穏やかな春の日に
風の無い穏やかな春の一日が始まった。とは言ってもまだ夜が明けたばかりだからそうなると思う、という予感だけれど。
二度目ともなるとメイドさんたちも良い意味でリラックスして支度に取り組んでくれる。ましてや前回は詳細はともかくどことなく悲壮感を感じていたのだろう。今回は世間話を挟みながら笑い声と共に作業が進んだ。今回も(!)先に聖堂に向かったお義母様は出掛けに私に会いに来て、笑顔で、心からの笑顔でおめでとうと言ってくれた。そして迎えの馬車が来たと言われロビーに降りれば恒例のお義父様と執事長の号泣が待っていた。きっとこの二人は三回目だろうか四回目だろうが号泣するのだろうから絶対に今回で打ち止めにしなければならない。
前回同様屋敷の使用人達が拍手で見送る中私はお義父様と馬車に乗り込んで手を振った。『お幸せに』『あ、もうお幸せなんですよね〜』という誰かの言葉に笑いが起き、みんな笑顔だけれどやっぱりお義父様と執事長は号泣だ。もう、思う存分泣くが良い。私にとっては既に想定の範囲内だ。介添えの為、一緒に馬車に乗り込んだラーナは初めて見るあられもなく泣くお義父様の姿にかなり引いていたけれど。
大聖堂に到着すると曰く付きの花嫁を見ようと大勢の人々が集まり周囲は人だかりになっていた。だって、私の曰く付きのレベルって前世だったらワイドショーの中継車がズラッと並ぶくらいの注目度なんだものね。
私達が門を入り馬車寄せではなくその場で降り立つと人々からどよめきがあがる。人々の目に留まる時間が極力長くなるように、ここから大聖堂の入り口まで『レッドカーペット』を敷いたのだもの。これはシルセウス発の新しい花嫁衣裳を披露するいわばファッションショーのランウェイみたいなもの。私は門の外に向かって一礼してからお義父様の腕を取り二人でゆっくりと歩き出した。
まず人々が驚いたのはウエディングベールだろう。この世界には存在しなかったのだ。シフォンにカットワークの刺繍を施した儚気なロングベールはメイドさん達をうっとりさせ、世界は違えど乙女心を鷲掴みにするアイテムで有ることを実感した。ついでに式の途中でエリィにベールアップをしてもらわなければならないので特訓したのだが、毎回照れること照れること、どうやら男性的にもグッとくるアイテムだったらしい。
それからもう一つ無かったのがドレスのトレーン。スカートの後ろ側を3メートルほど長く仕立て一面に精緻なピピリアルナリー刺繍を刺した。前側も裾にかけてシルセウスの伝統的なツルイチゴのデザインをアレンジした刺繍が施されている。そして胸元と袖はベールと同じシフォン地に同じモチーフの刺繍を一面に入れた。
扉の前まで来たところでお義父様によるベールダウン。これ、前世では母親の役目だったんだけど、進行上色々面倒になるからお義父様に頼んだのだ。それから可愛らしいお揃いのドレスを着たシャーロット王女とジュリエット王女がベールを持つ。これでベールの魅力が倍増だ。アリエラ王女は先頭でフラワーガール。花びらはシルセウスローズを使いたかったのだが、時期的にまだ咲いていないのでローズペタルのポプリで代用した。するとバージンロードが素晴らしい薔薇の香りで包まれるという思いがけない素敵な効果が生まれ、何喰わぬ顔をしながらも心の中で親指を立てておいた。
長いバージンロードを進み祭壇の前で腕から絡めていた手を離すと、お義父様が身体を強張らせたのが伝わってきた。あの事件はお義父様にとって忘れられないトラウマになったのだろう。思わず振り向いた私にお義父様はぽろぽろと涙を零しながら何度も頷き、差し出されたエリィの手を取った途端堪え切れずにむせび泣く声が聖堂に響いた。仕方がない、お義父様は泣き虫なんだものね。ただ、この大聖堂の大きなオルガンの音と聖歌隊の歌とを掻き消すほどの号泣になったのは流石に予想外ではありました。
私にとって二度目の……いや、三度目の式が滞りなく無事終わりエリィと共に大聖堂から退場する。そして外に出ると私は大聖堂の正面に建っている王都で一番大きいホテルの最上階に向かって手を振った。何故ならばそこには本当の両親と姉夫婦、叔父一家、そして小さな私の姪っ子が招待されていたのだ。
侯爵家と養子縁組した以上本当の家族とは縁を切らねばならないのは鉄則だが、殿下は自分の為に私を手放さざるを得なくなり、その上側室に迎えるという約束を果たせなかった家族に、どうにかして一目花嫁姿を見せたいと心を配って下さったのだ。日取りが決まると早々に自らこの部屋を手配して頂いたというこの上なく嬉しい結婚祝いだった。
その頃、王都の各商会の店頭には予め用意されていた私の花嫁衣装のポスターが『幸せのピピリアルナリー刺繍』という言葉を添えて一斉に貼り出された。そして花嫁衣装をイメージしたハンカチやポーチ等の小物が並ぶ。市井に向けて、先ずは手に取りやすい小物を販売することで多くの人にピピリアルナリー刺繍を認知してもらい素晴らしさを伝えるのが狙いだ。思い切って相当数用意しておいたのだが、無事完売したという知らせにホッと胸を撫で下ろした商魂逞しい花嫁さんだったのは秘密ね。
両陛下のご好意で披露パーティーは王宮の舞踏会用の一室で行われた。身重のエルーシア様がどうしても参加したいのだと言い張ったせいなのだけれど、でも我々が喉から手が出るほど欲しいのは話題性なので有り難くお受けした。
ベールを外し代わりに髪を飾るのはクリスタルのヘッドドレスだ。宝石に負けないこれだけの輝きを出せるのはシルセウスの職人の腕あってこそ。そして正に『ベールを脱いだ』状態で招待客にご挨拶をする。この間にウェディングドレスの装飾をじっくり見て頂く作戦は大成功でお義母様は質問攻めに合い大わらわだったそうだ。お義母様とお義姉様のドレスもピピリアルナリー刺繍で飾られている。二人はまるでシルセウスの広報担当かのようにピピリアルナリー刺繍の素晴らしさを力説し、知名度アップに大いに貢献して下さった。お客様達はピピリアルナリー刺繍の美しさを絶賛し、トレーンとウエディングベールにも興味津々だったそうだ。お義姉様からは『かなりの手応えだったわよ』という意味深な笑顔付きの力強い報告を頂いた。ケネスお義兄様、流石はあなたの奥様ですわね。
一通りご挨拶を済ませると『お色直し』の為に一旦中座する。
ペールグリーンのプリンセスラインのドレスにもふんだんに刺繍を入れてある。こちらのドレスは刺繍が浮き立つようにワントーン濃いグリーンの糸を使い、ちりばめたビーズはシルセウスのエクラのようなピンク色。支度が整い迎えに来たエリィは嬉しそうに目を細めた。
「ルゥは本当に春の妖精だったんだね」
「いいえ、そう見せかけた経営の妖精よ。あさましくて嫌かしら?」
「本当に、わたしの花嫁さんはシルセウスの売り込みが目的なのだね。そんなルゥは……とても魅力的だよ」
エリィは笑いを噛み殺しながら私に手を差し出し私はそれに自分の手を重ね二人で顔を見合わせた。こんな風にエリィにエスコートされるのは初めての事だ。
「着飾った美しい君が殿下に手を取られているのを黙って見ている事しかできなかった時は、拷問を受けているようだった。胸が掻きむしられるように苦しくて……今わたしは夢の中に居るんじゃないかと不安で堪らないよ」
「じゃあ現実に戻してあげるわ。ドレス……則ちピピリアルナリー刺繍の印象はダンスの出来でも変わるの。殿下のダンスは相当お上手だったからそれに負けないダンスをお願いね。大丈夫、領主様もかなりの腕前ですもの。シルセウスの魅力を二人で知らしめるのよ」
エリィは今度こそ声を出して笑い、いきなり私の頬にキスをした。ムスッと睨んだが『さぁ行くよ』と耳打ちされ慌てて貼付けた笑顔で開かれたドアから入場する。そして私達は二人きりでファーストダンスを踊った。領主様は密着し過ぎではあったが実力通りのダンスの腕前を披露し、刺繍は好印象を得ることができた、と思う。
私達のファーストダンスに続いてお客様が踊り始め、私も申し込まれては手を取った。お義父様は踊りながらも器用に泣きじゃくり、ケネスお義兄様にはクイックステップで練習不足になっていないかチェックされたが無事合格を頂いた。そしてアルお義兄様はスローワルツを踊りながら嬉しい報告を聞かせてくれた。
「結婚!」
「えぇ、貴女のお陰で国外に居た時に世話になった方の娘さんと」
「おめでとう、アルお義兄様」
アルは小型犬がガルルっと怒るような顔をした。
「それ、やめてくれませんか。彼女には全部打ち明けてありますから今まで通りでお願いします」
「……全部???」
「あーっ、隠しました、一部は隠しました。でも墓場まで持っていく秘密なんで、お願いします」
私はアルを見上げてニカッと笑った。
「考えてあげても良いけど、見返りが欲しいわ。だって貴方相当酷かったんだもの」
「わかってますよっ。何がお望みなんですか?」
アルくんの顔色が宜しくない。かなり怯えていらっしゃるわね。
「ね、アル。貴方達に赤ちゃんが生まれてその子が成人したら……私達に、サティフォール伯爵家の跡を継ぐ養子として迎えさせて」
「え……?」
アルは呆然と目を見開いて私を見下ろしていた。
「本当だったのですか?ジェフリー様に子どもが望めないというのは……」
「えぇ。留学中に煩ったシルセウス風邪の後遺症でね」
「貴女は……それでも構わない……と?」
「それがね……私、そんな事何も知らないまま子どもを産みたいとは思っていないって彼に何度も宣言していたの」
「はぁ?」
アルは更に口までポカンと開けて固まった。
「まぁ、色々あるのだけれど……自分でも確たる理由がはっきりしなくて謎ではあったんだけど……やっと本当の理由が解った気がするわ」
「何がです?」
私がうふんと笑って『秘密』と言うと、アルは口をパクパクし掛ける言葉は何もないとばかりにうなだれて首を振る。その肩をポンと叩き『聞いて』と耳を寄せた。
「サティフォールの名を名乗るとしても、私達はシルセウス王家の血を受け継ぐ者にシルセウスを托す事ができるわ。だからそれまでに、未来の領主として恥ずかしくない立派な人材に育てなきゃ駄目よ」
そう言ったところで曲は終わりを告げた。アルが私を連れてエリィのところに戻るとエリィは何だかプリプリしていた。
「閣下、男の嫉妬は見苦しいですよ」
アルがニヤニヤしながら言うとエリィはこれ見よがしに私の腰を抱き寄せながら言い返した。
「煩い!本当なら指一本だって触らせたくないんだ」
「でもね、アルお義兄様は結婚されるんですって」
途端にエリィはパーッと明るい笑顔を浮かべ『よし、これでまた不安材料が一つ減った』などとごにょごにょ言いながらアルにお祝いの言葉を掛けた。
「お気の毒という気もしなくもないが、貴女にはこれくらいじゃないと何も通じないでしょうからね」
そう言うとアルは肩を竦め『お幸せに』と一言残して去って行った。




