025_それを決めたのはいつだったか
《――君、来週の作業日程って通知出してる?》
はい、今日の朝にメールで
《――さん。こっちの手順について確認を――》
おっけ。どれどれ〜
……って、これはまたえらく懐かしい光景ですな。
私――ヴァレリア・バニーの意識が俯瞰しているのは、私の前世の仕事場です。
都内にあるIT会社……といっても、運用保守の下請けがメインという、小さなオフィスでした。
私はそこそこのポジションでそこそこの部下を操りながら、営業の持ってくる時に無茶苦茶な業務を熟す日々を送っていたのです。
深夜だろうと早朝だろうとクライアントやさらに下の監視チームから引っ切り無しに電話が掛かってきて、必要とあらばオフィスだったり遠くの現場へ急行させられたり。
基本的に既存のシステムが壊れないよう点検整備するという、忙しい割には達成感の薄い仕事でした。
それにしても前世の私、今生の美少女っぷりが嘘のように野暮ったいですね。化粧もスーツも決まっていない。何よりあの、ヘラヘラした笑い方が気持ち悪い。
日々が忙しいのは充実しているからって自分を誤魔化して、毎朝鏡の前で笑顔の練習をしていたのは今でも覚えています。忘れられないって方が正しいですけど。
同僚に不満を垂らしながら、ダラダラと働く毎日。
自分がゆっくりと腐っていくのを感じながら、それでも他人より高い給料を貰い、何より家に帰れば結婚を考えてる恋人もいる。
だから、自分は恵まれていると考えていました。
だけどこの頃の私は、自分が本当は何をしたいのかも分からなかったんです。
《おかえり、――! 今日もお疲れ様!》
そんでもって同棲中の恋人ってのがこの、人の良さだけが取り柄っぽいこの男。
三十路のフリーター、漫画家志望の穀潰し。人間的には悪人ではありませんでしたが、かといってとびきりの善人でもありませんでした。私から小遣いをもらってゲームや漫画を買うことに抵抗がなくなってしまった……まあ、可哀想な人です。
何年も何年もつまらない漫画を書き続け、苦笑いが顔に張り付いてしまったような弱々しい青年です。
彼といる時間が心地よかったのも、私が生活の面倒を看ないと生きていけないペットだったからに過ぎません。トイプードルとかと同列の。
内心ではヒモと嘲りつつ、それを理解しながら私から離れない彼という存在を支えにしている私。そんな心持ちですから、優越感は得られても二人で過ごす時間に安らぎもない。この頃の私が欲しかったのって、結局のところ何だったのでしょうか。
不満が爆発したのは、本当に些細な切っ掛けからです。
気付けば私は新卒から十年以上も勤めた会社を退職し、恋人の漫画と才能を徹底的に酷評してから家を叩き出していました。
勢いのままに引越し先まで決めて、一人で何軒もはしご酒をして、うっかり歩道橋から転落。ジャストなタイミングでトラックが突っ込んできてドコーン。くだらない最期を迎えたのでした。
今思うと、私ってばなかなか自業自得な結末ですね。……あいつ、ちゃんと就職できたんでしょうか。
……で? どうして私はこんな、今となっては無意味な記憶を映像として観せられたのです?
『お前に残ってた一番古い記憶が再生されただけだ』
ホラー(未だにサブちゃんのアバターです)が私と同じように虚空に浮いたまま、興味深そうに記憶の映像を観察しています。
私の足元には、地面に激突するより先にトラックに追突された私の死相で止まっていました。恐らく、この瞬間で前世の私の記憶が途切れたのでしょう。
『しっかし、何だこれは? お前、いったいどういう人生を歩んできたんだ?』
あれ? もしかしてニャルラトから聞いていないんですか? 私の前世ですよ、さっきのは。
『はぁ?』
あ、分かってないって顔してる。だから、前世の記憶ですってば。
私、地球って別の惑星からエクスペリスへ転生させられたんですよ。これはその頃の記憶なのです。
『……ちょっと待て。それは本当に「無貌の神」の仕業なのか!?』
「当たり前じゃないですか。そうでもなけりゃ、異世界転生なんて誰がやるっていうんです?」
暇を持て余した神の余興。巻き込まれる方は堪ったもんじゃありませんよ。
けど、実はちょっぴり感謝もしてはいるのです。心機一転、新しい生活を始めようってタイミングで死んでしまいましたからね。文字通り「新しい人生」を送れてるんですから。
『まあいい。記憶を先に進めるぞ』
さっさとしてください。次は私がニャルと遭遇して、この世界へ転生した……と、きの……!?
な、何でしょうか! 突然に周囲の画面が荒れ始めました! テレビ画面の砂嵐、まんまあんな感じで!!
ついでにあの、聴覚を破壊するザワザワ音まで襲い掛かってきました!!
『あががががががっ!!』
ホラーも突然の出来事に耳を押さえて苦しんでいます。
やがて、徐々にですが砂嵐が収まっていきますと、いつぞやの暗黒空間が観えてきたのです。
満天の星空の下、どこまでも広がる漆黒の大地と、そこでひたすらゲームをしているボサボサ髪の女。改めて観るとシュールです。
ほら、あれってお前が言う「無貌の神」でしょう?
『……? なんもいねえじゃねえか』
はい? いやいや、目の前に観えてるでしょう?
私と、ボサボサ頭の邪女神が。
『ただの闇なんだけど……』
えぇ〜……それはどういうことなんです? あなた、私の脳に触手突っ込んだんでしょう? 心に土足で踏み込んどいて、何も観えないんですか? うっわ、使えねえ!
『うるせえ! てめえこそ幻覚でも視えてるんじゃねえのかよ!!』
私の記憶を映してるんでしょ? この空間自体が幻覚じゃないですか。
『口の減らねえ女め! ここぞとばかりに煽りやがって!!』
ふふん。今生では絶対に、自分がやりたいことだけをやる! 最低でもやりたくないことは死んでもしないって決めているので!!
そして私が一番したいことというのは〜! 人間関係とか自分の体面とか気にせずに他人をおちょくること! ハゲにハゲって言ってやるが如き鬼畜行為なのです!!
え? 特に意図はありませんよ? ただの趣味です! その結果として殺されるなら本望! クソ王子にも平然と暴言吐ける理由がここにあった!!
『ただのクズじゃねえか!』
「うっさい。死体をキグルミみたいに着ているキモい奴に言われたって堪えませんよ! むしろ心地よい!!」
『お前、よく今日まで生き残ってこられたな……』
私のことは良いのです! それよりも、本当にこの映像が観えていないのですね?
疑わしいので何度かカマをかけてみましたが、冗談抜きで本当に、ホラーは私の転生シーンを認識できていないご様子。これっていったいどういうこと?
一応、画面は私がブラウン管に吸い込まれる直前で止まっています。ここから先は「VB」になってからの記憶です。先へ進めたって私は構いませんよ?
『あ、が……っ』
って、また頭を抱えて苦しんでますね。本当にどうしたんです?
「そりゃお前、当然だろ。そいつにオレは観測できねえ。そういう法則だ」
……え、この声って?
もしやとブラウン管へ振り返ると、停止していた記憶画像の一部――あの邪女神がよっこらしょと重い腰を上げたではありませんか!!
「重くねえよ。つうか、なんつーもんと一緒にいるんだ?」
しかも当たり前のように話し掛けて来ましたよ!? さすが這い寄る混沌、何でもありです……。
てか、ホラーはあなたが寄越した化身でしょう?
「違う。……いや、違くないけど、創ったのはオレじゃないオレだ」
「なんすか? 別人格の仕業だとでも?」
「うん」
こいつ、いけしゃあしゃあと! 表情が分からないからフザケてるのか真面目なのか判断つかないのも面倒臭い。
そもそもここって私の記憶の中なのに、普通に会話が成立してるのも訳が分かりません! 説明するか説明書持ってきてください!!
「分かった、分かった。時間無いし、手短に言うけど、こうしてお前と会話してるオレは、本体のオレと繋がってる端末。非常時専用の通信回線みたいなもんだ」
「非常時ってどういう……こういう時か」
今みたいに意識がハックされたり、他には機能停止した時に遠隔で再起動させたり?
「ロボットじゃねえんだから……とにかく、オレはずっとお前の活躍を、ここにいるオレを通して観ていたってことさ」
「エッチ! 痴漢!! 変態ッ! サイテーッ!!」
「違えよ、馬鹿!! 飽くまでもゲームの盤上にいるお前だ!!」
後ろ手に親指で差すのでブラウン管を観れば、どっかの山岳地帯を俯瞰したマップに、私のステータス画面が表示されています。数値が全部バグってて確認できませんけど。
あの、こういう時にアレですが、自分の特殊技能とか確認してもいいですか? 潜在能力限界突破とか裏魔法適性最大とかありません?
「ねえよ! それよりあいつのことだろ。重要だから聞き逃すな」
ハンティングホラーですか?
「あいつは『オレ』とは別に存在する無貌の神が拵えたモンだ。もう一体いるんだよ、世界を俯瞰するNyarlathotepがな」
なるほど。だからホラーやハーメリアの本体は私を知らないのですね。
では紛らわしいので、目の前のこいつを『ニャルラトホテプ』、もう一体のアナザーを『ナイアルラトホテップ』と呼称しましょう。
「おいこら、普通に受け入れるな。結構衝撃の事実だぞ、実は神が二体だったとか!」
そうでしょうか。化身同士が同時に存在できるなら、這い寄る混沌が二体や三体いたって不思議はないと思いますけど。
「……………………」
あ、あれ? 私、おかしなこと言いました?
ニャルラトから、なんだかめっちゃキョトーンってしてる空気が漂ってるんですけど!?
……あれぇ?




