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平凡なピピルと氷雪の王子の四年間  作者: 碧りいな
さんどめの春
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計画


 ラーナの腕前は素晴らしく短い時間なのに完璧なヘアメイクが整った。『あばずれ』払拭には最適なそれは清楚で可憐な仕上がりだ。ただしおバカちんアルの付けた『お印』は粉を叩いても隠せなくて、襟元にフリルの付いたレースのケープを羽織って隠す事にする。


 衣装部屋を出ると着替えを済ませたアルがソファに座っていた。ケープを見て理由を悟ったのか気不味そうに視線をさ迷わせているが、私は構わずに隣に座り耳を引っ張って顔を寄せた。


 「アルくん、貴方に合わせて動くから。こうなった以上疑われないようにきっちり話を(まと)めなさいよね」


 不可解な顔で機嫌の悪い私を見たラーナはそのままアルに視線を移すが、アルの目は泳ぎっぱなしでやれやれとでも言うように首を振った。


 待ちかねていたようにドアがガサツにノックされる。ラーナが開けるとドカドカと入って来た男達に続いてガリウス伯が姿を見せた。男達はガリウス伯の私兵だろうか?続いてカイル達も入って来て塔は物々しい雰囲気になった。


 アルに促されてラーナは何度も私を振り返りながら出て行った。後ろ髪を引かれるようにとはこういう事を言うんだろう。でも間違いなくラーナが聞くに耐えない話になる。ここから先のやり取りは絶対にラーナの耳に入れる訳にはいかないのだ。


 私の向かい側に座ったガリウス伯は不躾にジロジロとセクハラ感満載の目付きで眺めた。特にドレスの構造的に剥き出しになっている膝から下。セティルストリアでは若い女性のスカート丈は短めだけれどそれでも足首が出るくらい。気になるのはわかるがあからさまにも程がある。顔だけじゃなく身体も横に向けて避けたのだが、それでもまとわりつくようなねっとりした視線が気持ち悪くて堪らない。ラーナ曰く好色で何人も女性を囲っているというガリウス伯は、私に会う気が無かったのではなく、きっとアルが会わせるのを拒否していたのだろう。


 「何度もお目通りを願っておりましたが漸く念願叶いました。噂に違わぬ美しさ、ファビアン殿下のご寵愛も頷けます」

 「閣下も人が悪い。漸く素直に靡くようになったのです。余計な事を思い出させずとも良いでしょうに」


 ガリウス伯はニヤけながら『仰る通りでした』と頭を下げたが、片手で顎を撫でながら値踏みでもするように私を見廻すのを止めようとしない。気持ち悪いったらないヤツだ。


 「それならば王子は手懐ける為に姫を手篭めにしたという訳かな?」

 

 ふっと笑いを漏らしたアルが私の肩を引き寄せる。押し返そうとしたけれど抵抗できず胸に抱きこまれてしまうと、わざとらしく『可哀想に』と呟きながら額に唇を押し付けた。


 「結婚式の最中に攫われた花嫁なのです。錯乱して逃げようと暴れたのも無理はない。わたしは大人しくさせるのに最も効果的な事をしたまで。心はどうあれ身体など簡単に素直になるものです。ファビアン殿下を歌声で籠絡したのも納得だ。実に良い声で啼いてくれる」


 アルはいきなり私の顎を掴んで顔を覗き込むとガリウス伯に向き直った。


 「元より姫は殿下からわたしが取り戻したはずでは?ならばわたしの物にする事に何ら問題などない」


 アルはそう言うと私の顎を掴んだままで今度は頬に口づけをした。手を振り払い俯いてスカートを握り締めた私の手をポタリと悔し涙が濡らす。薄笑いを浮かべてこちらを見下ろしているアルを見上げ、私は顔を背け唇を噛んで嗚咽を堪えた。


 「確かに。姫は王子がセティルストリアに潜伏し探し当てたピピリアルーナ姫の生まれ変わり。しかし姫に懸想したファビアン殿下に奪われ強引に妃にされそうになったのですから、取り戻した王子が自分の色に染め直そうとする気持ちはわかります。ただし『この』姫の気持ちはどうやら未だにファビアン殿下に捕われているようだ」


 『だからこそ面白い』と言いながらアルは涙に濡れた私の手を握り、振り払おうとするのも構わずに口づけた。


 「こんなにも拒絶しているのにいざ可愛がれば我を忘れてしがみついてくるのです。実に愛おしいではないですか。むしろ永遠に心など寄せてくれぬ方が愉しませてくれます。そんなもの、通い合わせる必要など無い」


 私はありったけの力を込めて手を引き抜き怒りと悔しさで震えが止まらなくなった両手を握り絞めたが、それでも震えは押さえられなかった。


 「それなら結構。飼い犬に手を噛まれ姫を逃される心配は無かったようだ。王子が姫に心までを奪われてしまわぬかと案じておりましたが、要らぬ取り越し苦労でした。これなら計画は恙無く進められよう」


 計画?思わず顔を上げるとガリウス伯と視線がぶつかった。


 「おや?姫はご存知無かったのですか?姫の存在はグラントリー殿下がファビアン殿下を潰すのにも、セティルストリアから再び独立する事をシルセウスの民に納得させるのにも役に立つ。そしてわたしはシルセウスの独立でシェバエアとの取り引きが始められる。せっかくこの地の土の中にある小石を見つけたのだ。巨万の富に変えぬ手はないでしょう。その為にはセティルストリアの爵位を手放すなど些細な事だ」


 初めて耳にする話に混乱している私に向ってガリウス伯は得意気に続けた。


 「シルセウスの民がもっと不満を抱いてくれれば良かったのものを、陛下の監視が厳しく上手くいかないのですよ。苦労してシルセウス領を手に入れたというのに陛下はことある毎に民の生活を守れと仰る。セティルストリアに併合されたのを良しとする者のなんと多い事か。そうなると民の怒りを煽り独立もやむなしと思わせる決めてが必要だ。非業の死を遂げた王女と共に王子は大変に民から慕われていたのです。独立に奮闘する王子との悲恋はさぞかしその心を揺するでしょう」

 「王子との悲恋……?何を言うの!わたくしはファビアン殿下の婚約者。永遠の愛を誓い合おうとしたその時に攫われたのです。それだけではない、強引に身体まで暴いた憎悪しかない王子に恋などするものですか!」


 ガリウス伯は片眉を釣り上げ目を細めながら薄笑いを浮かべていた。その目が私からアルへと移るとアルはくくっと喉を鳴らして笑い指を滑らせるように私の頬を撫でる。私は首を振ってその指から逃れたがアルに肩を抱き寄せられ再び腕の中に閉じ込められてしまった。


 「姫の想いなどどうでも良い。真実もまた同じ。情報は操作する物なのですよ」


 逃れられないアルの腕の中で泣き崩れた私の耳にアルのせせら笑う声が届いた。身を捩って抜け出そうにもアルは力を緩めようとはしない。


 「王子、姫がお可哀そうだ。そんなに苛めてはいけません。少しは自重なさいませ」


 わざとらしくアルを窘めたガリウス伯の言葉にアルは我慢できないとばかりに高笑いをした。


 「そうお思いならお引き取りを。涙にくれる姫を慰めねばなりません」

 「その役目、わたしにお任せ下さいませんか?」


 まるで舌なめずりするようなガリウス伯の言い方の気味悪さに身体が竦んだ。


 「断る。漸く素直に靡くようになったと言ったでしょう。これから存分に楽しもうというのにお譲りするつもりはない」

 「それは残念。相当お気に召したという訳だ」


 ガリウス伯は立ち上がりわざとらしい恭しさで礼をすると名残惜しそうに私を眺めてから出て行った。私兵達も後に続きドアが閉められる。階段を降りる足音が遠ざかって行き、一人の騎士が戻ってきて頷くとアルが大きな溜息を付いた。そして私も今度こそアルの腕から抜け出して気持ち悪さを払うように両腕を撫でた。


 「………………???」


 ふと気付けば騎士達が私達を取り囲んでいたのだが、なんだろう?この物凄い怒気……。カイルだけがその場を動かずに弱り果てたように頭を掻いていた。


 「王子!見損ないました。姫様になんという事を!しかもあの言い草はなんなのですか!これが我が主とは情けなさに涙も出ません」

 「そうです。こんな可憐でいたいけな乙女に……恥をお知りなさい!」


 私はアルと顔を見合わせた。それから二人揃ってカイルに助けを求めようとしたのだけれど、カイルはすーっと視線を逸らしてしまう。カイルめ、逃げるつもりだね!


 「あのですね。ご心配には及びません。皆さんの主様は事実無根ですよ。これはですね……」

 「なんとお労しい。姫様、我等はわかっております。王子を恐れておいでなのですね」


 いかん、涙ぐんでる奴もいる!


 「いいぇ、とんでもない。諸事情からこんな話になりましたが我々は潔白でございます。手すら握った事……はあるのか?……でもでも何も無いのです。えぇ、ホントになーんにも」

 「お可愛そうに、何も無かったとご自分に言い聞かせておいでだ」


 いや、泣くな。その屈強な身体で泣くのホントにやめて!


 カイルは相変わらず目を背け、アルはポカンと口を開けて呆然としている。その間にもアルを糾弾する声と私に同情する声、ついでに歎き悲しむ泣き声までもがどんどん大きくなり塔はてんやわんやの大騒ぎになった。こうなると私の説明なんて掻き消され誰の耳にも入らない。


 「黙りなさい!!」


 私は叫ぶと同時に振り上げた片足を思いっきりテーブルに乗せた。ダン!という大きな足音と太股まであらわになった私の脚に騎士達は一斉に目を丸くして息を呑んだ。


 「貴方達まで鵜呑みにしてどうするのっ!良いこと?わたくしピピル・アシュレイドは正真正銘純潔の乙女です!貴方方の主様と深い関係ではありません!わかった?」


 まさかの純潔宣言に今度は騎士達がポカンと口を開け一斉にアルを見る。アルはぐるっと騎士達を見回し最後に私の太股に目を止めた。そしてそろりそろりと私の手を引いて無かった事にするかのように元いた場所に座らせてから咳ばらいをした。


 「そういう事だ。心は許していないとガリウス伯を納得させる為に一芝居打った。わたしは……姫にやましい事など……」


 していない、とは言い切れない、微妙にやましいアルくんが言い澱むと騎士達がざわつく。


 「と、とにかく、無体ははたらいていない!」


 焦って赤面しながら否定するアルをジトッと睨むとアルが顔をしかめた。


 「大体、いくら合わせると言ってもやり過ぎでしょう!なんですか!身体を暴いたって!」

 「仕方ないでしょう?アルくんの話に合わせたらああなるわよ!」

 「だからって身体を暴いたは酷い……」

 「良い声で啼くとか我を忘れてしがみつくとか言ったくせにどのお口が私を責めるのかしら?貴方の話もやることも下衆過ぎて思わず引いたわよ。それよりもカイルっ!」


 未だに目を逸らしていたカイルが慌てて姿勢を正して私を見た。


 「貴方の主様の私生活、もっと管理するべきだわ。この方相当お遊びになっていらしてよ。それも若さ故なんて言い訳は効かない悪ーい遊び方に決まってるわ。じゃなきゃあんな話がポンポン出て来る訳が無いもの。絶対に身に覚えがあるってば」

 「はぁ……」

 「カイル!本気にしてどうする!お前は初めから芝居だと見破ったのだろう?」

 「はぁ……」

 「実体験あればこその名演技だと思いますわ、ね、カイル」

 「はぁ……」

 「それなら貴女の演技はどうなんですか?」

 「だから貴方に合わせて動くって言ったでしょう?貴方に合わせた結果なんだってば。せっかくラーナが清楚に仕上げてくれたのに台なしになったじゃない!ね、カイル」

 「はぁ……」

 「カイル!ね!に惑わされるな!目を逸らすんだ!」

 「はぁ……」


 あれ?なんか、騎士の数が減ったような………?しかも残っている騎士もジリジリと後ずさってドアに近付こうとしていない?


 「貴方達、もしかして逃げるおつもりかしら?」


 完璧な淑女の笑みを浮かべた私に見つめられ、彼等は顔を凍りつかせてピタリと動きを止めたが……


 「逃げろ!」


 叫びながら彼等を押し退けるようにドアを出て行ったカイルの姿に、弾かれたように我に返り逃げて行ったのであった。


 

 


 

 


 


 


 

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