私の『お父さん』
私達は結婚式を終えると直ぐにシルセウスに戻った。用意していたあらゆる売り込みは上々の手応えであったが、残してきた仕事が気掛かりで一日も早く戻りたかったのだ。片道五日がこんなにももどかしいとは。陛下にせっついて街道の整備を前倒しして進めてもらわなければなるまい。
峠を越え湖の向こうに聳える城が見えた所で馬に乗ったカイル達が出迎えてくれていた。そんなことは言われていなかったので留守中に何かあったのかとヒヤリとしたが、何もトラブルはないと言われ胸を撫で下ろした。ただ領民達が出迎えようと広場に集まっていると知らせに来てくれたのだ。カイルは気を利かせてカブリオレみたいな幌の無い馬車を用意していてくれた。これなら小回りが利いて皆の顔もよく見えるし応えて手を振る事もできるので早速乗り換えて一路広場に向かった。
王都は春真っ盛りだったがシルセウスはまだ漸く春めいてきたところ。道沿いにはタンポポが黄色い花を咲かせている。森を抜けると広場に続く道沿いに笑顔の領民達が並んで待ち構え、おめでとうございますと口々に叫びながら手を振ったり拍手をしたりしている。そして馬車が通り過ぎると今度はその後ろを次々とついて来る。まるで馬車を先頭にパレードをしているみたいなその行列は広場に向かうにつれてどんどん長くなり、まるでハーメルンの笛吹男みたいな不思議な光景だ。そうやって私達は途切れる事なく連なる人垣に見守られらるようにして広場までやって来た。広場のエクラの花は丁度満開だ。シルセウスのエクラはやっぱり色味が強くてピンクの紙吹雪のように花弁が舞っている。
ひとり残らず出てきたのではないかしらと思う程、広場は領民達で埋め尽くされ、割れるような拍手と歓声の中で私達はエクラの木の下に立った。カイル達はすっと前に出て警備に当たる。と言っても物々しいものではなく、前の人は座りましょうとか転ばないように気をつけてとか警備をする私兵団すら笑顔を浮かべていた。そんな中でエリィが無事に挙式を済ませた報告と祝福に対する感謝を述べようとしたのだけれど、一向に止まない歓声に私達は苦笑いを交わした。
「姫様、歌です、歌」
カイルに言われ私は『春の歌』を歌い出した。直ぐに私兵団が続き人々も口ずさみ始める。広場は地鳴りのような歌声に包まれ、歌の終わりと共に静寂が訪れた。エリィは一歩前に踏み出し領民達にヴァレリアビエタ大聖堂での挙式をもって正式に夫婦として認められたことを報告した。そして領主夫人となった(書類上は随分前からなっていたのたが)私の手を取ると再び広場は割れんばかりの拍手と歓声に包まれた。
『お父さん』『お父さん』『お父さん』
歓声を破るようにそんな声が聞こえ、次々と声を合わせていく。忽ち広場は『お父さんコール』で一杯になった。皆さん本当に気に入ったのですね、あの歌が。異国の歌だと説明はしたけれど実際は異世界のアリア。この世界には存在しない言語なのにシルセウスの人々は鼻歌でこれを歌うほど気に入っているらしい。
私は前に進み出て居並ぶ領民達に微笑みかけ歌い出した。
大好きな『お父さん』
彼ってとっても素敵なの
街に行きたいの
指輪を買う為によ
そうよ わたしは行くんだから
この恋が叶わないなら屋根から庭に身を投げるわ
わたしは悶え苦しんでるの
神様わたしを死なせて下さい
『お父さん』お願いよ
その瞬間、広場に鳴り響いたのは歓声と拍手と、そして爆笑。誰もが笑顔だ。希望に溢れた未来を見る者の笑顔。その笑顔がシルセウスの民の顔に浮かんでいた。
そうだ、シルセウスの民は明るい未来が開けていること信じている。私達と共に力強く歩み出そうとしてくれているのだ。
歌い終えた私は振り返りエリィを見上げた。
「あのね、私思うの。私は本当にピピリアルーナ姫の生まれ変わりじゃないかって。違う世界を生きて力を得た私が、シルセウスをもう一度立ち上がらせる為に時空を超えてまたこの世界に生まれて来たのじゃないかって。この生まれ変わりは必然だったのだって」
エリィは嬉しそうに頷いた。
「そうかも知れないね。こんなに領民達に愛される領主夫人はどんな世界を探したってルゥ一人だ」
「それならエリィはすごいわ」
エリィは不思議そうに首を捻った。私はまるでピンクの綿菓子みたいなエクラの木を仰ぎ見てからもう一度エリィに視線を戻した。
「エクラの木の下にいた私を、平凡なピピルをエリィが見つけてくれた。あれが全ての始まりだったのよ。沢山遠回りをしたし行き止まりから引き返した事もある。でも私はシルセウスに辿り着いたわ。エリィに導かれて」
エリィは手を伸ばし私の髪に落ちてきたエクラの花びらを取った。それから顔を寄せて額に唇を落した。
もう歓声か拍手か何なのかわからない、唸りをあげる音の渦の中に浮かんでいるようだ。
「ルゥ、君は今幸せ?」
「えぇ、とっても幸せよ。エリィは?」
エリィは緑の瞳を揺らしながら微笑んだ。
「言っただろう?ルゥが幸せならそれがわたしの幸せだ。それ以上望む物なんか何もない」
「そうかしら?ひとつくらいあるんじゃない?それに私、エリィにあげるものがあるわよ」
私を見下ろす優しい緑の瞳の中で瞳孔がきゅうっと動いたのがはっきりと見えた。
ねぇ、そんなにびっくりする事かしら?ずっと一緒にいたんだもの、もうとっくに気が付いてくれていても良いと思うの。
貴方は誰も愛せなかった私を何の見返りも求めずに愛してくれる。こんなに素敵な旦那さまからふやけるくらいの愛情でヒタヒタに浸されたら、いくら枯れ果てていた私だって心変わりするんじゃないのかしら?
私は散々鈍感だって言われてきたけれど、エリィも中々酷いわね。だから私達は似たもの夫婦なんだわ……。
「ね、エリィ。私もエリィを愛しているわ。だけど……エリィと同じ意味でよ」
気が付けば私はエリィの力強い腕にしっかりと包まれていた。
いつ止むとも知れない歓声の中、私の耳には嗚咽を堪えるエリィの息遣いがはっきりと聞こえていた。
優しい春風が吹くたびにエクラの花びらがハラハラと舞い落ちる。
それはやがて『バッビーノ広場』と呼ばれることになったこの場所を、鮮やかな春色に染めていくのだった。
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