美しい羽を君に
「君と共に過ごせばいつか僕は傷付き苦しむようになる、君はそう言ったね。僕を幸せにはできない、僕には幸せになって欲しかったのにと。それでも君には僕との婚姻を回避する術は無かった。だからこそ君はこれを最大のチャンスだと考えたんだ。それが文字通りの命懸けだとわかっていながらね。そうだろう?」
私は覗き込む殿下の瞳に耐えかねて目を反らし必死に返す言葉を探したが、結局心の内をそのまま伝えるしかなさそうだった。
「誰の為でも捨て身になる訳ではありませんわ。殿下だからです。殿下に幸せになって頂けるならどうなっても構わない……とは思いました。だからこうなったのは丁度良かったのかも知れない、なるべくしてなったんじゃないかなって…………。たとえ殿下がお望みになった愛では無くとも、わたくしなりに殿下を愛しておりますもの」
「でもね、ピピル。その為に君に二度と会えなかったとしたら、僕は嘆き悲しむぞ。それは考えてはくれなかったのか?」
殿下の声は微かな震えを帯び、頬に添えられた指は更に冷たさを増していた。それはどんな言葉よりも殿下が私との永遠の別離を恐れていた事を表していたけれど、私はそれに戸惑ったりしなかった。
今の貴方は失ってしまった沢山の物を取り戻したのだ。もう暗闇で蹲っていたあの頃の貴方ではない。私は一欠片の躊躇もなく断言できる。だって貴方が光の中へと歩き出したのを、ずっと隣で見守って来たのだから。
「殿下をお強くしたのはわたくしだと自負しておりますのよ。殿下は変わられました。どんな悲しみも乗り越える強さを取り戻していらっしゃる。そうなのでしょう?殿下は哀しんで下さるわ。でも哀しんで打ちひしがれる事をわたくしが望まないって解っていらっしゃるはずです。人を信じ触れ合い受け入れる、それをわたくしはお教えしました。それは殿下の力になり心の強さになっているのですよ。だから殿下は立ち直られるのです、絶対にね。だってわたくしが殿下に注いだ愛情は、もう溢れ出ているんですもの」
自信満々に答え得意気にふふんと笑う私を見て、殿下は寂しげな笑顔を浮かべつつ伸ばしていた右手を力無く降ろした。そして陛下は気が抜けたように壁に寄りかかり両腕を組んで大きく首を横に振った。
「君は困った娘だね。それを聞いたらやはり王家に欲しくなる……」
陛下も困った方です。本当に聞き分けが無いのですから。だから私、リーサル・ウェポンを用意しなければならなかったのですよね……。
「もう一つ、お話しなければならない事がございますの」
陛下に向ってそう言いながら腕に力を込めて首を絞め直したので、何かを察したらしいアルが慌てた。いやいやアルくん、そもそも始めからこの為に君をヘッドロックしていたのに、今頃気がつくなんて遅いのよ。そうじゃなきゃ、この状況カオス過ぎるじゃないの。
さぁ、私の可愛いポメラニアンへのお仕置きを始めるとしよう。
「わたくし、監禁されている間に不本意ながらさる男性と同衾致しました」
腕には更に力を込めつつ一方で顔には悲しげな表情を作り私は陛下に照準を合わせ大砲を撃ち込んだ。
「…………どういう事だ!」
一瞬の沈黙の後、陛下がアワアワと取り乱した。ちなみに殿下は完全に『無』になっている。
「しかも2度!」
「……ち、違っ……違います!あ、いや……違いませんけれど……でも違います。何もありません!絶対に絶対に何にも!」
「……嘘ばっかり……」
私は顔を背けてぽそっと吐き出すように言った。
「何を言い出すんですか!貴女カイル達にも自分は純潔だとか大声で言い切ったじゃないですか!」
「でもよくよく考えたら眠っていたじゃない?私。その間に何かあってもわからなかったなぁって」
「いや、だってラーナが居たじゃないですか!」
「そうだった?」
「惚けないで下さい!」
私は首筋をもそもそしながらチラリとアルに目線を送った。
「あれ以来痒いのよ、この辺が」
「あーっ、だからそれはごめんなさいって!」
「それにですねっ」
私は陛下と殿下を代わる代わるじっと見つめ、彼等が前のめりになったところでアルに顔を寄せて『ある事』を耳打ちした。
「……そんな事を言われても……本当になんにも無かったんですってば」
「でもね、来ないのよ。ラーナに聞いてみる?」
「聞かなくて良いですって!でも絶対に違う。食べられなくなってそんなに痩せたらそういう事って良くあるんじゃ……あっ、そうだ!」
アルは一筋の希望の光を見つけたかのように顔を輝かせた。
「ラーナは元々懐妊していたんじゃないかって心配していましたよ!来るはずの物が来ないし吐いてばっかりで、悪阻が始まったんじゃないかって」
その時だ。
それまで完全に『無』になっていた殿下がピクリと動きアルに顔を向け、氷点下の機嫌の悪さを込めた声を投げかけた。
「……違う、違うぞ」
ゆらりと立ち上がった殿下は片眉だけを吊り上げて冷たい瞳でアルを見下ろした。まぁ、激怒しても致し方ないのよ。殿下も私も潔白なんだもの。
「……離宮にいる間ピピルはあの私室を使っていたし、婚約した途端に侯爵が屋敷に掻っ攫って行って二ヶ月間ほとんど顔すらも見られなかったんだ。僕がどんなに、どんなにどんなにもどかしい想いをしていたか…………それなのにアルバート、どうしてお前が同衾なんかしているのかな?」
淡々と語る殿下の声は穏やかだった。が、殿下の全身からは殺気が立ち上り、その場に居た全員が凍り付いたように身をすくませている。勿論質問を受けた本人も。
流石は元氷雪の王子、吹き荒れるブリザードのクオリティが桁違いですわ。
私がするりと腕を解き背中をポンと押すといとも簡単にアルは前のめりになって床に両手を着いた。まるで殿下に向かって土下座しているかのようだ。私はアルから陛下へと視線を移し『どうします?』と尋ねるかのようにコトリと首を傾けた。
「そっ、それでもだな、セドリックの事はどうする?君は孤独なあの子の心の支えになってくれる約束だぞ?」
私はこれ以上できないくらいの不機嫌な表情を浮かべた。あれは本当に……人生の汚点だ。真っ黒けの黒歴史だ。取り乱していたせいで思考能力を失ってしまったのだもの。あの時どうして冷静に考えられなかったのか、今更ながら悔しくて堪らない。
「別にそれ、叔母じゃなくても良いでしょうに」
忌ま忌ましそうに言う私に、陛下は焦りつつも悪あがきを続けるつもりらしい。
「いや、セドリックもただの知り合いにはなかなか悩みを打ち明ける気にはならんだろう?そこはやはり、身内であるからこそ……」
「ではわたくしに役職を下さいませ。『相談役』でどうでしょう?これで気兼ねなくなんでも相談できましてよ」
ついに陛下は美しい顔をぐにゃりと歪め大きな溜息を一つつき、そしてとうとう観念したように、そして悲しげに私に笑いかけて言った。
「妖精姫、わたしの負けだ。美しい羽を君に返すよ。良いだろう、どこへでも自由に羽ばたいて行きなさい」
私は立ち上がりさりげなくスカートを手繰って寄せ集め、それから膝を着き陛下に最上級の礼をとった。
きっとシルセウスの最上級の礼はこの作法ではないと思う。だったらドレスがこんな形をしているはずがないのだ。
**********
陛下と殿下は直ぐに王都に戻って行った。しかし当然一緒に連れ帰る筈の私は結局それからも塔で過ごさざるを得なかった。今の体力で王都まで馬車で移動するのは危険すぎるので、ここで療養するようにと医師に止められたのだ。
拉致された一侯爵令嬢の救出に国王と王弟自らが揃って赴くなんて本来はあり得ない異例中の異例。私を連れ帰ってこそその異例が意味を成す……つまりは妙に評価を吊り上げられ市井の星と民衆に支持された私が(妙に吊り上げたのはほぼでっちあげの私と殿下の馴れ初めの噂話をばら撒いて拡めた陛下の策略だけれど)結婚式の最中に拉致されるという大失態を挽回する好機だったのだが、期待外れになり台無しも良いところだ。
勿論二人はそういう大人の事情とは関係なく私を助け出したい一心で来てくれたのだ。それは充分過ぎるくらいにわかってはいるが、けれども重要な目的を果たせない自分の不甲斐なさには涙が出た。
出立前に顔を見に来た殿下はボロボロ泣いている私を面白そうに眺めていた。
「君でもそんな風に泣くことがあるんだな」
「自分があまりにも役立たずでがっかりしたんですもの」
殿下は眉間を寄せて不機嫌そうに顔をしかめると、私の頬を摘んでキュッと捻った。
「だったらこの摘み甲斐が無くなった頬をふっくらさせる事だな。それに……」
手を離すと頭にポスッとその手を乗せ、そのままぐしゃぐしゃと乱暴に撫で睨む私を満足そうに見下ろしながら言った。
「君は良くやった。今はまだ詳しい話はしてやれないが……君がジェフリーに届けさせた本の情報から一気に事態が動いたんだ」




