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平凡なピピルと氷雪の王子の四年間  作者: 碧りいな
さんどめの春
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シルセウスでの療養


 数日で帰れるかと思ったのに現実は厳しかった。わざわざ王都から派遣された医師……殿下の猫の噛み傷を診察したあの先生は、一目私を見るなり『当分お戻りにはなれませんよ』と宣言した。確かに安心したからって急に食欲が元通りになるわけでもなく緩やかな回復具合だったので、一月以上もの間塔で過ごす事になってしまった。


 領主代行として来たのはパートリッジという30代前半の男性で、混乱しているシルセウスの事で手一杯なのに私の体調についても逐一陛下に報告せねばならずお手間を取らせて申し訳無い。と言う事で、お詫びに事務作業を手伝ううちに、気分転換も兼ねてシルセウス領の視察にも同行させて貰えるようになった。


 何処からどんな話が伝わったのやら謎なのだが、領民達は私を見ると「姫様」とにこやかに頭を下げる。一体誰よ、変な事を吹き込んだ輩は!

 市井に目を向け手を差し伸べたルナリー王女は領民から慕われていた。だから同じ年頃でついでに同じ髪と瞳の色をした私に王女の面影を追っているらしい。それに加えて領主として評判の悪かったガリウスの不正を暴き領民が犯罪の片棒を担がされるのを防いだ……って御手柄で人気急上昇なのだ。

 そして職人気質の彼等はなかなか頑固で姫様呼びを変えようとしない。パートリッジ氏は私を連れ歩くと領民の受けが良く歓迎されるのに気が付き、利用しない手はないと考えたらしく体力作りだなんだと理由をつけては私を引っ張り出すようになった。そして領内を見て回り、沢山の人に迎えられ話を聞いて色々なものが見えてきた。


 シルセウスは宝石や金の採掘だけではなく加工も盛んだったので元職人が沢山居る。私がアルから貰った精緻なカット加工がされた硝子の小瓶もそんな元宝石職人が細々と作っているものだったそうだ。そして冬の長いシルセウスでは女性達は多くの時間を刺繍をして過ごすという。この地の民は非常に手先が器用なのだ。

 その反面、穀物や野菜等の作物が育ち難いシルセウスでは農業は盛んではなかった。そのせいで技術が遅れるという悪循環になっている。しかし民家の庭には大抵青い薔薇が咲いていた。昔むかしお姫様に恋をした騎士がプロポーズの時に花束にして贈ったというこの薔薇は、シルセウスにしか無い品種で気候に合っているのか良く育つという。華やかさの中に爽やかな酸味も含まれていて素晴らしくいい香りがする。穀物や野菜に拘らず薔薇を農作物として栽培し、加工したらどうなのだろう?水質の良い豊富な湧水もあるのだ。ローズオイルだけではなく化粧品にもできないだろうか?

 美しい自然も人々の自慢だ。聳える山々、深い森、輝く湖。なだらかな丘に鮮やかな花が咲き乱れるシルセウスの短いけれど美しい夏。

 殿下が留学されていた学院は城に隣接しており放置され荒れてはいるが造りはしっかりしている。城もそうだが寒さに備えてか壁が分厚いので内部は驚くほど痛みが少なく手直しすれば直ぐに使えそうだ。これを利用できないのかしら?

 

 この11年間、この地は何と不毛な時を過ごして来たのだろう。


 事件の後、緊急措置として領民達には追加の食糧援助が行われた。けれどいつかシルセウスは自分の足で立ち上がらなければならない。この地は鉱物資源に頼らなくとも沢山の可能性を持っている。その可能性に目を向ける新しい視点が欠けていたのだ。活かし方一つで今後のシルセウスは大きく成長し豊かな領になるはずだ。陛下はガリウスに領を任せ、なお且つ監視が至らなかった事に責任を感じておられるそうだ。シルセウスは王家の直轄にし有能な人材に任せるべく選定をされているという。


 毎日のように馬に乗り城を出た効果があったのか、漸く医師からの王都に戻るお許しが出た。丁度そんな折、今後の対応を話し合う為に王都でドレッセンとの会議が行われる事になり、その一行がシルセウスを通過するのでついでに私を連れて向かうという申し出があったと連絡が入った。

 文字通り身一つで来たのだし大した荷物がある訳ではないけれど、それでも大慌ての荷造りは大変だった。それもどうにか終えて領民達に別れの挨拶をしてまわると、パートリッジ氏にくっついてふらふら見て回っていただけの私がこの地を去る事を皆とても残念がってくれ、中には涙を流す者までいた。


 そして何故か私もこの地を去ることが淋しくてならなかった。水が合うとはこういうことを言うのか?私は何時しかすっかりシルセウスに心を囚われてしまったみたいだ。

 記憶が蘇った15歳の春から、私はこの世界に適応する為にずっと自分を俯瞰している気がしていた。それは自分でありながら自分ではないような、何処かキチンとはまるべきところにはまっていない落ち着かない感覚だった。それが、あんなに強く感じていた違和感は何処に行ってしまったのか?シルセウスで過ごすうちに、いつの間にか私の心は私の身体にしっかりと根付いていたのだ。

 

 復興への入口に立ったばかりのシルセウスの事が心残りで一人王都に戻るのが躊躇われる。私にできることなんて何もありはしないのだ、そう自分に言い聞かせてもこの淋しさはどうにもならなくて、実はまた食欲が落ちている。シルセウスとの別れがこんなにも辛く苦しいなんて、監禁されていながら何を言うのかと呆れられるに決まっているから秘密にしているけれど。


 そして出立の日、パートリッジ氏に言われ街の中央広場に立ち寄った私は目を瞠った。広場を埋め尽くす程の大勢の領民達が私を見送るために集まってくれていたのだ。それはあのピピリアルーナ姫が処刑された広場で、その後柱が立てられた場所に植えられたというエクラの木が枝を広げている。

 その下で領民達に請われて私は歌を歌った。何故か私がガリウスをからかったのがすっかり笑い話になっているらしく(だからホントに誰よ、吹き込んだヤツは?)「お父さんお願いよ」と歌うと大きな拍手が興った。次に私が頼み領民達と共に『春の歌』を歌う。咄嗟に思い付いて人々を3チームに分け輪唱にしてみたら思わぬハーモニーになり、皆興奮して顔を輝かせている。歌は止むことなく続き私は歌声に送られながら馬車に乗り広場を後にした。


 「驚きました。ピピル嬢、貴女は何故こんなにもシルセウスの民に慕われているのでしょう?」


 同じ馬車に乗っていたスレニフという男性に首を捻って尋ねられたのだが、こちらも首を捻るしかない。


 「特に何ができた訳では……。11年前に亡くなられた王女殿下がわたくしと同じ年頃でしたので、どうやらそれに重ね合わせて親近感を持たれたのではないかと。素晴らしい殿下でいらしたそうですから」

 「……」


 スレニフ氏は考え込むように琥珀色の目を細めながら緩く波打つ金色の前髪をかきあげた。この端正な顔立ちをした王太子の側近だというスレニフ氏が同じ馬車に乗っているのがやけに不自然な気がして、実は私はかなり警戒していた。王太子の側近なのだ、王太子と別行動なんかしてどうするのだ?同じ馬車で膝を突き合わせて侃々諤々の打ち合わせとかしなくて良いのかな?しかも家名も名乗らずいきなりスレニフと呼べとは?!もしかして、私からセティルストリアの何かを探ろうとしているのか?と勘繰ったのだ。


 王都までの道のりがとてつもなく長く感じられ気が重かったけれど、結局彼は殆ど書類とにらめっこで私は刺繍をしていたので大した会話は無かった。強いて言えば私が平民の生まれなのが興味を引いたようで、どのような暮らしをしていたのか、どんな教育を受けたのか等はぽつりぽつりと聞かれたけれど。


 でも私は街育ちで比較的文化的な生活をしていたのであまりカルチャーショックとはならなかったようだ。彼はもっとパンチのある市井の話……ぐっとワイルドな暮らしを期待していたのかも知れない。私は主婦だった記憶があるから料理もできるしお菓子も作れる。魚も鰹位のサイズならどうにか捌けますよ。 

 でも兎や鶏、ましてや山羊とか鹿とかその他諸々を捌いてみろと言われてもそりゃあ無理な訳で。しかしスレニフ氏の脳内では町娘とはその手のスキルも身に付けている事になっていたらしい。逆に読み書きが出来るだけで驚かれてしまったし。この方、よっぽどの上位貴族のお坊ちゃまなんだろう。お坊ちゃまにしては、ややおにいさま世代であるのは否定できないけれど。


 殿下との出会いも狩猟に入った殿下が森で雨に降られ村娘に助けられて……みたいなのを想像されていたらしく、メロメロな発想に苦笑してしまった。そして女学校の講堂の落成式で、という説明に目に見えてがっかりしたので思わず吹き出した。そんな感じでいつしか警戒も解け、とはいえ打ち解けた訳ではないままスレニフ氏との旅はやがて終わろうとしていた。




 王都までもう少し、という頃だった。相変わらず書類を睨んでいたスレニフ氏が不意に顔を上げてこちらをじっと伺っているのに気がつき、私は首を傾げて見つめ返した。


 「ピピル嬢は……」


 スレニフ氏は言いかけたものの何と言葉を繋ぐべきか悩んだようで口をパクパクとさせていたが、ついに思い切ったように言った。


 「今後……何が待ち受けているかご存知でしょうか?」

 「今後?……それはどのような分野においての事でしょう?」


 『い、いや……』と口ごもったスレニフ氏は手元の書類に目を落として私の視線を避けた。


 「その……殿下との婚姻ですが……」

 「もしかしたら、わたくしを気遣っていらっしゃるのですか?」


 スレニフ氏はやはり書類から目を上げずに小さく頷いた。誘拐された婚約中の令嬢は無事に戻っても色々な可能性から婚約破棄となる事はままある。血統が意味を持つ王族なら尚更だ。その辺り、市井育ちの私がちゃんと理解しているか、ショックを受ける事はないのかと心配してくれているらしい。


 「誘拐されてしまいましたので、戻りましたら直ぐに侯爵家から正式に解消を申入れるはずです。そこはしっかりと義両親が手筈を整えてくれているかと。陛下と殿下にはわたくしからも辞退させて頂く旨を直々にお伝えしておりますわ。今後の身の振り方はまだ考えてはおりませんが……義兄は王宮での務めがありますので、甥に引き継ぐまで領地で経営の手伝いでもさせて貰うのが良いのかも知れません」

 

 商会との仕事は婚約と共に辞めてしまっているし、不本意ながら騒ぎの中心になったのだから数年間は王都を離れた方が良いだろう。かといって養子縁組の解消は有り得ないから平民に戻る事もできない。それならアシュレイド領に行って何か手伝いでもさせてもらうのが良さそうだ。ケネスお義兄様は王宮の仕事で手一杯だから、実はお義父様は殿下が側室候補を降りろと言ってきたらすぐさま私に婿養子を取り、領地を任せようと企んで既に相手も見繕っていたのだ。結婚なんて御免だけれど、まぁ、セシル坊やか()()()に生まれた次男ちゃんが成長して引き継ぐまで未婚のまま私が頑張れば良い。

 

 スレニフ氏は手からぽろりと書類を落し、それにも気付かず唖然としている。


 「スレニフ様?」

 「あ、いや、これは失礼」


 スレニフ氏は私が拾った書類を受け取り改めてマジマジと私の顔を眺めた。


 「ま、まぁ、ピピル嬢が承知の上なら結構です。ただあまりにも貴女が平然とされておいでなので、何もご存知無いのでは無いかと……でしたら多少なりとも慰める事くらいは、等と思いまして……いえ、全く不要だったようですね」

 「お気持ちだけありがたく頂きますわ」


 私はニコリと笑いかけてから窓の外を見た。そこは小高い丘の上で森の向こうに懐かしい王都が広がっているのが見えた。


 

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