カイルの想い
ここしばらく一日一日話で固定していたのですが、短いので投稿してしまいます。
階段を降りきったカイルは上を見上げて眉間に皺を寄せた。あれは質が悪い。自覚が無い分余計に悪質だ。
一目見た時、整った顔立ちの美しい娘だとは思った。そう言われて否定する者がいたら余程の天邪鬼だ。ただし俗に言う目を瞠る程の美しさという訳ではない。
今までに見てきた社交界の華と呼ばれる美しい令嬢達は華やかで圧倒的な存在感を持っていた。そこにじっと座っているだけで美しい。だがそれは美術品と変わらない変化のない美しさだ。
彼女は違う。その声からその表情からその瞳から生き生きとした力が溢れ出した時、息を飲むような輝きを放つのだ。それはふとした瞬間に花が綻ぶように現れ、知らず知らずのうちに心を捕らえているものなのだと王子は言った。しかし彼女はそれに気付いていない。彼女が目にできるのは鏡に映った行儀良く整った自分の顔だけなのだから。それ故自覚が無いのだ。自分の中にかなり風変わりな魔性を宿しているという自覚が。そしてその魔性で王子の心を捕えてしまったという事にも。
あの時彼女は王子のその手で自分の命を断って欲しいと願ったのだろう。運命に逆らえないのならば、金で汚れた手で触れられるよりせめて一度は心を通わせた王子の手で……そう願うのも無理はない。何より彼女は知らない。王子が彼女に向けるのは忠誠を誓った騎士の眼差しではない。その瞳に燈るのは甘く優しい光だ。
それをもし知っていたら彼女はこの上ない残酷な頼みなど決してしなかった。彼女はただ王子に甘えた。騎士として側にいた王子に甘やかされた時のように我が儘を言ったのだ。
呆れるほどに従順で抗う事など無かった彼女が、そうやって自分を守るしかなかった彼女が自分にだけは小さな我が儘を言う、王子はそれに至上の幸福を感じていた。
だから、だから彼女は……。
一度は彼女によって苦悩から救われた王子が、今度は彼女の為に苦悩している。目的を果たした時、彼女を失った王子はどうなっているだろう?その手に彼女の温かな返り血を浴びた王子は哀しみに押し潰されはしないのだろうか?
王子が眠っている彼女に付き添っていると聞いた時、カイルは迷う事なく塔に向った。どんなに責められても構わない。これから哀しみを背負って生きていかねばならない王子に、せめて一晩だけ、血の通う彼女を腕に抱いて過ごして欲しかった。
カイルは一つ咳ばらいをする。
自分達にはなさねばならない事がある。
たった一つの望みをかけて王子を逃したあの日、薬を飲まされて何も知らずに眠ったまま王子の身代わりに殺された少年。無能な王と贅沢な王妃を見捨てられず共に命を断った婚礼間近だった姫。切り捨てられた大勢の騎士や兵士達。巻き込まれた市井の人々。
彼等に報いる為にも前に進まねばならない。
たとえ王子がどんなに彼女を深く愛していようとも。




