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平凡なピピルと氷雪の王子の四年間  作者: 碧りいな
さんどめの春
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湖畔の花畑 


 シルセウスにも遅い春が訪れ山々の残雪が消え森は鮮やかな新緑に包まれた。私はそれを塔の窓から眺めている。相変わらず続く眠れぬ夜は私から少しずつ気力と体力を奪って行き、ここ数日はこうやってぼんやりと外を眺めて過ごす時間が増えていた。

 

 食欲も戻らない。昨日はとうとう堪えきれずにバスルームに駆け込むところをラーナに見られてしまった。当然と言えば当然なのだろうがラーナは全く別の心配をしてしまい……殿下と婚約後直ぐに屋敷に戻されたし、そもそも身に覚えなんて一切無いから潔白だと力説したけれど、取り乱したラーナは中々理解してくれず大変だった。


 春の日差しに湖の水面がキラキラ輝き、真鴨が忙しなく頭を水に潜らせて食べ物を探している。プリプリ動くお尻と無防備に丸出しになる足が可愛らしく面白くて、私は思わず声を上げて笑った。


 「何が見えるのですか?」

 「っ……」


 声を掛けられてすくみ上がった私をアルは少し寂しそうに見た。朝食を下げに行ったラーナと入れ違いに入って来たのだろうか?アルが居るのに全然気がつかなかったのだもの、そんな顔をされても、驚かない方がおかしいと思う。

 

 「アル……びっくりしたじゃない」

 「すみません。夢中で見ていらしたので。それで、何が楽しくて笑ったのですか?」


 私が湖を指差すと真鴨に目を止めたアルもくっくと笑った。


 「丁度よかった。今日は湖畔にお連れしようと誘いに来たんです。良く晴れて暖かいですからね」

 「外に出るの?」


 アルは微笑みながら頷いた。


 「途中までは目隠しはしなければなりませんが……でも森に入ったら外します」

 「森……馬に乗って行くの?」

 「馬は苦手でしたか?」


 私が相乗りが苦手な理由を渋々話すと、小さくチッと舌打ちする音と『アイツめ』という苛立ち交じりの呟きが聞こえた。


 「大丈夫、しっかりと抱えます。決して落としたりしませんよ。安心して」


 殿下にされた嫌がらせはかなりのトラウマで外に出られるという魅力も半減してしまったのだけれど、ラーナはもう行くものと確定してしまい私の肩に厚手のショールを掛けてブローチで留めてくれていた。目隠しの布さえ髪にリボンを結ぶかのように自然に付けたラーナは風が冷たくなる前に戻るようにアルに釘を刺す。アルもわかっているとごく普通に答えひょいと私を抱き上げた。


 爽やかな風に頬を撫でられ城を出たのだとわかった。アルは一度私を降ろし先に馬に乗ったようで、私はカイルに抱えられ馬上のアルに渡された。殿下と違いアルは片手でしっかりと固定してくれるので泣くほどの恐さは無かった。殿下はあんなに几帳面なくせに肝心なところが適当で、落ちたくなければ自分でしがみついていろと言いやがったのだ。鬼め!


 目隠しが外されぼやける目を瞬く。キョロキョロと見回すと深い森の中の小道の上に居るのがわかった。アルはポケットに目隠しをしまい馬を走らせる。あれから自分でも乗馬の練習をしたせいかスピードが上がっても殿下と乗った時ほど怖くは感じないが、それはアルが気遣ってくれたからかも知れない。


 しばらく進むと突然森が開けその向こうに湖が見えてきた。一面に青い花が咲いている湖畔の美しさに魅入っていると、アルが馬から降ろしてくれた。

 青いのはネモフィラに似た花だがもっと濃い色をしている。湖に沿ってずっと向こうまで帯のように連なっている花畑、森の柔らかな新緑、その向こうに見える青い山々は胸が苦しくなるような美しい風景だった。

 

 少し遅れてカイルが到着したがポツンと建っているガゼボに自分の馬に乗せていた荷物を運ぶと、後でまた来ると言って先に戻ってしまった。せめて一緒にお茶を一杯と引き留めたのだけれど何故か深い溜息をつき、『後程参ります』ときっぱりとした口調で言ってそそくさと立ち去ったのだ。


 「気に入りましたか?」


 心配そうに尋ねたアルに私は頷いた。哀しさと苦しさで傷だらけになり小さく固まっていた心が、この美しさで解きほぐされていくのを感じる。アルも何かを感じたのだろう。小さくホッと息を吐くのが聞こえた。


 アルはテーブルにシルセウスの鮮やかな刺繍が一面に施された美しいクロスを広げ、バスケットの中身を並べていく。果物やサンドイッチやお菓子など、それぞれの量は少ないけれど沢山の種類が用意されていてクロスを覆い尽くさんばかりだ。外に出たら少しは食べられるのではと期待して連れ出してくれたのかも知れない。その優しさや気遣いは私を余計に苦しめる。それでもアルはそうせずにはいられないのだろう。そして私も黙って胸の痛みに耐えている。これ以上アルを傷付けたくはないから。私達は今もなおお互いに矛盾を抱えているのだ。


 「水は冷たいの?」


 食べるように勧められるのが、食べられなくてがっかりされるのが不安で意識を反らしたかった。何食わぬ顔でポットに入ったお茶をカップに注いでいるアルに質問すると、アルはチラッと湖面に視線を送ってから『えぇ』と答えた。


 「真夏ならば湖水浴ができるのですがこの時期は山からの雪解け水が流れ込んでいるんです。水際に行ってみますか?」

 

 私は首を横に振った。


 「花を踏む罪悪感の方が大きいもの。そこまでして確かめようとは思わないわ。もしも花が咲いていない状態なら同じ植物なのに何も思わずに走ったでしょうけれどね」

 「……」


 アルは首を捻りながら私の顔をじっと見つめた。私、そんなに考え込まれるような事を言ったつもりは無いのだけれど。


 「どうして貴女の口から出て来る言葉は何か違うんでしょう?」

 「どういう事?」

 「わたしの姉はここが好きでこの時期には必ず訪れたのですが、やはり水辺には行きたがらなかった」

 「『お花を踏むのは可哀相』って?」


 アルは気まずそうに頷いた。今頃になって私の物言いが可愛気も女の子らしさも無いって暗に言っているようなものだと気が付いたみたいだ。


 「ラーナが写真を見せてくれたの。とっても綺麗なお姉様ね」


 視線をさ迷わせるアルが何だか気の毒になって話題を変えると、アルはほっとしたように眉尻を下げた。


 「どうなのでしょう?ですが優しい姉ではありました。だからこそ逃げるのを怖がった母を置いて行けなかったのでしょう……」

 「私くらいのお年だったそうね」

 「えぇ、19でしたから姉の方が一つ上でしたが」


 19か……。私の胸がつきんと痛んだ。


 「父は王として無能でした。鉱物資源が枯渇し国が傾いて行った時も我が身ばかりを大切にし民の事など考えようともしなかった。母もそれまでの暮らしを変えられず贅沢を続けました。そしてわたしも何も知ろうとはしなかった。ただ一人市井の人々を案じる姉の背中を黙って眺めているだけでした。姉の話に耳を傾けることすらも」

 「アルはまだ子どもだったのよ。仕方がないわ」


 アルは俯いてゆるゆると首を振った。


 「セティルストリアの為にシルセウスにいらしたファビアン殿下はまだ12歳でした。あの頃のわたしがまだ子どもだったなどという言い訳は通りません。わたしは両親がどうあろうと城の外に目を向けるべきでした。わたしにはそうする責任があった。皮肉にも名前を偽り陛下や殿下のお側に仕え、わたしは王族とはいかにあるべきなのか漸く理解出来たのです。だからこそわたしはこの手でこの国を蘇らせたい。王子としての責任を果たさなければならない」


 国を想うアルの気持ちはひたすら純粋で気高いものだ。でもだからこそ私は目的に縛られ視野が狭まっているのではないかという危うさを感じずにはいられなかった。シルセウスを狙う多くの国を出し抜いてセティルストリアが侵攻したのは勝機を見出したからだけでは無い。王家に見捨てられ貧しい暮らしに疲弊していたシルセウスの民を救う為でもあった。領土を広げるだけが目的だった他国に侵攻されては国民に大きな犠牲が出るのは間違いない。だからこそセティルストリアはいち早く動いたのだ。


 「貴方達が本当に国民を思うのならば、シルセウスは再び独立するよりもセティルストリアの領地としての恩恵を受けるべきではないの?国民の幸せよりも重いものなどないでしょう?」


 アルはちらりと私に視線を向け、直ぐに湖へとそれを移した。

 

 「大丈夫、我々は自立の方法を見出だしたのです。協力者もいる。もうセティルストリアの施しにすがらなくともシルセウスは立ち直れます。今ならまだ間に合う。民の中に僅かでもシルセウスの誇りが残っている今ならまだ」

 

 湖を見つめたままアルはまるで自分に言い聞かせるように淡々と語る。私にはそれがアルの心にある迷いと躊躇いを必死に打ち消しているようにしか見えず、その姿が痛々しくてならなかった。だがアルはそれ以上何も言わず私達の間には重たい沈黙が続いた。


 「アル?」


 戸惑った私がアルの肩に手を掛けて顔を覗き込むと、アルは取り繕ったように微笑みを浮かべた。でも私にはそれが妙に無機質に見えて不安になると、アルはそっと肩に乗せた私の手を握った。


 「何故殿下の側に行ったのですか?」


 唐突に聞かれ、どうしてそんな事を聞くのかまるでわからなかった私はきょとんとした。


 「わたしがシルセウスに戻ったのは陛下のご意向が堅固なものになったのを確信したからです。わたしは……このままではこの計画で貴女を利用する事になってしまうのではないかと不安になり、それだけは何としても避けなければと思いました。シルセウスに戻り何とか貴女の価値を悟られまいと手を尽くしていた。それなのに貴女が離宮に上がったと聞いて我が身を呪いましたよ。貴女を守るために離れたのが裏目に出てしまうとはね」


 俯いたアルは私の手を離し膝の上で硬く握りしめた。その拳が小刻みに震えるのをアルは必死に堪えているようだった。


 「何故なのです?貴女はあんなに自由を求めていた。それなのに何故愛してもいない殿下の為に自分を犠牲にしたのですか?」

 「……どうしても殿下を暗闇から救い出したかった。私ならできると思ったから手を差し伸ばした。それ以上の理由はないの。確かにその選択は私の運命を変えてしまったけれど、それでも私は殿下の手を取った事を悔やんでいない。殿下は暗闇から抜け出したの。明るく温かな光に照らされ前を向いて歩いているわ」

 

 不意に風が木葉を揺する音と小鳥のさえずりとが大きくなり私を包み込んだ。それはうっとりするような心地良さで私は無意識に笑顔を浮かべながら頭上を仰ぎ見る。覆いかぶさるように茂る木々の若葉が風に揺れ、キラキラと輝く木漏れ日が私に降り注いでいた。


 「私の死を殿下は悲しむと思うわ。でも悲しみで我を忘れたりはしない。だって悲しみを怒りに変えて乗り越える力を取り戻しているのだもの。殿下は絶対にグラントリーを許したりしない。どんな事をしても必ず追い詰めるわ、必ずね」


 私は俯いて目を閉じた。心を落ち着かせてからゆっくりと視線を送りアルの見開かれた黒い瞳を真っ直ぐ見つめる。


 「殿下は絶対にグラントリーの狙い通りになんてならない。それでも貴方達はグラントリーと手を組むのかしら?」

 

 私は静かに問い掛けた。


 


 


 

 

 

 


 


 


 

 



 


 

 

 


 

 


  


 


 


 


 

 


 

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