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平凡なピピルと氷雪の王子の四年間  作者: 碧りいな
あたらしい秋とめぐりくる春
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ピピル、混乱する


 「姫様には困ったものですわ。本当にお人よしなんですから。それならばどうして旦那様のお気持ちは跳ね退けておしまいになるのですか?あんなに熱烈に想っていらっしゃるのに、フラれてばかりで気の毒でなりませんよ。そのお胸に空いた穴に旦那様のお気持ちを受け入れておしまいになれば良いでしょうに」

 「そんなに簡単に言うけれど……」


 口を尖らせて俯いた私にラーナは更にたたみかけた。


 「ドレッセンで旦那様と沢山のお話を致しましたが、口になさるのは姫様の事ばかりでした。姫様は旦那様にとってのたった一人なのだそうですよ。あれは他の誰かとお幸せにと言ったところで無理ですわね」

 「たった一人?」

 「ええ、()()()()()()()()()()だとね。どんなに苦しんでどんなに諦めようとしてもどうにもならなかった、そう話して下さいましたわ」


 ……ラーナ相手に何言ってるんだ、ハイドナー氏改めサティフォール伯改めエリィめ。


 「人の幸せばかり考えていないで姫様が幸せになればよろしいのですよ。そうしたら旦那様も幸せなんですから」

 「どうかしら?そういうものって気持ちが通じ合って初めて成立すると思うの。私みたいに受け取るばかりで返せない人間にはたった一人になる資格なんて無いわ。だって返すべきものを持っていないのですもの」


 ラーナは首を傾げてしばらく何かを考えていたが、やがて微笑みながら口を開いた。


 「要するに単なる遠慮ですわね。姫様は旦那様がお好きなのでしょう?」

 「えぇ、好きよ。父の職場に訪ねていらしたエリィと初めて会った時、とても素敵な方だと思ったもの。でもね、私の好きは残念ながら種類が違うの」

 「まったく、口の減らない姫様ですこと。そうやって屁理屈ばかりこねているから見える物も見えなくなるんですよ。ラーナはじれったくてなりませんわ。お胸に手を当てて良く考えてご覧なさい。アルフレッド王子とファビアン殿下、それから旦那様。きっとお一人だけ違う()()が見つかるはずですわ」

 「それは……誤解よ?」


 私は初雪で白く覆われていく丘の向こうに見える城に目を向けた。気付かぬ内にぬるま湯の心地よさに甘えていたのかも知れない。だからラーナにこんな勘違いをさせてしまうのだ。


 「ね、ラーナ」


 私はラーナに一つお願いをした。

 

 **********


 「ここを出る、そう言ったのですか!」


 両肩を掴んで揺すられ身体を竦ませるとエリィは我に返ったように慌てて力を抜き『すみません』と謝った。


 「もうすぐ雪が積もりますから、そうなれば通うのが大変なので学院の寄宿舎に入りたいという希望が生徒達から出ているんです。城ならば隣の敷地ですし塔は問題なく使えます。ただ私も今は忙しくて色々手が回らないので、ラーナに専属メイドとしてついてきて貰うお許しを頂きたいのです。ラーナの主はエリィですから。義父もラーナと一緒なら問題ないと申しておりますし」


 ここから学院迄は馬車で三十分ほどかかる。本格的に雪が降り出せば通うこともままならないかも知れない。冬は工房を閉める事も考えたのだが、生徒達の殆どが寄宿舎を利用して仕事と勉強を続けたいと希望してくれた。それに合わせ私はラーナと城の塔に移りたいとエリィに相談したのだけれど……。


 「あの城にラーナと二人きりでなんて、何かあったらどうするんです。絶対に駄目だ」

 「それなら生徒達と一緒に寄宿舎を使います。私もラーナも勝手が判る塔が良いなと思っただけですから」

 「判りました。それならば私も城に移ります」

 「エリィ……」


 私を見下ろすエリィの瞳は不安そうに揺らいでいた。決して王都に帰ると言っている訳ではないのだ。領主館を出て丘の向こうに見えている城に移ると言っただけ。それなのにこの取り乱し方となると、やはりしっかりと話をしなければならない。


 「私達は仕事上のパートナーなんです。それ以外の関係を望むべきじゃありません。貴方が不幸になるだけです。覚えていらっしゃるかしら?私は今生では誰も愛せないだろうと言ったのを」

 「何故貴女はそれに拘るのですか?わたしは見返りなんかいらない。貴女が、ルゥが私を受け入れてくれさえすればもう望むものは何もない」


 私は後退ってエリィと距離を置き俯いた。


 「貴方はご自分のお立場をしっかりと考えるべきです。陛下から賜った爵位はどうなさるおつもりですか?そしてシルセウスは?貴方には貴族として課された義務が有るでしょう。冷静にお考え下さい」


 そう言ってくるりと背を向け部屋を出よう…………としていたはずだったのだ。

 確かにそのはずだ。


 私は渋い顔で考え込んだ。腕を掴まれたのは感じたが、それから何がどうなったらこうなるのか?


 というのも今現在私はソファに押し倒されのしかかられ左手を握られ、顔の横に腕を着かれており身動きができない状態だ。いや、動こうと思えばできないことも無いかもしれないが、心理的に封じられた。だってエリィが射貫くような瞳で見下ろしているんだもの。


 何これ?壁ドンの発展型?ソファドン?そんなのあるかな???


 混乱する私を見下ろしながら、エリィは動揺することもなく徐に語り出した。


 「ルゥは本当はシルセウスを離れたくないのではないか?パートリッジからそんな話を聞いてね。確かにルゥがした事は殿下の為でありアルバート達の為でもあった。でも同じくらいシルセウスを想っての事でもあったんだろう?」

 「……領民の手を汚すのには耐えられなかったのは事実よ。それからシルセウスを離れるのがとっても辛かったのも、王都に帰ってからまるで根無し草になってしまったかのようだったのも……。私、シルセウスで過ごして初めて本当の自分になれた気がしたの。何故かは今でもわからない。だけどシルセウスは私にとって特別な場所だった。でも、どんなに戻りたいと思ってもそんなこと絶対に口にできなくて……だって沢山の人に迷惑と心配をかけたんだもの……」


 エリィはフッと表情を和らげた。


 「あんなに感情を押し殺すのが上手なルゥがこればかりは隠せなかったようだね。ケネス様に君の様子を尋ねたら思うように体調が回復しないと、そして原因はそこではないかと聞かされた。だから陛下に今すぐにでもドレッセン大使を辞任したい、そしてシルセウスが欲しいと言ったんだ。ルゥをシルセウスに戻しずっと傍にいられるように」


 この人はなんてことを考えたのだ!私は頭を抱えたくなった。


 「それでも手にした以上責任はあるでしょう?経緯はどうあれ貴方は沢山の領民の生活を託された領主なの」


 呆れてそう言う私をエリィは更に表情を和らげて見下ろし、静かに、そしてとても穏やかにゆっくりと言った。


 「わたしは、いずれ養子を迎えるつもりだ」

 「はあぃいぃ??」


 エリィがいきなり口走った言葉に理解が追いつかず私は目を瞬いた。養子って言った?どうして突然そんなワードが飛び出して来るのかな?


 「これを言うと……ルゥの弱みに付け入るようで口にできなかった……わたしは子どもが望めない。留学中に罹患したシルセウス風邪の後遺症でね」


 シルセウス風邪は子どもの頃にかれば数日間の発疹と発熱で軽く済む。成長してから罹患することは稀だが、運悪く感染し抉らせると何日も高熱が下がらず命を落としかねないし、回復しても男性ならば不妊になってしまう。


 突然の告白をどう捉えたら良いのか解らず視線を彷徨わせる私にエリィは目を細めて笑い掛けた。


 「どうかな?わたしが幸せになれないというルゥの不安は相当減ったはずだよ?」

 「そ、それは……そうなのかも知れないけれど……」


 確かに、確かに仰る通りだ。心が通じ合えば結婚したいと思うのも、愛する人との子どもが欲しいと思うのも、その人の腕に子どもを抱かせてあげたいと願うのもごく自然な感情で、そんな感情を持てない私は代わりに大きな大きな罪悪感を抱えていた。そしてこれこそが私が枯れ果てている理由なのだと信じていたのに、貴方はその根底をあっさりひっくり返して私を余計に混乱させるの?


 忙しく思いを巡らせる私にエリィは口を歪めて笑いかけた。それは確かに見覚えのある意地悪な笑い方で……。

 何か言う。コイツ、これから絶対に何か凄く底意地の悪いことをしてやろうと思っているぞ!と身構えるやいなや、やはりエリィはそれはもう耳を疑う最低最悪な言葉を投げかけてきた。

 

 「君は母親になりたいとは思っていない。だから結婚どころか恋することすら避けている。そんな君は子どもを望めないわたしにうってつけの結婚相手じゃないか!最大の後ろめたさがなくなるんだからね。そして君以外に子どもの出来ないわたしと結婚したがる女性なんて見つかるとは思えないよ?君がわたしと結婚してくれさえすれば、わたしは寂しい独り者として過ごさずに済む」

 「…………」


 エリィからこんな事を言われるなんて。

 

 何だかもう、がっかりし過ぎて体中の力が抜けた。怒りも悲しみも沸いてこないし涙も出ない。見損なったとすら思えない。ただ、誰にも打ち明けられなかった事をエリィにだけは包み隠さず全て話したという事実がどれ程重いものだったかを私は今初めて自覚した。そして知らず知らずのうちにどれだけエリィを信頼していたのかを思い知らされ、それを裏切られた事に深く深く傷付いたのだ。


 返す言葉も無く呆然としている私をエリィは黙って見下ろしていたが、やがて浮かべていた表情を意地悪ながらも悪戯っぽいニヤリとした笑いに変えながら口を開いた。


 「……という内容をもっと柔らかい表現に換えて縋るように訴えて、だからわたしと結婚して欲しい、そう言えばルゥは自分が受け入れてしまえば良いと考えるだろう?」

 「?……まぁ、言い方にもよるけれど……うんとぉ……さぁ?どうなのかしら??」


 いや、どうなのかしら?と言いつつも不本意ながらほだされない絶対的な自信がない自分が心底恨めしい。実際たった今私は自分が思っているより何倍もエリィを信頼していたことを、私にとってエリィの存在がとてもとても大きいものであった事を思い知らされたのだから。

 そんなエリィに縋り付かれたら……?!確かに私は何処までも孤独な運命を背負ったこの人を受け入れてしまうのかも知れない。


 「白状するがそれでも構わないと何度も思った。そうしてでもルゥが手に入れられるのならと。でも……言えなかった。ルゥの優しさを利用して縛り付けたくはなかったんだ。ルゥには憐れみでも割り切りでも無くわたしと歩むことを選んで欲しかったから」


 エリィは今度こそ慈しむような柔らかい優しい微笑みをうかべながら握った右手に更に力を込めた。その手は温かい。私を海の底から引き揚げた優しい手。そして包まれた私の手はぎゅっとエリィの頬に押し当てられる。


 「ルゥはわたしの()()()()()()()()()()だ。だからルゥはわたしの生きる理由なんだ」

 「何を言って……」


 エリィが握ったその手にもう少しだけ力が込められた。



 


 

 

 

 

解き放たれたエリィさん、節度ある弾け方を心掛けて頂きたいのですが……

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