レイデリアの咲く湖畔で
そして私達は春になるまで別々に暮らすことになりましたとさ。私をカンカンに怒らせたのだもの、これもエリィの自業自得なのだ。
私とラーナは塔に移り週末は領主館に戻ってくる。そうは言っても冬が長いシルセウスでは年末年始のお休みがなんだかんだで半月有るし、二月の一番雪深い時期も長い冬休みになるからそんなに騒ぐような事じゃない。
エリィは騒いでおまけに嘆き悲しんだけれど。
「春には王都で結婚式を挙げよう」
陛下の了承は頂いたが、セティルストリアの貴族は王都の主だった聖堂での挙式をもって初めて夫婦として認められ、私はサティフォール伯爵夫人として社交界に出るようになるのだという。
「ルゥはやっぱりこじんまりと済ませたいのかな?前回ですらフローラス聖堂だったものね。小さい聖堂なら何処が良いだろう?」
いや、あれは未遂だ。前回とか言わないの!私はバージンロードを歩いただけだもの。
「式は1年間延ばすわ」
「……どうして?」
私はニンマリと笑った。
「プロモーションよ。シルセウスのプロモーションに利用するの。私が自ら仕掛けるわ。誘拐されて曰く付きになったのも悪い事ばかりじゃ無いのよ。ほっといたって注目されるんだから。だったらシルセウスの為に活用しない手はないでしょう?それには準備期間が必要なんだもの。来年じゃとても間に合わない」
エリィは何を思い付いたのだと言うかのように眉間を寄せて私を見つめた。私はそれに構わず次の構想を持ち掛けた。
「陛下にヴァレリアビエタ大聖堂の使用許可を頂いてね。大聖堂なら話題性も充分だわ」
「それは無理だ。あそこで挙式出来るのはもっと……」
「それまでに納得させられる成果を上げれば良いのよ。今のところ刺繍に関しては計画以上に進んでいる。どうぞ領主様もお励みなさいな。誰にも文句を言われないようにね」
正直に言ってしまえばハイドナー伯爵家子息のエリィと、養女とはいえアシュレイド侯爵令嬢であり先王妃の姪でもある私の挙式なのだから、王族が婚儀を行う王都最大の大聖堂での挙式でも表だって文句を付ける者はいないだろう。でもやはり一切の引け目無くとはいかないからそれまでに胸を張れるようにエリィには頑張って貰わないと。
結局翌年の春、後一年じっと待つのはとても無理だというエリィの為に、私達はレイデリアの花が咲き乱れる湖の湖畔のガゼボでこっそりと式を挙げる……予定だった。私達二人と司祭様、そして介添をするラーナだけでこっそりと。
しかしエリィの部下達や領主館の使用人達に参列したいと言われ、それならば自分達もと養成所の生徒達も加わり、そして更に私兵団員18名が全員参列した。
長い冬が終わろうとする頃、無期限国外追放になったカイル達をシルセウス領内に限って在留を許可するという陛下からの通知が届いた。領内に限るとは言っても国家反逆罪を犯した者に対しては考えられない早さ。無期限だから問題は無いと言われてしまえばそれまでなのだけれども。大体領内に限るってそういうものなんだろうか?クーデター計画の拠点になったというのに?私にはよくわからないけれど、違和感だけは物凄く感じた。
そして間もなく18名が揃って私兵として働かせて欲しいと領主館を訪ねて来たのだ。どうもエリィとはドレッセンで別れるときにそう示し合わせていたんじゃないかと思う。確かにいくらドレッセンは友好国とは言ってもこの辺境に私兵団を持たないのは余りにも無防備過ぎるので、訓練された彼等が来てくれたのは領としては願ったり叶ったりではある。すっかり信頼しているようで着々と増える新団員のことまで、はっきり言ってエリィは私兵団をカイルに丸投げしている。
段々解って来たのだが、私が何故領民から姫様と呼ばれていたのか……それは彼等の家族や友人達から私の事を伝え聞いてであったらしい。ドレッセンで拘束されていた彼等がせっせとシルセウスに手紙を送り、私が何をしたのかを伝え私の体調を案じてくれていたのだ。
ただしいらんことまで伝えた感はある、物凄くある。お陰で私はいまだに姫様なんだもの。これを迷惑と言わずしてなんと言うのか!
こうして膨れ上がった参列者は森の小道には並びきれないし、レイデリアの花を踏み荒らすのは気が咎める。それでもどうにかして参列したいという皆は苦肉の策で学院の桟橋から何艘ものボートに分乗して湖面に浮かびながら式に臨んだ。何ならボートも足りなくなり、カイル達は自作の筏の上に整列する羽目になったけれど。
レイデリアの花の中に佇む白いガゼボでの式はまるで夢のように素敵だった、と生徒達はうっとりと目を輝かせたが、湖面に頼りなくユラユラと浮かぶ何艘ものボートや筏に取り囲まれているその状況が可笑しくて、笑いを堪えるのが大変だったのは二人だけの秘密だ。
それにこれ、リゾートウエディングとして使えるんじゃないかしら?なんて閃いたこともね。
挙式の翌日にはいつも通りの忙しい日々に戻った。冬が来るまでにやらなければならないことが山積みだ。刺繍工房は軌道にのり刺繍技術者養成所も予定通り開所した。今はまだ領民だけが通っているがいずれはセティルストリア中から生徒が集まるように、それだけ魅力のある養成所にすべく私は更に技術を磨きアイデアを捻りだし新しい特許も取った。そして私の持っていた特許権を全てシルセウス領に移した。
硝子の加工をしていた職人達に掛け合って存在しなかったクリスタルガラスのビーズが造れないか試行錯誤してもらったのだが、流石はシルセウスの職人芸。素晴らしい上質なビーズを見事完成させてくれた。これで、ビーズを使った刺繍も出来るようになってシルセウスの刺繍の魅力は更に増した。私の知識と技術をシルセウスの伝統的な刺繍と組み合わせ新しく生まれ変わらせたこの刺繍は、シルセウスを愛した二人の王女の名前からピピリアルナリー刺繍と名付け、ビーズと共に特許も出願した。遠くない将来、シルセウスは必ず国を代表する刺繍技術を誇る地となるだろう。
助成金をたんまりもぎ取ったエリィは色々な事に着手している。城と学院の男子寄宿舎の大掛かりな改装は観光客を受け入れる為だ。シルセウスはこんなに自然が美しいのだ。泉質の良い温泉も湧いている。湖では美味しい魚が釣れるし果物も豊富だ。そして涼しく湿度の低い気候は夏の避暑地としてはまたとない好条件。新設した工場で製造する豊富な果物を使ったジャムやドライフルーツは地元での消費だけではなくお土産品にもなるし王都でも流通させる。
クリム畑にされてしまった丘の一部には大規模なローズガーデンを造設した。ここは観光用であると共に加工用のシルセウスローズの収穫もする。シルセウスのバラからは上質なローズオイルが採れるのだ。ローズガーデンが充実し充分な収穫量が見込めるようになるのに合わせ、ローズオイルを使った化粧品の工場を建てる計画もある。
一応非公表でも領主夫人の私は工房や養成所ばかりではなく領の経営にも携わり大忙しだった。加えて来年春の王都での結婚式の準備もある。シルセウスの魅力とピピリアルナリー刺繍を王都に知らしめる大事なチャンスだ。お義父様は挙式を一年見送ったのにご立腹だったが、これは私達の為というよりもシルセウスの命運を賭けた重要なイベントなので適当に宥めてやり過ごした。大体ね、そう言う本人がどうせまたおいおい泣くに決まってるんだもの。
季節は夏から秋、そして厳しい冬へと変わり、私とラーナは今年は寄宿舎に移った。塔はホテルのスイートルームにしても良いなと思ったのだけれど、せっかくの見晴らしを多くの人に楽しんで貰いたい、そう考えて展望室に改装したので使えなくなったのだ。そうそう、私の相棒あーるつーは綺麗なカットガラスの花瓶を乗せられて、学院のエントランスの1番目に付く場所に鎮座している。生徒達にもあーるつーと呼ばれ待ち合わせ場所になっているらしい。
鎖が巻かれて擦れた脚の傷を撫でながら好きな人の名前を唱えると両想いになれるという噂があるそうで、なんだそりゃと思いつつ、生徒達がキャピキャピ騒ぎながらあーるつーを囲んでいるのはとっても可愛らしくて和める光景なので否定せずに黙認している。
やがて雪が少なくなるのを待って、私は万全の準備をすべくラーナを連れてエリィよりも一足早く王都に戻った。せっかく領主館に戻ってきたのにと、それに一足にしては早すぎるとエリィは出発のその時まで文句を言っていたけれど、シルセウスの為に失敗は許されないのだもの、エリィの文句なんて聞き流した。式までは一月を残すばかり、寝る間を惜しんでと言いたいのは山々だが、肝心の私がお肌ボロボロでは台無しなのでそこはかなり神経を使った。今度こそは成功させねばという侯爵家の並々ならぬ意気込みもあり、準備は着々と進んでいる。
そんな中、お義父様に呼び出され書斎に行った私はアシュレイド家に養子を迎えるという話を聞かされた。ドレッセンの先にあるニアト国出身の青年で、陛下から引き合わされたのだと言う。
「お前に婿をと思ったがそうはいかなかったからね。彼には領地の経営を手伝わせ、ゆくゆくはセシルやファルシスを支えて貰うつもりだ」
「どうして陛下は急に外国の方を?」
首を傾げる私にお義父様は肩を竦めながら言った。
「結局1番お前を甘やかすのは陛下なんだ。お前の喜ぶ顔が見たくてここ迄やるとは……わたしも呆れて物が言えなかった。ケネスはとばっちりで帳尻合わせに大分苦労させられたらしい。まぁお陰でアシュレイド家は優秀な人材を手に入れられ大満足ではあるがな」
ドアをノックする音にお義父様が応えドアが開けられた。
「ピピル、彼がアルベルト・アシュレイド。お前の新しい義兄だよ」
「アルベルトです。どうぞよろしく」
懐かしい声に振り向いた私は、新たな義兄の姿に笑みを浮かべた。
「はじめまして、アルお義兄様。ピピル・サティフォールでございます」
カーテシーをする私をお義兄様になったアルが、ポメラニアンの瞳で見つめていた。
**********
「それで、お前は三日前には王都に来て明日は挙式だと言うのにまだピピルに会えていないのか?」
「忙しいの一点張りでね。確かに朝から晩まで動き回っているらしいです」
サティフォール伯爵家の新しいタウンハウスは伯爵位と共に賜ったものだ。挙式前の新郎を冷やかそうとやって来たファーディナンドとファビアンだったが、ジェフリーの気の毒な状況に慰めの言葉も浮かばず、ただ空いたグラスを酒で満たすことしかできなかった。
「ルゥはシルセウスと結婚したようなもの、わたしなどおまけのような扱いでも仕方ないのです。でもそんなことは一向に構わない。ルゥはわたしのたった一人の運命の人なのですから。あの笑顔さえ向けてくれるならどんな事にも耐えてみせる」
「お前、よくそれを臆面もなく我々の前で口にするな」
呆れたように眺めるファーディナンドをジェフリーはキッと見返した。
「えぇ、ハッキリさせないといけませんからね。あなた方にはルゥへの想いを小指の爪の先程も残してもらっては困る。ルゥはわたしの妻ですから何時までも懸想されては」
「「するか!」」
二人は同時に叫んだ。
「ですが、拙い事にわたしの妖精はどんどん美しさを増してしまうのですよ。去年の春の湖での花嫁姿以上に美しくなどなれまいと思ったのに、軽々とそれ以上の美しさを見せてくる。本当なら二度と王都になど越させたく無い、シルセウスにとじ込めておきたい。明日になって多くの目に晒されると想うと不安でならないのです。いっそ式など放り投げてシルセウスに連れ帰ろうかとすら考えているところでね」
ファーディナンドとファビアンは揃ってジェフリーに生暖かい目を向けながら溜息をついた。
「それでも多少なりともほっとはしました。王妃陛下は第6子をご懐妊。そして殿下はドレッセンのオフィーリア王女とご婚約。これなら貴方達もわたしのルゥに手は出せまい」
「「出すか!」」
再び二人は同時に叫ぶ。
「まぁ良いでしょう。わたしの妖精がいくらお人好しでもわたしのたった一人の運命の人だという事は自覚しているようですからね」
「当然だろう。一日に何度もそれを言い聞かされると、お前の事をどうかしちゃったとピピルが嘆いていたが想像以上に酷いな。あの娘には同情しかない。お前のこんな姿を見せられる日が来るとは夢ゆめ思わなかった」
ファーディナンドはそう言いながら顔を顰めて首を振るファビアンの肩を慰めるように叩いた。
「何とでも言えば良いのです。ルゥはあの時エクラの木の下に見つけたわたしのたった一人の運命の人なのでね。わたしに溺愛されるのはルゥの運命なのですよ」
「心の底からあの娘には同情しかないな」
ファーディナンドとファビアンは顔を見合わせて何度目かの大きな溜息をついたのであった。




