだろう。
「5角形の中に描かれた2重の五芒星。ご丁寧に青みまで付いているわね」
「この社の略紋のひとつですね。それがなにか?」
白地に描かれた青い5角形と、その中に描かれた2重の五芒星。
これはエスターの紋章として世に知らしめているもの。いわば家紋である。
そして、ここ──龍凪の宮は、最近になって造営されたものだ。
いくらなんでも偶然という事は考えられない。
恣意的に、この紋を使っているとしか思えないのだ。
ならば、それは何故なのか。
「この紋は私の──ハイウインド家の家紋なのです。なぜこの神社で使われているのか、教えてくださらないこと?」
このままでは埒が明かないと考えたエスターは、敢えて質問をぶつけてみた。
一介の巫女にぶつけるには酷な質問かも知れないが、このまま何事もなく時間を過ごしていたのでは、謎は謎のままだ。
のんびりとお茶をして、適当なタイミングで退出せざるを得ない。
だが、この巫女に無理難題に近い質問をぶつければ、少なくとも上位の人物が現れるだろう。その人物にも答えられないような無理難題をぶつければ……
そう思っての事だったのだが……
白地に描かれた青い5角形と、その中に描かれた2重の五芒星。
エスターが使っている紋章ですが、いまや紋章の意味を知る人は、ほとんどいない筈なのです。




